聖くんの頼みは断れない

8・葉純ちゃんのピンチ

 葉純ちゃんはきっと下校しているだろうから、家に行こう。家には一度行ったことがある。やさしいママと、かわいいワンちゃんが私を迎えてくれた。
 聖くんの家とは正反対の方向だから、けっこう距離がある! でも、今すぐ葉純ちゃんとお話したい。だから、休んでいられないの。
 信号待ちのじれったい時間。その場で足踏みしながら待つ。青に変わった途端にまた走りだす。
 葉純ちゃんのことを信じているから、私は断ることができるって、伝えないと!
 息がきれてつらい。マラソンは苦手だから。でも、心が体を急かす。
 葉純ちゃんの家の近くまできた。あと少し……と思ったところで、小さな公園の砂場でうずくまっている女の子を見つける。同じ制服。少し頭をあげたところで、ツインお団子が見えた。葉純ちゃんだ!
 少し息を整えてから、砂場に近づく。
 そこで、様子がおかしいことに気づいた。葉純ちゃんはぶつぶつ言いながら、なにか手元で作業しているような……。
 うしろからそっとのぞき見る。どうやら、マッチを擦っているみたい。葉純ちゃんの手元が、あたたかな光で照らされる。
 葉純ちゃんの足元には、『アンデルセン童話集』が置いてあった。私が、クラスの子に返却を頼まれたとき、葉純ちゃんが代わりに持って行ってくれた本だ。
 本を地面に置くなんて……葉純ちゃん、そういう子じゃない、よね。
 やっぱり様子がおかしい!
 葉純ちゃんは、マッチの火をじっと見つめていた。
「ふふふ。イケメンにぃ、助けられちゃったぁ」
 いつもと違う声。低くて、じめっとしていて、恨みを含んでいるような。元気ではねるような葉純ちゃんの声じゃない。
 マッチの火が葉純ちゃんの指先に到達する前に、自然に火は消えた。熱くないのかな。
 葉純ちゃんは、すぐに新しいマッチを擦る。
「わぁ、仁愛ちゃんが、あたしの頼みごとを、なーんでも断らないで聞いてくれるぅ。やっぱりあたしがぁ、いちばんの親友だよねぇ」
 そこで私は気がついた。
 マッチ売りの少女だ。
 アンデルセン童話にあるマッチ売りの少女の物語は、貧困に苦しむ少女がマッチを売るんだけど、マッチは売れず、少女は寒さにこごえてしまうの。マッチを擦ってあったまろうと火をつけると、少女の目にはおいしい料理やあたたかストーブが現れて……最後は、少女のおばあちゃんが幻想としてあらわれる。
 せっかく現れた大好きなおばあちゃんの幻想を消すまいと、少女は残りのマッチを束にして火をつける。その火は、おばあちゃんが少女をつれて遠い空の彼方へ連れていくという幻想を見せてきた。
 その翌朝少女は、冷たくなった状態で発見される――悲しいお話なんだ。
 だからきっと、これはあやかしのしわざなんだ。マッチ売りの少女が、傷ついた葉純ちゃんを、どこかに連れていこうとしている!
「だめ、葉純ちゃん!」
 正面にまわって、大きな声をかける。
 葉純ちゃんは無反応。今は4月だというのに、葉純ちゃんはとても寒そうだった。青白い頬、血色感のない唇……。
「葉純ちゃん! 私の声が聞こえない? ねえ、おねがい!」
 また1本、箱からマッチを取り出して、葉純ちゃんは擦る。火がつくと、葉純ちゃんの瞳がオレンジ色に照らされる。
「遠いお空の向こうに行けば、もっと幸せな夢が見られるの?」
 だれかが、葉純ちゃんを連れていこうとしている!
「やめて、もうマッチを擦らないで!」
 葉純ちゃんからマッチを奪い取らないと! 私が近づこうとすると。
 ――まぁた邪魔がきた。
 とつぜん聞こえてきた少女の声と同時に、私の体が動かなくなる。葉純ちゃんに近づけない。
「えっ、なにこれ……」
 ――あの海で邪魔された者だよ。人魚姫がだめなら、マッチ売りの少女はどう?
「どう、じゃない! 結界をはったのにどうして出てこられるの?」
 ――カンペキなんて、この世にはないからね。探すのは大変だったけど、かならず抜け道はあるんだよ。
「くっ……!」
 くやしい。聖くんがはってくれた結界をやぶられるなんて!
 ――邪魔なんだよね、結界士が。
 聖くんのこと、憎んでいるみたい。
 私の動きを封じる力がぐっと増す。痛い。でも、葉純ちゃんを助けないと!
