義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく【長編版】
 ……結果、一組の夫婦が死亡。それが、私の両親だった。
 父と母は取引先を回る途中で事故に遭い、そのまま帰らぬ人になった。
 幼かった私は、誰に説明されても理解できず、ただ泣くしかなかった。

 両親の車に衝突したのは、当時宝堂グループの関連会社に勤めていた男性社員だったという。
 その日は徹夜明けで、ろくに休まずに車を走らせていたらしい。居眠りか、あるいは注意力の欠如か……。いずれにせよ故意ではなく、ただの過失だった。だが、その過ち一つが、私の人生を決定的に変えた。

 夫婦の乗った車は衝撃で大破し、二人とも即死に近い状態だったという。一方で、彼は軽傷で済んだ。
 よく聞く交通事故の構図。だが、その先が問題だった。

 当時、宝堂グループは資金繰りの悪化や取引先の離反で揺れていた。
 そこに飛び込んできた「社員が引き起こした死亡事故」の知らせ。
 報道されれば、企業全体が揺らぎ、再建どころではなくなる。
 養父はかなり迷ったらしい。このままでは、社員も路頭に迷ってしまう。

 事故は、細かな過失は伏せられ、男性社員は早急に配置転換され、事故記録も必要最低限のものだけが残された。
 「もみ消し」と呼ばれて当然の処置だった。
 平穏のために真実を隠し、誰か一人に重荷を背負わせる。それが正義かどうか、私にはいまでもわからない。
 養父は、罪滅ぼしのように私を引き取った。
 しかし、事故の詳細を私に知られることを恐れ黙っていることにした。
 事故を起こしたのが、両親の命を奪ったのが、宝堂グループの社員と知られれば、その上事故をもみ消したことを知られれば、きっと恨まれると。

 二十年前から胸の奥に沈んでいたものが、ようやく形を持った気がした。

「すまない、菜月ちゃん。これに関しては俺も同罪だ。当時、宝堂グループを助けるために、いろいろ龍樹と根回ししたからな……」

 軽井沢さんは、運転しながら前を見て謝罪して。
 向こうの方にある、過去という遠い遠い記憶を見つめているようだった。

「……両親の事故の詳細が聞けてよかったです」

 私も、彼と同じ方向を見た。
 幼い頃の自分の姿が、浮かび上がってくるようだった。
 
「確かに、もみ消したことはいいことではないのかもしれません。でも……」

 幼い頃の記憶は、ところどころ欠けている。
 事故の前のことも、両親の顔も、もうはっきりとは思い出せない。
 覚えているのは、泣いていた私の手を、軽井沢さんが黙って引いてくれたこと。
 大きな家に連れていかれて、「大丈夫だよ」と言われたこと。
 理由も事情もわからないまま、ただ生きる場所だけが、先に与えられた。
 
「それで宝堂グループは助かった。お父様は助かった。それで、いいんだと思います」
「菜月ちゃん……」
「だって、両親もお父様も、どっちも助からなかったら、身寄りのない私はどうなっていたかわかりません。今まで育ててもらった感謝こそすれど、恨む筋合いなんて、まったくないです」

 お父様、彰人さん、律、内村さん。宝堂家のみんなは、私をあたたかく迎えてくれた。
 彰人さんが亡くなったことを除けばこの二十年、私は何不自由なく幸せに暮らしてきた。
 
「お父様も、軽井沢さんもバカですよ……。ほんと」

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