聖くんの頼みは断れない
7・よしよししてほしい!?
放課後、私はひとりで阿久津家に来ていた。楓くんは委員会の仕事があるから、今日は遅くなるって。
聖くんはもう帰宅したかな?
チャイムを押そうとすると……。
「来たのか、仁愛」
ふりかえると、フードをかぶった聖くんがいた。制服で、通学カバンも持っている。今下校したみたい。
顔色があまりよくなくて、ただでさえ白い肌が、透けそうなくらいになっている。ぜーぜーと息もあがっていた。
「しつこいヤツがいたから、走って逃げてきた」
なんてことなく、言う。でも、すごく、イヤな思いをしたよね。しつこくされるだなんて。
「どうした、この世の終わりみたいな顔して」
大きな門の脇の通用口から、聖くんが大きな庭に入っていく。私はそのあとをついていく。この世の終わりみたいな顔じゃなくて、泣きそうな顔だけど……。がんばった聖くんを見たら、なんだか泣けてきちゃったんだもん。
「聖くん! すごいよ、がんばったよ! えらいよ!」
すたすた歩く後ろ姿に声をかける。
「ま、俺にかかればこれくらい?」
振り向かず、聖くんは答えた。
ウソだ。ひとりが心細かったくせに。でも、それを見せない聖くんが、聖くんらしくもある。
お屋敷に入り、キッチンの冷蔵庫からコーラをとり、いつもの部屋にあがる。
「ねえ、どうして学校に……?」
疲れた様子で、聖くんはソファに身を沈める。キッチンからもってきた冷えたペットボトルのコーラのキャップをとって飲むと、ふーっと息を吐く。
「べつに……仁愛ががんばってくれているのを見て、俺も勇気が出ただけ」
赤いキャップをもてあそびながら、聖くんはうつむいたまま答える。
「そう思ってくれるのはうれしいよ。うれしいけど……」
「だいぶダルかったけど、たのしかったよ」
ようやく顔をあげて、聖くんは弱弱しい笑顔を見せた。
その言葉が本心かどうかわからないけど、これ以上私がなにか言うべきじゃない、と思った。
「あの、さ」
聖くんがなにか言いかけて、口を真一文字にむすぶ。
「どうしたの?」
「あ、いや……。断れない人に言っていいことじゃないから、いいや」
聖くんはコーラをまたぐいと飲んで、キャップをしめてテーブルにトンと置いた。
断れない人、という言葉に反応してしまう。だってお昼に葉純ちゃんのお願いを断って雰囲気が悪くなったばかりだもの。
「で、でも気になるな……」
「イヤだったら、断って。ほんとに。嫌わないから」
念を押すように言うので、私はうなずいた。
いったい、どんな頼みごとだろう?
「えっと……」
私は、聖くんの次の言葉を待つ。
そんなに言いにくいことなの? ちょっと怖くなってきた……。
聖くんは、もじもじしながらようやく口を開いた。
「よしよししてもらっていい?」
聖くんは、私と目をあわせずに言う。
「よしよし?」
はて、よしよしとはなんだっけ。頭の中で、聖くんのセリフと現象がうまく結びつかない。
「だからその、頭をなでてもらって、がんばったねーって言ってほしいっていうか……」
聖くんはフードで頭をかくした。
「あ、よしよしって、あの、よしよし?」
偉かったねー、って子どもの頭を撫でる、あれのこと。それを、私にしてほしいって!