 葉純ちゃんは箱から残っていたすべてのマッチを取り出し、束にした。
 マッチ売りの少女では、おばあちゃんの幻想が消えないよう、最後はすべてのマッチを一気に擦るの。
 マッチがなくなって暖をとれなくなった少女に待ち受けるのは、死――!
 つまり、このマッチの束が擦られたら、葉純ちゃんは……死んじゃうかもしれない。
「だめ、やめて葉純ちゃん!」
 ――あんたと、あんたの友だちをみせしめにして、結界士をまた外に出られないようにしてあげる!
「葉純ちゃんをどこにも連れていかないで! 聖くんを傷つけないで!」
 ――願いなんて、叶わないことのほうが多いんだから。ね、あたしの目的のために協力して? あんた、断れないんでしょ?
 あざ笑うような言葉だった。
 私が、コンプレックスに感じていることにつけこんで、ひどいことを言う。この状況になっても、私が断われないとでも思っているの?
 そんなわけないじゃない。バカにして!
 私は、怒りでなにかが切れるのを感じた。もう、止められない。
「断るに決まってんでしょー! どいつもこいつもふざけんなー!!」
 私はもう、やりたくないことは断る。いい子ちゃんでいるのはやめるんだ!
 たいして仲良くない人からなにを言われても、どうでもいい。
 葉純ちゃんさえ守れたらそれでいい。
 あいかわらず、体は縛り付けられたように動かない。でも、動かすんだ!
「葉純ちゃんは、私が守る!」
 体がどうなってもいい、動け動け動けー!
 ――ひっ! なんだこの力は!
 ふっと体が軽くなる。押さえつける力がゆるんだ!
 私は力をこめて体を動かし、目の前でマッチの束に火をつけようとしている葉純ちゃんに覆いかぶさるように抱きついた。その瞬間、押さえつけられていた力がふっと消える。
 ぎゅうっと、葉純ちゃんを抱きしめる。ぜったいに離れるもんか。
「に、いな、ちゃん?」
 葉純ちゃんが、私の胸の中でくぐもった声を出す。声の調子も、いつもの葉純ちゃんに戻ったみたい。
 体を離して、しっかりと顔を見る。
 ぽかんとした表情の葉純ちゃんからは、悪意を感じなかった。
 よかった、もとの葉純ちゃんに戻った!
「ごめんね葉純ちゃん。葉純ちゃんのことを信じてるから、私はちゃんと断れるの。断っても、私のことを嫌わないって思ってるから! 葉純ちゃんが大好きだよ。いちばんの親友だよ!」
 私は、言いたいことを葉純ちゃんにぶつけた。
「……なんかさっき、どいつここいつもふざけんなーって聞こえたけど……仁愛ちゃん、けっこう口が悪いんだね」
 ふふ、っと笑う葉純ちゃん。
「もう、すごく危なかったんだから!」
「そうなの?」
 今の状況、わかってないみたい。
「葉純ちゃん、大丈夫? どこも痛くない?」
「うん、へーきっ!」
 葉純ちゃんは少し疲れた顔をしていたけど、元気そうだった。
「私の気持ち、わかってもらえた? 葉純ちゃんは大切な友だちだって、伝わったかな?」
 不安になって聞いてしまう。葉純ちゃんはあはは、と笑った。
「うん、なんかよくわかんないけど、伝わった。それに……あんな大きな声で怒り狂う仁愛ちゃんを見たら……私が頼みごとを断われなくなりそうだよっ!」
 なんてね、と葉純ちゃんは白い歯を見せて笑った。
「それはもう、忘れてほしいんだけど……」
 しばらく言われ続けそうだなぁ。
「でも、なんであたしはあの時、みょうに仁愛ちゃんにむかついちゃったんだろう? そんなに怒ることかな?」
 葉純ちゃんが首をかしげる。
「それは……」
 きっと、あやかしのせい。声がおかしかったのもきっとそうだ。知っていたのに、深く考えられなかった。くやしい。
 そういえば、聖くんも声に引っかかっている様子だったのに、私は葉純ちゃんに謝ることばかり考えて……。
 私って、ほんとダメだなぁ。
 自己嫌悪におちいっていると……。
 ――また、自分たちだけ幸せになって。ずるい! どうしていつもあたしは幸せになれないの?
 あやかしの声に、私たちは顔をあげる。目の前には……目が青くて金色の髪を持つ、私たちと同世代の少女が立っていた。ボロボロになった服。はだし。ぼさぼさの髪。まるで、アンデルセン童話から抜け出たみたいな女の子が、するどい目つきで、私たちをにらんでいた。
 この子が、人魚姫だったりマッチ売りの少女だったり、童話の登場人物にとりついて……?
