雨の日、君に恋をした
第13話 こぼれ落ちた想い
夕暮れの公園。
ベンチに腰掛けながら、ひなは空を仰いでいた。
――帰らなきゃ。
アパートには悠真が待っている。遅くなれば、またきっと怒らせてしまう。
わかっているのに、足が動かない。
重く沈む胸を抱えたまま、ただ夕焼けを眺めていた。
「帰りたくない」
初めて、そんな気持ちを自覚した。
愛されるほどに息苦しい現実から、ほんの少しでも逃げ出したかった。
そのとき。
「……ひな?」
振り向いた先に、立っていたのは晴人だった。
驚きに目を見開いたひなに、晴人もまた言葉を失う。
彼は、迷い込むように視線を逸らした。
もう会わないと、あの日自分から別れを告げたはずだった。
なのに――気づけば足が、いつも二人で過ごした公園の前を通ってしまう。
願わくば、もう一度だけ。
あの笑顔を見られたなら。
その思いを振り払うことができずに、晴人はここにいた。
沈黙を破ったのは、か細いひなの声だった。
「……どうして、ここに……?」
答えられない。
ただ、目の前の彼女が泣き出しそうな顔をしていることだけが、胸を締めつけた。
晴人はそっと隣に歩み寄り、ベンチに腰を下ろす。
「……元気そうじゃないな」
掠れる声でそう言った彼の横顔に、ひなの心が大きく揺らいだ。
隣に腰かけた晴人の存在が、ひなの胸をざわつかせる。
声をかけられただけなのに、張り詰めていた糸が今にも切れそうだった。
――元気なはずない。
でも、それを口にしてしまったら、もう戻れなくなる気がして。
「……そんなこと、ないよ」
笑おうとしたけれど、頬が引きつってしまう。
晴人は目を細め、少しだけ息を吐いた。
「嘘つくとき、ひなはすぐ顔に出る」
かつて、何度も笑い合いながら言われたことを、今も覚えていた。
その言葉が胸に刺さって、堪えていた感情が込み上げてくる。
――誰かに気づいてほしかった。
――誰かに「大丈夫じゃない」って言いたかった。
「……晴人、私……」
震える声が、喉の奥から零れた。
言ってはいけないとわかっているのに、涙と一緒に言葉があふれそうになる。
けれど、そこまでで止まった。
悠真の顔が脳裏に浮かび、胸を掴まれたように息が詰まる。
晴人は無理に続きを促さなかった。
ただ静かに、隣に座っているだけ。
その優しさが、余計に苦しかった。
――私、どうしたらいいの?
ひなは俯いたまま、揺れる影の中で唇を噛みしめていた。
別れたあの日。晴人の嘘には気がついていた。
好きな人ができたのではない。別れざるを得なかった事情が、彼にはきっとあったんだ。だから、惜しくなるくらい輝いた自分でいようと決めたはずだったのに‥‥‥今、この姿で再会することが正しいのか――答えは出せない。
「…私、行かなきゃ」ひなは小さく息を吐き、立ち上がる。
「待って、ひな――」晴人は手を伸ばす。
彼の手がひなの手首に触れると、かすかな青あざを見つけた。髪で隠れていた頬のあざも、光に映る。
「……どうしたんだ、これ…?」
言葉にならない痛みと、恐怖と、そして胸の奥でこみ上げる感情。ひなは言葉を飲み込むしかなかった。
掴まれた腕を振り解き、強く首を横に振った。
「ごめん、でも…行かなきゃ」
足が重い。心臓が締め付けられる。
悠真の元へ――それが今、自分にできる選択だと信じるしかない。
悠真には、私しか居ないから。