義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく【長編版】
 そして、二人で協力して作ったシチューが出来上がった。
 夕飯の時間になり、内村さんは「まあ」と目を丸くしてから、嬉しそうに食べてくれた。
 何度も頷きながら「懐かしい味ね」と言ってくれて、それだけで心があたたかくなった。
 律も、おいしそうに食べてくれている。三人で食卓を囲んで、久々に家族の食事ができた気がする。
 やがて内村さんは帰っていった。
 仕事で遅くなる養父の分は、ラップをして冷蔵庫に入れておいた。
 二人で食器を下げていると、律がぽつりと言った。

「今日のシチュー、兄さんが好きだったやつだよね」
 
 その声は、少しだけ寂しそうで。
 振り返ると、律はシンクの縁に寄りかかり、どこか所在なさそうな表情をしていた。

「……うん」
 
 彰人さんが亡くなってから、このメニューを作ることはなかった。
 そもそも家に戻ってきてからは、内村さんが全部やってくれていたし、私自身、料理をする余裕もなかった。
 
「兄さんは、もういないのに……?」
 
 ぽつりと落とされた律の言葉に、息が止まった。
 返す言葉が見つからず、私は思わず視線を落とす。
 しまった、という顔をした律が、慌てて口を開きかける。
 
「……ごめ──」
「律も好きでしょっ?」
 
 被せるように言って、私は無理やり笑顔を作った。
 あまり考えないように軽く、いつも通りみたいに。
 
「う、ん……。好き……」

 律の言葉に私は小さく頷いて、返事の代わりにもう一度だけ笑う。
 そうしないと胸の奥に溜まったものが溢れてしまいそうで。
 ごまかすように振り返って、洗い物を始める。
 蛇口をひねると、水の音が一気に広がった。
 食器同士が触れ合って、かちゃりと音を立てる。
 それに紛れるように、私は小さくため息をついた。
 大丈夫。泣いてなんか、いない。
 ただ、指先が少しだけ冷たくて。
 水の温度がわからなくなっただけだ。

 律が貼ってくれた絆創膏が剥がれかけている。
 直そうと手を止めた瞬間、背中にぬくもりが触れた。
 律の手が、後ろからそっと伸びてきて、抱きしめられた。
 
「……俺がいるよ」

 耳元で静かな声が響いた。
 
「ありがと、律」
 
 反射的に、そう返していた。
 慰めてくれているのだと思ったし、その言葉がありがたかったのも本当だ。
 
「俺が……いるから……」
 
 もう一度、言葉が重ねられる。

「律……?」
 
 呼びかけると、律は答えなかった。
 抱きしめ方が、どこか不安そうで。
 ……寂しいのは、私だけじゃない。
 彰人さんがいなくなったこの家で、律もまた、同じ空白を抱えているのかもしれない。
 そう思うと、無理に振りほどくことができなかった。
 私は洗い物を続けながら、律の腕の中にいる自分をそのままにしていた。
 その温もりが、今はただ少しだけ、切なかった。
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