前世の趣味のままにBL小説を書いたら、サイン会に来た護衛騎士様の婚約者になりました

婚約をもって尊しとなす1

 ジェスト様に手を取られて降り立ったのは、クインザート侯爵家のタウンハウスだった。瀟洒な貴族のお屋敷が並ぶ王都の一等地の中で、どこか泰然とした佇まいを見せているのは、武門と名高い家門である所以だろうか。

 ジェスト様はアレン殿下の護衛として離宮に部屋を賜っているため、普段はそちらで暮らし、実家にはほとんど寄り付かないのだとか。そんな実家へ2人して何をしに来たかといえば、婚約のご挨拶だ。私としてもここを訪れるのは初めてになる。

 見上げるお屋敷の玄関の前で、ジェスト様はエスコートする手に力を込めた。

「滞在は10分以内で済ませる。10分だけ我慢してくれ」
「……はい」

 本日はお忙しい中、ジェスト様のご両親とお兄様方ご夫婦が揃ってくださったと聞いている。当主のお父様は王宮騎士団の団長、お兄様お二人は騎士として活躍中、長男の奥方も女性騎士として王妃様の警護を担っておられるそうだ。まさにエリート騎士一家の中、ジェスト様だけが王宮騎士団に所属していない。アレン殿下の私的な護衛とするために子どもの頃に形ばかりの養子として迎えられ、すぐに離宮に預けられた経緯があるためだ。

 すでに2人の息子に恵まれた一家に、突如として紛れ込んだ異分子。それがジェスト様だ。2番目の兄とも12歳離れているとあっては、溶け込むことも難しかったことは想像できる。侯爵夫人も次男の奥方も社交界の中心にいらっしゃる方々だ。全員が忙しくしている中、感心の薄い末っ子のために割ける時間は10分だけと、そういう事情だろう。

(挨拶のために名乗って、クインザート家に迎え入れてもらえることのお礼を言って……あ、でも「あなたに由緒あるクインザートの名を名乗ってほしくないわ!」とか夫人に言われてしまうのかな。それはそれで嫁姑戦争のネタが……いえいえ、グレース、今日は取材をしている場合じゃないわ)

 そうやって自分にブレーキをかけていると、隣でジェスト様が吹き出す気配があった。

「グレース、全部口に出ていたぞ」
「えぇっ!?」
「まったく、こんなときにもブレないとは……恐れ入った」

 呆れているわけでも怒っているわけでもないことはもうわかっているけど、さすがに場の空気を読まなさすぎた実感はあった。

「ごめんなさい」
「大丈夫だ。むしろ、俺も気が楽になった」

 そしてジェスト様が私の手を握りこんだ。

「安心しろ、おまえのことは俺が必ず守る」

 そう言い切ったタイミングで、クインザート家の玄関の扉が開いた。




 家令と思しき人が出迎えの挨拶をするよりも早く、「ふん、ようやく来たか」と野太い声が奥から聞こえてきた。お屋敷の広い吹き抜けのエントランスで、大柄な男性が腕組みしながら仁王立ちしている。

 隣でジェスト様が小さく舌打ちしながらも、軽く黙礼した。

「お久しぶりです。ファビアン義兄上(あにうえ)
義兄上(あにうえ)、だと? 貴様にその呼び名を許した憶えはない!」

 彼が身につけているのは王宮騎士団の制服だ。ファビアンということはこの人が2番目の兄、ファビアン・クインザート様だろう。ジェスト様も大柄だが、それを上回る筋骨隆々とした体躯は、王宮騎士団が誇る槍部隊の隊長という肩書きを如実に表していた。

 それにしても。

義兄上(あにうえ)という呼び方をここまで忌避されるなんて……。ジェスト様のことを本当に義弟(おとうと)として認めたくないのね)

 噂には聞いていたがここまでとは。血の気がざっと引く感覚があったが、なんとか踏みとどまる。赤の他人の私ですら(おのの)くほどだ、当事者のジェスト様はいかほどかと、その横顔を見上げようとしたとき、ファビアン様が腰の剣に手をかけた。

「ジェストよ、次にこの屋敷の門を潜るときは、それなりの覚悟をせよと、以前申し伝えたな。その覚悟、今ここで見せてもらおう」
「待ってください、義兄上(あにうえ)、今日ここへ来たのは婚約の挨拶のためであって……」
「言い訳は無用! それに義兄上(あにうえ)と呼ぶなと何度言わせる気だ!」