想像しただけで、私は顔が熱くなる。まさかの頼みごとだった。
私の戸惑いを見て、聖くんは首を振った。
「ごめん、やっぱ忘れて。聞かなかったことにして。はい、なしなし! セルフでやりまーす」
強引に、会話を終わらせられた。聖くんは、机の上にあるくまのぬいぐるみの手を持って、自分の頭をよしよししている。か、かわいい……。
「子どもっぽいよな」
自虐めいた聖くんの言葉に、私は首を振る。
「そんなことない。聖くんは結界士として、楓くんのお兄ちゃんとして。ご両親がいない家を守ってる。そのうえ、学校でもあんな風にジロジロ見られたら、すごく疲れるよ」
きっと、聖くんはずっと気を張っていて、自宅についてようやくほっとしたんだ。でも、甘えられる親はいないし、これからもずっと、結界士として兄として、がんばり続けなくちゃいけない。
そう思うと、なんだか私の胸が苦しくなるよ。中学生なのに、無邪気でいられないなんて。
「そんな、たいしたことでもないけどな」
相変わらず、聖くんはなんてことないように言う。
「悩みに、たいしたことあるなしは関係ないって言ったのは、聖くんだよ」
私の言葉に、聖くんはほっとしたような笑顔を見せた。
「そうだよな。俺が言ったんだよな」
「そうだよ!」
はじめて見る、聖くんの少し弱った顔。私が、守ってあげたいって思っちゃう。ずっと笑顔でいてほしい。
「聖くんの頼みごと、断らないよ。断れないんじゃない。私が、よしよししてあげたいと思うだけから」
聖くんは、とまどうようにまばたきをして、私を見上げる。
私はソファに座っている聖くんに目線を合わせるように、しゃがむ。
そして、ゆっくりとフードをはずす。聖くんは、私と目を合わせないようきょろきょろと視線を動かすけれど、体は動かさなかった。
ゆっくり、やさしく、聖くんのピンク色の髪にふれる。
よしよし、とゆっくり撫でる。
「がんばったね」
私の言葉に、聖くんは泣いてしまいそうに顔をゆがめた。
「泣いたっていいんだよ」
「だれが泣くか」
すん、と聖くんの鼻から聞こえる。私はさらに、つややかな髪をなで続ける。
「ありがとう、仁愛」
赤くなった目じりを私に向け、聖くんがやわらかい声で言う。
「ちょっとは、元気出た?」
聖くんは、こくんとうなずいた。
もう、大丈夫そうだね。
少し乱れた聖くんの髪を整えてから立ち上がった。
あたたかい空気が流れる。聖くんが元気になってくれてよかった。
「ところでさ、仁愛もいつもより元気がない気がするけど、どうした?」
話題を変えるように、聖くんは心配そうな目線を私に向けた。
見抜かれてた。聖くん、よく見てくれているんだな。
ごまかしてもムダだろうなって思って、正直に話す。
「葉純ちゃん――お友だちと、ちょっと……」
私は聖くんのとなりに座り、お昼休みのことを話した。
聖くんは首をかしげる。眉間にしわを寄せていたけれど、すぐにぱっと表情を晴れやかなものにした。
「仁愛が簡単に断れる理由は簡単だ」
「わかるの?」
「それは、葉純とやらのことを、信用しているってことだろ?」
「信用……?」
「断っても、仁愛のことを嫌わないって。悪口をいいふらしたりしないって」
たしかに、そうかもしれない。葉純ちゃんはきっと、私のことを嫌いになったりしないって。まだ、3週間の友だち付き合いだけど、そう思う。
でも、葉純ちゃんにとっては、それはまるで「ほかの子にはやさしいのに、あたしには冷たいんだね」って勘違いされちゃうのも、わかる。ちがうのに。
「すごく怒っていて、いつもと声が違って聞こえるくらい、低くて怖くて……言い訳もできなかったんだよね」
今すぐ、あやまりたい。そして、誤解をときたい!
葉純ちゃんに会いたい。
「声が違う……?」
聖くんは何か引っかかっているようだったけど、私は構っていられなかった。
明日なんて言ってられない。すぐに葉純ちゃんとお話しないと!
こんな気持ちのまま、夜は過ごせない!
「あ、あの。今日はもう、帰るね! 葉純ちゃんに会いに行く!」
私はソファから立ち上がり、通学カバンを手に持った。
「じゃあね、聖くん!」
私は聖くんを振り返ることなく、そのまま家を出て、走った。
聖くんはもう帰宅したかな?
