義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく【長編版】
「どうやってビルに入ったんですか? あそこに入るには、社員証が必要なはずです。非常階段もビル内だから、例外ではありません。あなたは、あのビル内の企業に勤めているのですか?」

 宝堂の本社ビルは、関係者以外が簡単に出入りできる場所ではない。グループ企業や提携先が入居しているとはいえ、入館時には必ず社員証をかざす仕組みだ。

「ハッ……。そんなわけないじゃない」
 
 吐き捨てるような声。
 
「あんたはいいわよね。宝堂のお嬢様っていうだけでチヤホヤされて、みんなに守られてさ」
 
 彼女からは、私に対して明らかな敵意が滲んでいた。
 
「おもしろかったわ……。彰人くんも律も、あんたの名前を出してちょっと脅せば言うこと聞くんだもの……ああ、おかしい」

 くくっ、と喉を詰まらせるように笑いを堪えながら喋る彼女を、私はしばらく理解できずに見ていた。何を言っているのか、言葉の意味が頭に入ってこない。
 けれど、その笑い声が耳に残ったとき。そこでようやく、はっきりとわかった。
 胸の奥が抉られるようだった。誰かの死も誰かの苦しみも、すべてを駒のように扱う声音に、私は初めて怒りを覚えた。
 いや、彼女にではない。これは多分、不甲斐ない私自身に対してだ。
 拳を握りしめても、何もできない、自分。
 追い打ちをかけるように、彼女は唇の端を歪ませた。
 
「……この際だから教えてあげる。あんたを車で狙うように言ったのはアタシ」
「なんでそんなことを……!」
 
 律が、衝動を抑えきれないように田口茉莉乃の胸ぐらを掴む。
 掴んだ手が、わずかに震えていた。
 出口さんが、反射的に一歩踏み出す。
 
「ちょっと脅しただけよ! ……温室育ちのお嬢様が、少し痛い目を見れば良かったのよ!」

 そんなやりとりのそばで、軽井沢さんが青い顔をして呟いた。
 
「ちょっと待て。社員じゃないのにビルに入った……?」

 その言葉に、ハッとする。

「まさか……。このビルに出入りする誰かが、共犯ということですか!?」
「……おい! 誰なんだ!」

 律が、再び田口茉莉乃に詰め寄る。
 しかし、彼女はツンとした顔で顔を背けた。
 
「フン、知らないね」
「おいおい……。宝堂グループに提携企業、合わせて何人いるんだよ……」

 出口さんが頭を抱える。
 
 社員証を持つ人間。
 このビルに正当に出入りできる誰か。
 田口茉莉乃は、追い詰められているはずなのに、どこか落ち着いていた。
 その違和感が、何か引っかかる。

 そのとき、扉が開き誰かが入ってきた。
 
「御影、先生……お父様……?」
「どうしてここに……?」
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