あんずの海

幼なじみのあんずが、死んだ。
昨日の朝、自室で首をつって死んでいたと、あんずのお兄さんが電話越しに言った。
「調子が悪くて病院に行ったら、ふらついて階段からおちたって言えって母さんに言われたけど。風間くんにはほんとのこと言っとこうと思って。」
「……なんで、俺なんすか。」
「嘘ついていたほうがよかった?」
あんずのお兄さんの声に、いつものようなぬくい温度はなかった。湿ってもいなかった。
「……いや。」
「今日通夜あるんだけど、来れる。……わかった。時間は六時から、場所は……」
俺はたまたま机に置いていたメモ帳に、課題に使っていた赤ボールペンで指定された時刻と場所をメモする。赤い字がなんだか、あいつの血液のようで気持ちが悪かった。
「ごめんな。」
「なんでおにいさんが謝るんですか。」
「散々迷惑かけてただろうに、こんな終わり方で。」
それなら、階段から落ちたことにしといてくれよ。そしたら俺、あいつのことだからなあって思えましたよ。本当に、
「あいつ、馬鹿だから。」
いってしまって、「すみません。」とすぐに謝った。
「いいよ、あんずは馬鹿だもん。あいつより馬鹿なやつ、俺も知らない。振り回してごめんね。」
「……いえ。お兄さんがあやまることじゃねえし。」
「ごめん、ありがとう、じゃ、また。ほんとごめん。」
電話がぷつりと切れた。
宙を浮いたようなお兄さんの声は、ちゃんと俺の脳に着地しただろうか。
みんみんみん。みんみんみん。みんみんみん。
かたかたと、風で窓が揺れる音がした。窓の外は、これ以上なく晴れていた。
みんみんみん。みんみんみん。みんみんみん。
机の上の、小さな女の子が好きそうなクマの絵柄メモ帳はずいぶん前にあいつがくれたものだった。
みんみんみん。みんみんみん。みんみんみん。
ふわふわする頭の中、俺はつぶやく。
あいつが、死んだ。
高校三年生、夏休みの最終日、11時23分のことだった。

どうして、そこに向かっているんだ。
早く通夜に行かないと、始まってしまうのに。
制服に着替えて家を出た俺の足は、葬式場とは反対のほうと向かっていた。
角を左。そのもう二つ先の角を右に曲がる。
だから、戻らないとダメだって。ほら、あっちの時計見ろよ。電車いっちまったぞ。早く戻れよ俺の足。俺はあいつの死に顔を拝んでやるんだ。
体中に汗が湿って気持ち悪い。額から落ちる汗が、目に染みて痛い。
ああもう。
ついてしまった。
さくり、と踏まれた砂の音がする。音を立てずに、波は打ち寄せる。
あいつが大好きだった海に、来てしまった。
さくり。さくり。さくり。
ローファーが踏みしめる砂の柔らかさが、歩きにくくてたまらない。俺は右足の靴下を脱ぐ。いったんローファーの中に足を戻し、深呼吸をする。
ゆっくりと、足を砂に乗せる。
熱い。反射的に足が跳ねる。それでも、ぐっと踏み込む。
片足も同じように。熱い。やけどしちまうんじゃないか。
だけど、あいつの居場所を土足で踏みしめることに罪悪感を覚えるほど、俺はあいつが嫌いじゃなかったんだよ。
そこのビキニ姿の女子。その隣にいる、マッチョの海パン野郎。
よく焼けたゴーグル姿の男の子も、焼けないように顔以外隠しているワンピースの女も。
今日だけはそこをどいてくれないか。
ごめん、八つ当たりだってわかっているよ。だけどさ、今日だけ。
俺はあんずと、二人っきりでここにいたいんだよ。



なあ、あんず。
実は俺、お前のことずっと好きだったよ。
どうせ気づいていたんだろう。お前はそういうのに敏感だもんな。
だからお前は、俺にあんなにすり寄ったんだ。
外では猫なで声でおしとやかな顔しているけどさ、二人っきりにあると泣き散らかして。
彼氏が見てたらどう言い訳するつもりだったんだよ。
何で泣いているのかは教えてくれなかった。
だけど、一度だけちらりとセーラー服からのぞいた腹のあざを見て、何となく察した。
あいつは一年中、長そでを着ていた。
俺は利用されてたよ、知ってたよそんなこと。
だけどさあ、苦しみながらもがいて生きているお前を見ていると、お前が健気でたまらなかったよ。
唯一の居場所のここに、お前はなんども連れて行ってくれたよな。
俺が邪魔してもよかったの?
そう聞くと、お前は笑った。
風間なら、いいよ。
手をつないで、波打ち際を歩いた。冬も、春も、夏も。
秋まで、あともう少しだっただろう。一緒に、歩きたかったよ。
なあ、どうして一言も言わずにいっちまったんだよ。
言ってくれたら、俺は全力で止めたよ。まだお前と一緒にいたかったよ。
だからだよな。
だから、言えなかったんだよな。










あんずが、死んだ。














おれはやっと、現実に引き戻れたようだ。

気づいたら俺は、制服のまま、腰付近まで水につかっていた。
後ろを振り向く。
そこにはあんずはいない。

遊びに来ていたいろんな人たちが、動きを止めて俺を見ていた。
中年太りの男性が、「き、きみー!大丈夫かーい!」と声をかけてくれた。
だから俺は、「大丈夫でーす!今戻りまーす。」と返して、波をかき分けるように大股で陸地に戻った。

なあ、あんず。お前本当に馬鹿だよ。
サイズの合っていない優等生の制服着やがって。きゅうくつだっただろう。
早く脱いじまえばよかったのに。そしたら俺は、お前によく似合うワンピースでも選んで着せてやったよ。多分俺、少なくともお前よりセンスはいいよ。
一度猫かぶって、戻るのが怖かったのか?
人に嫌われるのが、怖かったのか?
俺にはわからない。
所詮、俺はあんずに都合よく扱われただけかもしれない。
それでも、俺以外の同級生には絶対見せない、矯正器具が見えるくしゃくしゃの笑顔が大好きだった。
いつか、あんずを堂々と守れる立場になって、いつもそれぐらい笑わせてあげたかった。
そのころには、矯正器具は外れていたのかな。



近いうちにまた来るよ、あんず。
8月30日は、どこに住んでても、何の仕事しててもここへ必ず来るよ。
お前よりずっと長く生きてやるから、何回でも来るよ。
そん時は、今日みたいに、杏色のきれいな夕日が見れるといいな。
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