 怒りに任せたかのように見えたファビアン様は、とうとう抜刀してしまった。

「さぁ決着をつけようではないか」
「……くそっ」

 悪態をついたジェスト様が私を庇うように前に立つ。その手は自身の腰にある剣を抜くべきかどうか迷っているようだった。それはそうだろう、婚約の挨拶のために実家に戻ってきただけなのに、刃傷沙汰など想定していなかったはずだ。

 ファビアン様が投げつける殺気はただならぬものがあった。きっと私のことなど見えていないに違いない。挨拶どころの状況でないことを察した私は、ジェスト様の袖を引こうとした。こんな状況で彼らに認めてもらえるはずもない。想定の10分すら経過していないが、一度引き上げるべきではないのか。

 だがそんな私の肩を軽く引くものがあった。

「失礼、お嬢さん」
「え?」

 背中が何かに当たる気配があって振り返れば、私より頭ひとつ以上高いきりりとした女性が、そのまま私を肩ごと抱き寄せて叫んだ。

「対象確保!!」
「イヴリン、よくやりました、さすがです!」

 そのとき頭上から鋭い声とともに人影が飛び降りてきた。……え、上? なんで上?

 驚く私を他所に、影はそのままの勢いでジェスト様の背中へと飛びついた。

「なっ! キース義兄上(あにうえ)っ!?」
「ファビアン同様、私もその呼び名をおまえに許した憶えはありませんよ、ジェスト」

 ジェスト様を背中から羽交締めする、やや小柄な男性もまた王宮騎士団の制服姿だ。よく見れば私を肩ごと抱きしめる女性も同じ制服を着ていた。

「あなたは……」
「話はあとにしよう。キースひとりでアレを押さえつけるのは分が悪い。夫は諜報部員だから肉弾戦には弱いのだ。助力に行ってやらねば。ルナ、こちらのお嬢さんを任せる」
「もちろんですわ、イヴリンお義姉様」

 イヴリンと呼ばれた制服姿の女性から、こちらも長身の女性へと私の身柄が引き渡された。同じ長身といっても、先ほどの制服姿の女性はしっかりと鍛え上げられた体つきをしていたのに対し、こちらの女性は抜群のプロポーションが素晴らしいお姉様だった。ブルネットの下から覗く瞳までがなんとも蠱惑(こわく)的だ。そして背中に当たるぽわんぽわんした感触はもしかしなくても豊満なおムネ様だろう。

「さぁ、あなたはこちらに」
「で、でも、ジェスト様が……」
「キースお義兄(にい)様もイヴリンお義姉(ねえ)様もファビアン様も、飽きれば戻ってくるでしょう。逆に言えば飽きるまでは収拾がつきませんわ。いろいろ拗らせすぎていますからね」
「え?」

 豹の如きしなやかさで巧みに誘導されながら、ブルネットの女性は嫣然と微笑んだ。

「わたくしはルナ・クインザートと申します。あそこで仁王立ちしていたクインザート家の次男ファビアン様の妻です。そしてこちらにおいでなのが……」

 連れて行かれた先の部屋の扉をノックしながら、豹の女性———ルナ様は私の耳元に口を寄せた。

「エロイーズ・クインザート様。クインザート家の侯爵夫人ですわ」

 その名を告げられ、すっと背筋が伸びる思いがした。






「お義母(かあ)様、首尾通り、2人を引き離せましたわ」
「王宮騎士団の騎士が3人もいるのですから、それくらい出来て当然でしょう。万が一にも取り逃すようなことがあれば、旦那様に鍛え直してもらう必要があるわ」

 完璧な角度で扇を開いてみせる女性を前に、私は緊張感を(みなぎ)らせていた。

 エロイーズ・クインザート侯爵夫人。ジェスト様の義理のお母様に当たる方。

(あ、挨拶をしなきゃ。ジェスト様はいなくなってしまったけど……だからこそちゃんとしないと)

 頭ではわかっているのに、身体は思うように動かない。淑女教育では太鼓判を貰えたはずなのに、指先が震えてスカートを摘むことすらできずにいる。口の中がからからに乾いてしまって言葉も出てこない。