チャイムを押そうとすると……。
「来たのか、仁愛」
ふりかえると、フードをかぶった聖くんがいた。制服で、通学カバンも持っている。今下校したみたい。
顔色があまりよくなくて、ただでさえ白い肌が、透けそうなくらいになっている。ぜーぜーと息もあがっていた。
「しつこいヤツがいたから、走って逃げてきた」
なんてことなく、言う。でも、すごく、イヤな思いをしたよね。しつこくされるだなんて。
「どうした、この世の終わりみたいな顔して」
大きな門の脇の通用口から、聖くんが大きな庭に入っていく。私はそのあとをついていく。この世の終わりみたいな顔じゃなくて、泣きそうな顔だけど……。がんばった聖くんを見たら、なんだか泣けてきちゃったんだもん。
「聖くん! すごいよ、がんばったよ! えらいよ!」
すたすた歩く後ろ姿に声をかける。
「ま、俺にかかればこれくらい?」
振り向かず、聖くんは答えた。
ウソだ。ひとりが心細かったくせに。でも、それを見せない聖くんが、聖くんらしくもある。
お屋敷に入り、キッチンの冷蔵庫からコーラをとり、いつもの部屋にあがる。
「ねえ、どうして学校に……?」
疲れた様子で、聖くんはソファに身を沈める。キッチンからもってきた冷えたペットボトルのコーラのキャップをとって飲むと、ふーっと息を吐く。
「べつに……仁愛ががんばってくれているのを見て、俺も勇気が出ただけ」
赤いキャップをもてあそびながら、聖くんはうつむいたまま答える。
「そう思ってくれるのはうれしいよ。うれしいけど……」
「だいぶダルかったけど、たのしかったよ」
ようやく顔をあげて、聖くんは弱弱しい笑顔を見せた。
その言葉が本心かどうかわからないけど、これ以上私がなにか言うべきじゃない、と思った。
「あの、さ」
聖くんがなにか言いかけて、口を真一文字にむすぶ。
「どうしたの?」
「あ、いや……。断れない人に言っていいことじゃないから、いいや」
聖くんはコーラをまたぐいと飲んで、キャップをしめてテーブルにトンと置いた。
断れない人、という言葉に反応してしまう。だってお昼に葉純ちゃんのお願いを断って雰囲気が悪くなったばかりだもの。
「で、でも気になるな……」
「イヤだったら、断って。ほんとに。嫌わないから」
念を押すように言うので、私はうなずいた。
いったい、どんな頼みごとだろう?
「えっと……」
私は、聖くんの次の言葉を待つ。
そんなに言いにくいことなの? ちょっと怖くなってきた……。
聖くんは、もじもじしながらようやく口を開いた。
「よしよししてもらっていい?」
聖くんは、私と目をあわせずに言う。
「よしよし?」
はて、よしよしとはなんだっけ。頭の中で、聖くんのセリフと現象がうまく結びつかない。
「だからその、頭をなでてもらって、がんばったねーって言ってほしいっていうか……」
聖くんはフードで頭をかくした。
「あ、よしよしって、あの、よしよし?」
偉かったねー、って子どもの頭を撫でる、あれのこと。それを、私にしてほしいって!
