彼と妹と私の恋物語…結婚2週間で離婚した姉が再婚できない理由…
重厚なマホガニーの扉が、音もなく静かに開いた。入ってきた林田翔の全身からは、まるで凍てつくような怒気が放たれている。
完璧に仕立てられた高級スーツも、その内に秘めた激情を隠しきれてはいない。革張りのソファに深く腰を下ろした彼は、値踏みするような冷たい視線で、正面に座る秋太を射抜いた。

応接室の空気は、鉛のように重い。壁にかけられた抽象画の色彩さえも、今は色褪せて見える。

「宗田副社長。私の妻に、一体何をしてくれたんですか」

静かだが、腹の底から響くような声だった。翔は懐から一枚の写真を出すと、ガラスのテーブルに音を立てて滑らせた。それは、先日美紀が秋太に突きつけたものと寸分違わぬ、悪意に満ちた構図の写真だった。

秋太は、テーブルの上の写真に一度目を落としただけで、すぐに翔の顔を見据え返した。ここで動揺を見せれば、相手の思う壺だ。

「林田社長。これは誤解です。この写真は、奥様が一方的に私に迫ってきたものを、私が振り払った瞬間を切り取ったに過ぎません」
冷静に、事実だけを告げる。だが、翔は鼻で笑った。

「誤解?言い訳はそのくらいにしたらどうですかな。妻は深く傷つき、怯えている。貞淑な彼女が、自分から既婚者の男性に迫るなど、あり得ないことだ」

その言葉に、秋太の心の中で何かが静かに燃え上がった。貞淑?あの嫉妬と執着に満ちた瞳のどこが。しかし、感情を爆発させるのは得策ではない。翔が本当に美紀を信じているのか、それともこれを口実に何かを狙っているのか、見極める必要があった。

「私が申し上げていることが事実です。これ以上、申し上げることはありません」

秋太の毅然とした態度に、翔は少し苛立ったように眉をひそめた。そして、芝居がかったため息をつくと、本題を切り出した。

「まあ、いいでしょう。本来であれば、これは警察に届け出るべき傷害事件であり、あなたのキャリアを終わらせるに十分なスキャンダルだ。しかし、私も鬼ではない。我々と御社は、長年の付き合いですからな」

翔は一度言葉を切り、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「この件は、示談で済ませてやろうと思います。慰謝料として、1000万。それから、現在共同で進めているベイエリアの再開発プロジェクト。あれの主導権は、完全にこちらに譲っていただきたい。もちろん、御社の出資比率はそのままでね」

やはり、そうか。
秋太は、腹の底に渦巻く怒りを、冷たい理性の氷で必死に押さえつけた。翔の目的は、妻の復讐などではない。最初から、金とビジネス上の利益が目当てだったのだ。美紀の歪んだ嫉妬心を利用し、宗田ホールディングスから甘い汁を吸おうという、卑劣極まりない計画。

「…それは、脅迫と受け取ってもよろしいですかな」
「人聞きの悪いことを言わないでいただきたい。これは、あなたの不貞に対する、誠意ある提案ですよ」

翔はソファから立ち上がると、見下すように秋太に言い放った。
「返事は3日以内に聞かせてもらおう。賢明な判断を期待していますよ、宗田副社長」


扉が閉まり、応接室に再び静寂が戻る。一人残された秋太は、固く握りしめた拳が、怒りと無力感で小刻みに震えているのに気づいた。会社を守るか、個人の尊厳を賭けて戦うか。どちらを選んでも、待っているのは茨の道だ。

そして何より、この醜い事実を、愛する妻、楓にどう伝えればいいのか。彼の心は、出口のない暗い迷路を彷徨っていた。

その夜、秋太は重い足取りで自宅のドアを開けた。

玄関まで迎えに来た楓の「おかえりなさい」という声に、まともに顔を合わせることができない。

柊を寝かしつけた後、リビングのソファで一人、グラスのウイスキーを傾ける。

琥珀色の液体に、翔の嘲笑う顔が浮かんで消えた。

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