【完結】春の庭~替え玉少女はお飾りの妻になり利用される~

10 子どもの私と、ピアノ教師クレバー夫人

 マティルダ様付きのメイドになってからは、使用人の大部屋から、屋敷の屋根裏部屋に部屋が移されていた。
 ベッドはなく毛布だけ。机もない小さな物置部屋だったけれど、一人しかいないので、調理場のかまどからもらってきた炭で床に鍵盤を描き、月明かりの中、夜通しピアノの練習をした。
 鳴り響くピアノの音が、私の頭の中で再生される。

 空腹も、殴られた痛みも、何も感じない……私は空想でどこまでもどこまでも飛んでいける。




「もう、嫌っ!」

 私と一緒にクレバー夫人のレッスンを受けていたミュリエル様が、泣きながら音楽室から飛び出して行った。

「ふーう。可哀そうなことをしたわね。いくらミュリエル様でも、あなたとの実力の差は嫌でも分かるでしょうしね」

 ミュリエル様はもうピアノを辞めたいと、マティルダ様に訴えたようだったが、『王女様も参加する発表会』まで辞めることを許されなかった。


 すると、厨房で1日一回もらえるパンとスープも「お嬢様のご命令でお前にやることは出来なくなったんだ」と言われて貰えなくなった。
 空腹でフラフラしていると、ミュリエル様につき飛ばされた。

「お前のせいでわたくしはピアノが嫌いになったわ! お前がわたくしからピアノを奪ったのよ!」


『何よこのきめ細やかな白い肌!ピンク色の唇、艶やかな銀髪……全部私のものだったのよ!お前が私から盗んだんだ!』母も私を盗人だと言っていた。

『なんて忌々しい! 生きていたなんて! とっくに野垂れ死んだと思っていたのに!』こう言ったのはマティルダ様。

『お前の美貌が憎い!憎い!お前なんて死んでしまえ!』これは母。


「お前なんていなくなちゃえ!」
 ミュリエル様の悲痛な叫びが響き渡る。


 私が生きているだけで、こんなに苦しむ人がいるのは何故だろう。

 どうしてみんな私の死を願っているのだろう。




「顔色が悪いわ。……また痩せた? ごはんは貰えているの?」

 鍵盤を力なくたたく私に、クレバー夫人が心配そうに声をかけてくれた。

「……私のせいね。」

 そう言って彼女は、私の殴られた脛の跡を悲しそうに見つめる。

「貴女のこの屋敷での立場はメイドから聞いたわ。私のしたことは貴女にとって、余計なことだったかもしれない。でも、もしピアノで身を立てることができれば、貴女はこの生活から抜け出せるかもしれない。私は貴女にその可能性を与えたいの」

 そう言って、毎週日持ちをする食料をこっそり、渡してくれるようになった。

 おかげでまだ、私は生き続けている。
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