想像しただけで、私は顔が熱くなる。まさかの頼みごとだった。
私の戸惑いを見て、聖くんは首を振った。
「ごめん、やっぱ忘れて。聞かなかったことにして。はい、なしなし! セルフでやりまーす」
強引に、会話を終わらせられた。聖くんは、机の上にあるくまのぬいぐるみの手を持って、自分の頭をよしよししている。か、かわいい……。
「子どもっぽいよな」
自虐めいた聖くんの言葉に、私は首を振る。
「そんなことない。聖くんは結界士として、楓くんのお兄ちゃんとして。ご両親がいない家を守ってる。そのうえ、学校でもあんな風にジロジロ見られたら、すごく疲れるよ」
きっと、聖くんはずっと気を張っていて、自宅についてようやくほっとしたんだ。でも、甘えられる親はいないし、これからもずっと、結界士として兄として、がんばり続けなくちゃいけない。
そう思うと、なんだか私の胸が苦しくなるよ。中学生なのに、無邪気でいられないなんて。
「そんな、たいしたことでもないけどな」
相変わらず、聖くんはなんてことないように言う。
「悩みに、たいしたことあるなしは関係ないって言ったのは、聖くんだよ」
私の言葉に、聖くんはほっとしたような笑顔を見せた。
「そうだよな。俺が言ったんだよな」
「そうだよ!」
はじめて見る、聖くんの少し弱った顔。私が、守ってあげたいって思っちゃう。ずっと笑顔でいてほしい。
「聖くんの頼みごと、断らないよ。断れないんじゃない。私が、よしよししてあげたいと思うだけから」
聖くんは、とまどうようにまばたきをして、私を見上げる。
私はソファに座っている聖くんに目線を合わせるように、しゃがむ。
そして、ゆっくりとフードをはずす。聖くんは、私と目を合わせないようきょろきょろと視線を動かすけれど、体は動かさなかった。
ゆっくり、やさしく、聖くんのピンク色の髪にふれる。
よしよし、とゆっくり撫でる。
「がんばったね」
私の言葉に、聖くんは泣いてしまいそうに顔をゆがめた。
「泣いたっていいんだよ」
「だれが泣くか」
すん、と聖くんの鼻から聞こえる。私はさらに、つややかな髪をなで続ける。
「ありがとう、仁愛」
赤くなった目じりを私に向け、聖くんがやわらかい声で言う。
「ちょっとは、元気出た?」
聖くんは、こくんとうなずいた。
もう、大丈夫そうだね。
少し乱れた聖くんの髪を整えてから立ち上がった。
あたたかい空気が流れる。聖くんが元気になってくれてよかった。
「ところでさ、仁愛もいつもより元気がない気がするけど、どうした?」
話題を変えるように、聖くんは心配そうな目線を私に向けた。
見抜かれてた。聖くん、よく見てくれているんだな。
ごまかしてもムダだろうなって思って、正直に話す。
「葉純ちゃん――お友だちと、ちょっと……」
私は聖くんのとなりに座り、お昼休みのことを話した。
聖くんは首をかしげる。眉間にしわを寄せていたけれど、すぐにぱっと表情を晴れやかなものにした。
「仁愛が簡単に断れる理由は簡単だ」
「わかるの?」
「それは、葉純とやらのことを、信用しているってことだろ?」
「信用……?」
「断っても、仁愛のことを嫌わないって。悪口をいいふらしたりしないって」
たしかに、そうかもしれない。葉純ちゃんはきっと、私のことを嫌いになったりしないって。まだ、3週間の友だち付き合いだけど、そう思う。
でも、葉純ちゃんにとっては、それはまるで「ほかの子にはやさしいのに、あたしには冷たいんだね」って勘違いされちゃうのも、わかる。ちがうのに。
「すごく怒っていて、いつもと声が違って聞こえるくらい、低くて怖くて……言い訳もできなかったんだよね」
今すぐ、あやまりたい。そして、誤解をときたい!
葉純ちゃんに会いたい。
「声が違う……?」
聖くんは何か引っかかっているようだったけど、私は構っていられなかった。
明日なんて言ってられない。すぐに葉純ちゃんとお話しないと!
こんな気持ちのまま、夜は過ごせない!
「あ、あの。今日はもう、帰るね! 葉純ちゃんに会いに行く!」
私はソファから立ち上がり、通学カバンを手に持った。
「じゃあね、聖くん!」
私は聖くんを振り返ることなく、そのまま家を出て、走った。