前世の趣味のままにBL小説を書いたら、サイン会に来た護衛騎士様の婚約者になりました

驕れる腐女子、久しからず

「そういえばどうしてジェスト様はあのお店にいらしたんですか」

 帰りの馬車で彼と同乗しながらそう問いかけた。

「エイムズ家の執事から、おまえが友人とお茶をしてくると出かけていったと聞いたんだ。カトリーナの話では、おまえには王都に親しい友人はいないとのことだったから、いったい誰と出かけたのかと思い、その、失礼かとは思ったんだが、普段小説を書いている机を探らせてもらった。そうしたら例の招待状が出てきて、内容からおそらくメリンダ嬢の呼び出しだろうと判断して、屋敷を飛び出したんだ」
「……それはそれは、ご苦労様でした」
「ご苦労様でしたって……ほかに言うことはないのか? そもそも俺もカトリーナもメリンダ嬢には近づくなと、あれほど言っていただろう」

 あ、これって雷が落ちそうなまずい流れ、と判断した私は咄嗟に取り繕うことにした。

「えっと、招待状に書いてあったでしょう? メリンダ様に正体をバラすと言われてしまったんです。私がナツ・ヨシカワだと世間に表明されてしまえば、アレン殿下の計画にだって影響してしまいます。そうなれば困ることになるでしょう?」

 目を若干泳がせながら言い繕う。しかしジェスト様の反応は思っていたものと違っていた。

「計画よりもおまえの身の安全の方が大事だ。今回の判断はどう見ても悪手だった。しばらく外出は禁止させてもらう」
「そんな横暴な!」
「横暴? どこがだ? おまえはいつだって想像の斜め上に突っ走っていくだろう。今回のことだって、俺がいないならせめてカトリーナに言付けるくらいのことをするべきだった。いや、ここまで来ればカトリーナにとっても荷が重い話だな。やはり俺が見てなくては……」

 怒鳴られることはなかったものの、大きな溜息を吐きながら自己完結するジェスト様を見ているうちに、だんだんと……腹が立ってきた。

(そりゃネタ集めと思って意気揚々と出かけていったことは否定しないけど、メリンダ様が突っかかってくるのはジェスト様のせいだよね? 見合いを断ったっていう話だけど、断り方に問題があったからこんなにこじれているんじゃないの? それに彼女がカトリーナ様のことをライバル視しているのだって、私には関係ないことじゃない)

 さすがにカトリーナ様に腹を立てるのは筋違いとわかっているから、そこまでは口にしないけど、ジェスト様にはちくりと言ってやってもいいんじゃないだろうか。

 よし、おもいきって言ってやろうと、黒騎士様を睨みつけてみれば。

「エイムズ家に戻ったらカトリーナにきちんと謝罪するように。おまえのことをかなり心配していたぞ」

 むっつりとそう告げられ、胃のあたりのむしゃくしゃが頂点に達した。カトリーナカトリーナっていちいちいちいちなんなのだ。言われなくてもあなたが本当に守りたい愛する女性は彼女なのだってこと、私だって知っている。

 あの存在すべてが完璧な女性に、私自身がほど遠いことも、痛いほど知っている。

「わかりました。謝ればいいんでしょう、謝れば。でも、そんなに私の存在が迷惑なら、エイムズ家を追い出してもらってもかまいませんよ」
「何を言い出すんだ。そもそもカトリーナの家に滞在する理由は、おまえの執筆環境を整えるためであって……」
「その小説だってあと1話を残すだけです。ホテルに滞在しながらだって書けますし」
「そうはいかない。それに社交界デビューの準備だってあるだろう」
「カトリーナ様の叔母様の淑女教育は概ね終わっています。それに……そもそも私が社交界デビューする必要性ってほぼないですよね。ジェスト様との婚約は、どうせ結ばれることなく解消になるんですから」

 言ってから、その通りじゃないかと納得してしまった。そもそも社交界デビューの話は、私がジェスト様と婚約するにあたり未成年だと都合が悪いからという理由で進められたものだ。そしてなぜ婚約の話が出たかと言えば、アレン殿下の目の届く場所で、ダミアン殿下を王太子の座から引き摺り下ろすプロパガンダ小説を執筆するため。

 その小説はあとわずかで完結する。小説が書きあがれば、私とジェスト様の関係は元の何もない状態に戻る。すなわち私の社交界デビューは必要なくなる。前から考えていたように、デビューをできるだけ引き伸ばしながら、好きな小説が書き続けられる。

 そしてダミアン王太子の誕生日パーティで断罪劇が開幕したとして、こちらサイドの役者はアレン殿下とカトリーナ様、それにジェスト様で足りる。私は元からただの観客に過ぎなかったのだから。