 そんな私を見た夫人は扇の向こうで声を震わせた。

「嘘でしょう? まさか、この子がアレの婚約者だというの? こんな、こんな子が……」

 目を丸くした夫人は固まったようにバサリと扇を落とした。貴婦人としてありえない行動に私もはっと目を見張る。

 行儀や礼儀も忘れるほどに私のことが、ジェスト様の婚約者という存在が許せないでいる———。ジェスト様のお兄様たちが義兄(あに)の呼び名すら許さないほどその関係を(うと)んでいるなら、母親であるエロイーズ夫人もまた同じであろう。むしろ為さぬ仲の子を戸籍上とはいえ我が子としなければならなかったことに、強い憤りを感じていてもおかしくはない。

(でもそんなこと、ジェスト様には関係ないじゃない)

 彼がこの家に養子に入ったのは団長であるクインザート侯爵の都合だ。フォード宰相に右ならえとばかりにアレン殿下に護衛騎士をつけずにいたくせに、王族である殿下に何かあれば王宮の警備を担う自分の責任になるからと、年端もいかぬジェスト様に白羽の矢を立てて、殿下の護衛を丸投げした。そこにジェスト様の意思はないし、養子にした経緯の中にだって彼が責任を問われるものは何もない。エロイーズ夫人がジェスト様のことを疎ましく思ったとして、それは夫である侯爵に向けるべき感情だろう。

 だが当の侯爵本人はこの場にいない。騒ぎになった玄関にも彼の姿はなかった。それは、書類だけのつながりにすぎない息子のために、わざわざ自分が姿を見せる必要はないと、そういうことなのだろうか。

 そう思い至れば、自分の中でぷちッと何かが切れる音がした。切れた勢いのままに膝を折ることも忘れ、私は堂々と夫人に向き直った。

「お初にお目にかかります、ハミルトン伯爵家の長女、グレースと申します。この度は私なぞのためにお時間を割いていただき、誠にありがとうございます。夫人におかれましてはどうぞご安心ください。ジェスト様のことは、私が絶対に幸せにしてみせますので!」

 彼らがジェスト様のことをいらないというなら、ぞんざいに扱うというなら、私が彼のことをもらおうじゃないか。幸い私には作家という収入があるし、ジェスト様だってアレン殿下の元で今後も働くつもりだろうから、クインザート家になど頼らなくても十分生きていける。由緒ある侯爵家に睨まれることがハミルトン家の商売に影を落とす可能性もちらっと(よぎ)ったけれど、両親も兄も弟も、事情を話せばきっと味方になってくれると信じている。

「というわけで、ジェスト様のことは頂いていきます! どうかご了承くださいませ!」
「まあぁ! なんてこと……!!」

 扇を取り落としてしまった夫人は、その表情を隠せないままに叫び声を上げた。

「ルナ! 聞いた!? この子の言うことを!」
「えぇ、お義母様、ちゃんと聞きましたわ。想像を超える破壊力ですわね」
「そうよね! 王宮のパーティでも目にはしていましたけれど、近くで聞くと本当にドキドキしてしまうわ! これが噂の“真実の愛”ってことなのね、いやだ、感動が止まらないわ!」
「お義母様、少し落ち着きましょう。グレース様も困っておいでですわ。それに急ぎませんと、ずっと望んでいらしたアレ(・・)をする時間がなくなってしまいましてよ」
「それは困るわ! せっかくこんな子がお嫁に来てくれるのよ! 我が家始まって以来の“かわいい系”女子よ。着せたいドレスがたくさんあるのよ!」
「えぇ、そうでしょうとも」
「もちろんルナ、あなたもとびっきりの美人さんよ。イヴリンも凛々しいお嬢さんで、むさ苦しい息子たちにはもったいないほど出来たお嫁さんたちですけれど、2人とも綺麗系だったでしょう? かわいい系の子も欲しいなって思ってしまって」
「わたくしもお義母様の意見に賛成ですわ。麗しきイヴリンお義姉様とも違う、本当に愛らしいお嬢さんで、元お針子としての腕がなりますわ」
「やっぱり、ルナもわかってくれるわよね! ではさっそく試着室に……」

