【完結】春の庭~替え玉少女はお飾りの妻になり利用される~

36 ハワード子爵令息、クリスの過去③

 ハリーはあの『事故』以降も、バイオリンを続けていた。
 それが意外にも、そこそこの才能があった。
 音楽で生きて行けるほどではないが、貴族子息としては充分賞賛されるほどの実力があった。

 そして、嫡男としての仕事は私に丸投げしておきながら、自分の後継者としての地位はゆるぎないものだと信じているハリーは、あろうことか今度は途方もない夢を目指し始めた。


「お前さ~子爵家を継ぐことになったら、僕の側近から外れられると思ってるみたいだけど、そんな事、許さないからね」

「…それは公爵様がお約束されたことです」

「ははは! 父上を何歳だと思ってるの? 父上が死んだら自動的に僕が公爵になるんだよ? そんな約束、僕が認めるわけないでしょ」

 そうきたか。こいつはどこまで私を利用する気だ……
 主家の要請を、当主の父上は断らないだろうし、さてどうするか。

「くくく…いつも冷静なお前がそんな顔しちゃうんだ~」

 頭を巡らせる私に、何を勘違いしたのかハリーは嘲笑する。

「側近を外れたい?」

「……」

「なら、僕の夢を叶えてよ。僕さ~ブラクトンホールでコンサートしてみたいんだ」

 びっくりした。

 ブラクトンホールは音楽家の憧れの大ホール。
 そこでコンサートができれば一流と認められる……そんなところでハリーがバイオリンを弾くだって!?

「子どもだったお前も、さすがにあそこではコンサートをしたことなかったよね?」


 成る程、そういう理由ね……


「僕をあそこでコンサートできるようにしてよ。お金を払ってホールを借りるのはナシだよ。僕がバイオリニストとして人気になって、興行主から乞われてブラクトンホールでコンサートができるようにしてくれたら、お前を解放してやる。どう?」

「でしたら、その旨を記した契約書を取り交わして下さい」

 子どもだった私は、老公爵との口約束だけだったのは失敗だ。

「ははっ! 慎重になってきたねぇ~OKOK。本当にブラクトンホールで演奏できるんならちゃんと署名してやるよ」

「そして私にマネージャー業務を任せて下さい」

「いいよ~~頑張って僕を売りこんでね~」




 ハリーは到底叶えることができない事だろうと思って、これを条件にしたようだが、その蔑みが逆に私に火をつけた。

 不可能を可能にする、実に面白いじゃないか。



 公爵家後継者の業務なんて、私には簡単すぎて飽き飽きしていたし、私という宝の持ちぐされもいいところ。

 側近を強引に辞めるのは簡単だが、主家の恨みを買うのは、我がハワード子爵家としては得策ではない。弱小子爵家としては辛いところだが、我が家にマイナスになるような事は避けたい。
 波風を立てずに側近を外れて、尚且つハリーを次期公爵から引きずり落とし、権力で私を縛り付けたはいいが、息子の素行が悪すぎて今だに爵位を譲れない老いぼれに、一泡吹かせてやるには……



 私は早速、計画を立て始めた。
 あの●カをブラクトンホールで演奏させるのは癪にさわるが、一生ハリーの言いなりになるなんてウンザリだ。
 恨みも深いがそれ以上にさっさと側近を外れて、次のステージを目指したい。

 幸いハリーの演奏は平凡だが、容姿がいいからご婦人たちには人気が出るだろうし……
 しかし、もっと練習して腕を上げさせたいが、●カは女遊びに忙しい。
 となると……


 私は数々の小規模なコンサートを聴きに行く事にした。
 そこで目についたのは、最近話題のピアニストのコンサートだ。

「ミュリエル・アースキン……伯爵令嬢か」

 チケットが中々取れない人気ピアニストらしいが、ご令嬢の手習い程度だろうし、その人気は貴族だからか? 容姿が美しいからか? とあまり期待せずに聞きにいったのだが……




 ミュリエル嬢のコンサートは圧巻のひとことだった。


 魂をゆさぶられるような演奏に、終演後、しばらく席を立てないほど。

「伯爵令嬢か……それでは私の計画には使えない」

 そう思いながらも、彼女のコンサート通いが辞められない。
 毎回感動に震え、その旋律に没入していると、私の汚い計画など忘れてしまいそうになる。



 しかし、何回か通っているうちに違和感を感じるようになった。

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