 社交界デビューがなくなれば、当面ジェスト様に会う機会もなくなるだろう。彼とカトリーナ様が婚約したとしても、せいぜいその噂が耳に届くくらいで、目にすることはしなくていい———むしろ領地にこもってしまえば、噂すら届かなくなる。

 それは最良の計画ではないだろうか。

 そう思い至った私の心に、ふとある光景が蘇った。デビュー準備をしていると周囲に思わせる必要があると、かつてジェスト様と訪れた王都のドレスショップ。そこで提案された、白地に赤と黒の糸で刺繍を施した、デビュタントドレスのデザイン画。

 秘めたる恋のようで素敵ですよねと、店員さんが言ってくれた一言。

(秘めたる恋……それはジェスト様とカトリーナ様のことで……)

 本当にそれだけだろうか。そう問いかける自分に別の声が割り込んでくる。

「グレース嬢? どうした……?」

 呼び捨てからいつもの礼節を込めた呼び方に戻った彼の、端正な顔を見上げれば。

「ジェスト様……」

 その名を呼んでしまえば———もうダメだった。

(どうしよう……私、この人のことが、好きだ)

 ジェスト様は“薔薇の騎士”の小説のことを好きではない。それでも、キャラクター以外のところであの小説の良さを認めてくれていた。自身がモデルになっているかのような描写に戸惑いながらも、台詞や場面を(そらん)じるくらい読み込んでくれた。新聞連載が始まれば、ひとたび書き出すと止まらなくなる私のことを、ただ黙って見守ってくれた。私が何を書いても馬鹿にしたり非難したりせず、いい仕事だと認めてくれた。

 彼は作家であるナツ・ヨシカワも含めて、私のことを知り、付き合ってくれた初めての人だった。

「グレース嬢? 大丈夫か。もしや身体が冷えてしまったのか? すまない、気づかなくて」

 上着を脱いで濡れた私の肩にかけようとしてくれたのを、やんわりと断った。

「いえ、大丈夫です」
「しかし……」
「もうほとんど乾いていますから。それは……いりません」

 彼のぬくもりが残った上着をもらってしまえば、きっと“秘めたる恋”ではなくなってしまう。口にしてはならない思いが、苦い記憶のようにぽろりと溢れ出してしまう。

(ジェスト様にはカトリーナ様がいるのに……。私は、偽の婚約者にすぎないのに)

 気づいた途端に盛大な失恋が待っているだなんて、異世界の神様はなんて無情なんだろう。もしかしたら腐の神様が(おご)れる私に罰を与えようとしているのかもしれない。

(陽の当たる場所で堂々とジェスト様と並び立てるだなんて、烏滸(おこ)がましいにもほどがあるわ)

 小さく肩を振るわせると、ジェスト様が顔を引き攣らせた。手にした上着は馬車の座面に置かれたままだ。

 馬車がエイムズ家の門を潜ったのがわかった。結局ここに戻ってくるのかと思えば苦笑するしかない。

「グレース嬢、もしエイムズ家が居づらいというなら俺の……、いや、アレン殿下に頼んで別の滞在先を探してもらうことも……」
「いえ、大丈夫です。エイムズ家の皆様はよくしてくださっていますので」

 三食執筆付きの快適な環境に不満はなかった。ただ、自分の気持ちに気づいてしまった今、カトリーナ様と面と向かって話をするのは辛いなと、ちょっと思ってしまっただけで。

「新聞連載もあと少しで終わりですから。最後までちゃんと仕事しますよ。カトリー……」

 小説を最後まで書き上げる気持ちまではさすがに潰えていない。けれど、最後に言おうとした“カトリーナ様のために”という言葉が———どうしても出てこなかった。

 馬車が止まり、御者の人が扉を開ける許可を求めてきた。何やら焦ったようなジェスト様がなおも私に詰め寄った。

「グレース嬢、やはり今のおまえをエイムズ家に任せるのは……」
「本当に平気ですから。小説も最後まで責任持って書きます。———アレン殿下のために」

 カトリーナ様のためにと誓えないのだ。ましてジェスト様のためになんて、言えるわけがない。

 だから咄嗟にアレン殿下の名前を使った。計画の立案者は彼なのだから不自然ではないはずだ。

「———っ」

 ジェスト様が次の言葉を継ぐ前に、私は扉を開けてくれるよう指示を出した。見慣れたエイムズ家の入り口で執事さんが待ってくれている。

「ではジェスト様、ご機嫌よう。次にお会いするのはダミアン殿下の誕生日パーティでしょうか。……私が出席することがあれば、ですけれど」
「グレース嬢、待ってくれ!」

 腰を上げた私はジェスト様を振り切り、御者が差し出してくれた手を取った。



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