 まさしく夫人に手を取られそうになった、そのとき。

「グレース! 無事か!?」

 部屋の扉を蹴破る勢いで、ジェスト様が転がり込んできた。

「ジ、ジェスト様!」

 事態が飲み込めずぽかんと立ち尽くす私を、飛び込んできたジェスト様が勢い抱き込んだ。きっちりと整えられていたはずの髪も服装も激しく乱れて、額には汗が滲んでいる。肩で大きく息をしながらも私を庇う腕の力は緩めない。

「ジェスト様、その格好……大丈夫ですか!?」
「問題ない。片付けた」
「片付けたって……」

 まさか長兄と兄嫁、次兄の3人のことを言っているのだろうか。ただの3人ではない、マクセイン王国屈指の実力を持つ王宮騎士団の精鋭たちだ。もちろんジェスト様もアレン殿下の護衛をひとりで担うくらいだから相当だとは思うが、こんな短時間で仕留めるっておかしくないだろうか。

 だがジェスト様は私の疑問を顧みることなく、エロイーズ夫人に向き直った。

義母上(ははうえ)、ルナ殿、お久しぶりです。婚約者のグレースの紹介は済みましたね。義父上(ちちうえ)の姿は見えぬようですが、よろしくお伝えください。我々はこれで」
「お待ちなさい。まったく、王宮騎士団員が3人も揃って10分と持たなかっただなんて。足止めにもならないではないの。やはりここは旦那様の出番のようね」
「お義母様、まもなくいらっしゃると思いますわ」
「そうね。何せ今日の訪問を一番楽しみにしてらしたのは旦那様だものねぇ。愛用の剣も念を入れてギリギリまでお手入れされていたようよ。というわけで、覚悟なさいな———ジェストちゃん」
「え、ジェスト、ちゃん?」

 なんだそのとびっきり突き抜けた敬称は。婚約者の私だってそんな恐ろし……いや、大それた呼び方はしていないぞ。

 ぎぎぎっと首を回して彼を見上げた瞬間。私を抱えたままジェスト様が凄まじい勢いで横っ飛びに逃げた。

「ひぇぇぇぇっ!」
「クソッ! やはりいたか!」

 咄嗟に姿勢を整え、下ろした私を後ろ手で庇いながら、ジェスト様はついに剣を抜いた。え、待って、室内で抜刀するって、今そんな緊急事態なの? ここ侯爵家のおうちですよね? 私たち婚約の挨拶に来ただけですよね!? 何よりこのお話は健全なるお中世ラブコメだったのでは??

「ようやく来たか。待っていたぞ———ジェスト」

 手に大振りの剣を握った壮年の男性が、扉の向こうからこちらを(にら)み付けていた。

「……どうぞご安心ください、すでに帰るところですので。義父上(ちちうえ)

 ジェスト様の返答で、それが誰なのか察した。王宮騎士団を束ねる最強の団長と呼び声高い、アーノルド・クインザート侯爵、その人。頭には白い物が混じり始めているが、その肌色も双眸も一切の翳りを見せぬ、屈強な戦士という風貌だ。胸には鉄製のプレートをあて、手や足元も防具で覆った完全防備の姿で堂々と佇んでいる。

 侯爵は鋭い瞳を(すが)めたかと思うと、唸るように声を上げた。

「ほぅ、貴様に義父上(ちちうえ)と呼ぶよう教えたことは一度もなかったはずだが、いったいどこでそんな呼び名を憶えてきたのだろうな。何度も言い聞かせてきたにも関わらず未だ改められぬとは、我が息子はよほど頭が悪いと見える」

 彼の台詞には、義理の兄2人が言い放ったときと同じ、強い不快感と苛立ちが滲んでいた。あぁこの人もなのかと、痛む胸を抑えながらも、ここで引き下がってはなるものかと私も顔を強く上げる。

 ジェスト様の味方は私しかいないのだ。私が逃げてどうする。己の矜持を守ったあのときと同じように、彼のことを守りたい。

 そう思った私は、庇う手を振り切って彼の前に出た。

「なっ、グレース!?」

 百戦錬磨の騎士団長を前に、何かを言い放つ勇気はさすがになかった。言葉が出ないなら態度で示すしかない。これは逃げられない戦いだ。

 震える身体を叱咤するようにジェスト様の前に立てば———。

「そこまでです!」

 空気を割るかのようにエロイーズ夫人が二度手を叩いた。

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