義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく【長編版】
 ***

 
 夜、港区の高層マンションの一室。
 リビングの照明は仄暗く、窓の向こうには眠らない街の灯が滲んでいた。

「律〜〜。待ってたわよ」

 甘く湿った声に、いつもながら吐き気がする。
 ロングヘアの女は、ソファに横たわるようにして片脚を高く組んでいた。
 黒のキャミソールに、艶めく肌。黒い布が太ももをわずかに隠すだけで、その下から伸びる白い脚線が際立って見えた。
 年齢不詳の美貌。華奢なのに曲線的で、どこか肉感のある身体つき。
 そして何より、笑みの奥に覗く底なしの欲──。

 律は無言で近づき、茶封筒を差し出した。

「……ほら、今月の分」
「ありがと〜〜っ。ほんっとうに、律はいい子ね」

 指先が封筒に触れたのと同時に、女の白い手が律の手の甲を撫でるように滑った。

「さわるな」

 否定の声に、女はわざとらしく口を尖らせる。

「あん! なによぉ。アタシにそんな態度取っていいわけぇ?」

 律は奥歯を噛みしめた。こいつはわかっていてやっている。
 女は、自分が律にとって〝切れない鎖〟であることを、心から楽しんでいた。
 睨み返しても意味はないとわかっている。
 この部屋では、理屈も正しさも役に立たない。
 
「そうだ。今月、もうちょっと足りないのよねぇ……」
「もう、充分だろ。これ以上は──」
「お姉さんがどうなってもいいの?」

 くっきりとした紅を引かれた唇が、嫌なほど動く。
 その一言が、律の動きを封じる。
 皮膚の下に、冷たい血が逆流するような感覚。
 女の笑みは、まるでそれを計算していたかのように深くなった。
 
 この女の存在は、ただの足枷でしかない。
 毒に満ちた女の口から、菜月の名前が出ることすら耐えられない。

 女はソファにもたれながら、脚を組みかえる。
 その動きすらも腹が立つ。
 律は拳を握りしめ、視線を逸らした。
 その足元に、何も知らない菜月の未来が、ゆっくりと絡め取られていくようだった。
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