 こちらをにらみつける目は、「話せばわかる」とは言えない迫力で……命の危険がありそう。
 私と葉純ちゃんは震えながらぎゅっと抱き合う。
 次は、なにをされるの? なんの力もない私が、葉純ちゃんを守れる?
 でも守らなくちゃ。大切な友だちなんだから。
 私ひとりじゃ無理かもしれないけど……聖くんがいれば。
 助けて、聖くん……! 守るって、言ってくれたじゃない。
 そのとき、公園がぱぁっと明るいオレンジ色の光に包まれる。まぶしさに目を閉じてしまう。
 目を開くと、聖くんが、私と葉純ちゃんを守るように立っていた。
 ピンク色の髪が、ふわふわとゆらめいている。
 ぬいぐるみじゃなくて、ほんものの聖くんだよ。
「大丈夫か、仁愛と……葉純とやら」
 私たちに背を向けたまま、顔を少しだけ向けて声をかけてくれる。
 どうやら私たちは、結界のドームに守られている、みたい。あやかしの女の子は、結界の外にいて、こちらを憎らしそうににらみつけている。
「聖く……」
「イケメンに、助けられた……!? これはマッチの幻想?」
 私の言葉におおいかぶさるように、葉純ちゃんの声が響いた。
「そんなこと言ってる場合じゃ……」
「しかも、葉純って呼び捨て!」
 私の言葉に聞く耳を持たず、葉純ちゃんは目をハート色に輝かせて聖くんの後ろ姿を見ていた。……こんな時でもイケメン強し。
「聖くんは、どうしてここへ……」
 葉純ちゃんをいったん置いておいて、聖くんに声をかける。
 ちらりと振り返り、申し訳なさそうに眉尻をさげた。
「悪い、声がヘンだったと聞いて、やっぱりイヤな予感がして後をついてきた。信号にひっかかって見失ったから、遅くなった」
「そうだったんだ、ありがとう……」
 私の言葉にうなずくと、今度はあやかしの目線にあわせてしゃがみこんだ。私たちを守る結界越しではあるけど、やさしい声で語りかける。
「自分の幸せは自分でつかめって言ったろ」
 ――だって! 幸せって簡単につかめないもん! あたしには無理!
「無理じゃないし、簡単にはつかめないから幸せなんだろ?」
 あやかしは、聖くんの顔をまじまじと見て、急に黙り込んだ。
 どうしたんだろう?
 少しすると、ようやくあやかしは口をひらいた。
 ――あんた、見ない間にずいぶんいい男に成長したのね。
 女の子は、聖くんに声をかけられてもじもじしている。もしかして、この子もイケメンには弱いのかな……?
 これはきっと、チャンス!
「あの、あやかしさん!」
 たまらず私は声をかけた。
 ――なによ!
 ひい、私にはあたりが強い!
「ええっと、よかったら、私と友だちにならない?」
 ――はあ?
 女の子は、眉間にこれでもかとシワを寄せて、目をかっぴろげて私を見る。こ、怖い……でも、ひるまない!
「だ、だって幸せじゃないから、こんなことするんでしょ。私とおしゃべりしてたのしい気持ちになったら、幸せになれるかもよ」
 ――思いのほか、自己肯定感高いんだね、あんた。
「お名前は?」
 ――名前なぞない!
「じゃあ……あやかしのアヤちゃん」
「おっ、いいね! かわいいっ! あたしも、アヤちゃんとお友だちになる~!」
 葉純ちゃんがよろこんでくれる。
 ――そこの女子、同調するな!
「女の子同士、みんなでたのしくおしゃべりしようよ」
 ――質問に答えろ! おい結界士、あたしが人間の世界に出ないようにさっさと結界をはれ! こいつらめんどくさい!
「だめ、聖くん。結界をはると話せなくなる。海に結界を張ったせいで話せなくなって、また暴れちゃったんだもん。そうだよね?」
「たしかに、結界があると会話は難しい」
 ――わかった、もう暴れません。信じてください! 放っておいてください!
「私、やりたくないことは断るって決めたの。アヤちゃんがなんと言おうと、お断りします」
 ――断わるな! こっちの希望を聞け!
「アヤちゃんてツッコミじょうずだね」
「漫才やれば? 聖先輩と」
「だれがやるか!」
 聖くんに断られたアヤちゃん、ちょっと傷ついた顔をしている。漫才、やりたかった?
「兄さーん、大丈夫~? メッセージ見てあわてて来たんだけど」
 自転車に乗った楓くんがやってきた。どうやら、聖くんが連絡していたみたい。
 ――また人が増えた!
「え、なになに? あやかしがいるのに、なんで楽しそうなの?」
 ――あーめんどくさいっ! やっぱ人間キライ!
 公園に、アヤちゃんの叫びがひびき渡った。
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