愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う

第6話


道中の宿屋で一泊した私は、翌日の昼前にはブラシェール伯爵領にある領邸へと到着することが出来た。


「ようこそお越しくださいました。この屋敷を任せていただいております、シェルダーと申します。それと、こっちが私の家内のエルダです」

シェルダーと名乗った少し恰幅のよい口ひげを生やした男が、この領邸を切り盛りしているらしい。人の良さそうな笑顔が見ていて感じが良い。エルダと紹介された女性も大人しそうだが、しっかりとしていそうだ。

「挨拶に来るのが遅れてしまって本当に申し訳なかったわ。デボラと言います、これからよろしくお願いしますね」

「旦那様が近衛騎士として忙しいのは十分理解しております。奥様だけでも領民に顔を見せていただけると、皆、喜びます」

シェルダーの言葉を信じるのなら、私は歓迎されているということだ。私だけでもここに来て良かった。心からそう思った。


「領地の管理人はどこかしら?」
私の言葉を待っていたかのようなタイミングで、私が背にしていた玄関の大きな扉がバーン!と開いた。私は思わず振り返る。

「奥様が到着したと……聞いたのですが……ゴニョゴニョ……」

私の姿を見て、最初の勢いは何処へやら。だんだんと声が小さくなっていく男性。

シェルダーがその彼に指先を向けた。

「あぁ、丁度良かった。今話に出ていた管理人のロベルトです」

ロベルトと紹介された男性は帽子を取ると勢い良く頭を下げた。

「はじめまして!ロベルトと申します。この領地を任されております。以後お見知り置きを!」

「頭をあげて?ロベルト。貴方が書いた報告書は王都で見せてもらいました。凄く要領よく纏められていたわ。とても優秀なのね」

彼はまたもや勢い良く頭を上げた。

「お、奥様に褒めていただけるなんて!ありがとうございます!」

くりくりの赤い巻き毛に丸眼鏡。走って来たのか、ほんの少し赤みを増した頬には、そばかすがチラホラと見える。

「貴方……凄く若く見えるけど、いくつなの?」

すると、ロベルトは心なしかションボリした。

「僕……いつも凄く若く見られるんですが、もう今年で三十歳になるんですよ……この丸顔が良くないんですかね……」

あらあら。彼は若く見られることにコンプレックスを持っているようだ。

「気にしていたのならごめんなさい。女性は若く見られることを喜ぶけれど、男性はそうではないのね。勉強になったわ」

「いえ!この顔のせいで舐められることも多いですが、僕は自分の仕事には自信がありますから!」

明るく言ったロベルトに私は笑顔になった。彼には好感が持てる。

「それが一番ね。顔で仕事をするわけじゃないもの」

「確かに!でも……奥様は僕が纏めた報告書を見た……と仰っておりましたが、もしや帳簿も読めたりするので?」

「ええ、少しなら。領地経営については勉強したの。貴方のような専門家には遠く及ばないけれど」

ブルーノを少しでも手助け出来る妻でありたかった。彼と夢見た理想の領地に近づけるよう尽力するつもりだった私は、女だてらに領地経営を学んでいた。
父も母も兄も渋い顔はしたが、私を止めることもなかったので、好きにさせて貰っていた。

「いやー!素晴らしいですね!何なら帳簿も見ていかれますか?僕の周りにはむさ苦しいおっさんばかりで、飽き飽きして……」

「ウオッホン!」

ロベルトの言葉に、シェルダーは分かりやすく咳払いしてみせた。舌を出すロベルト。その様子は確かに幼く見えなくない。

ここの雰囲気は悪くない。だけど、私には気になることがあった。

この領地を馬車の窓から眺めていた私の目に、ここは活気がないように映ったのだ。


元々ブラシェール伯爵領というのは、他の伯爵の持ち物だった。その伯爵が没落し、王家預かりの領地になっていたものを、十数代前のハルコン侯爵が褒美としてブラシェール伯爵の爵位とこの領地を当時の陛下から賜ったと聞いている。

私とハロルドは書斎へと場所を移すと、彼は私の前に帳簿をドンッ!と置いた。

「こちらが、旦那様がブラシェール伯爵になってからの帳簿、こちらが、ハルコン侯爵家で代理として管理していた時のもの。で、こっちの古いのが……前回のブラシェール伯爵が治めていた時のものです」

「こんなに……。流石に今日一日で確認するのは無理ね。とりあえずここ三カ月のものから見せてもらおうかしら」

私はそう言ってレニー様がここの領主になってからのものに手を伸ばす。

三カ月分。ハロルドによって綺麗に纏められた帳簿には無駄もなく、直ぐに確認は終わった。……しかし……。

「帳簿としてはとても素晴らしいわ。でも……なんて言うのかしら……こう……」

「物足りない?」
私に補足するようにハロルドが言葉を添えた。

「そうね。この領地の広さ、領民の数……それを考えるともう少し収入があっても良さそうなものだけど……」

「正直に言いますね」
ハロルドはそう前置きをして一呼吸置いて言った。

「ここには格段特徴がありません。主な収入は農産物によるものですが、どれもこれもパッとしません」

ハロルドは言いにくいであろうことをスッパリと言った。

「なるほどね。『コレ!』と胸を張って誇れるものがない……と」

「そういうことです。今まではハルコン侯爵家と一緒くたに管理してきたので、あまり目立ちませんでしたが、ここ三カ月の帳簿にはそれが顕著に表れています。伯爵領としては及第点でしょうが、それ以上でもそれ以下でもありません」


「蓄えはどれくらい?」

「カツカツとは言いませんが、水害や干ばつが起これば一発で窮地に陥ります」

私はそれに驚いていた。

「今まではどうしていたのかしら?」

「正直ハルコン侯爵家の収入で補填していました。例えば数年前の雨不足による農作物の不作の時も、十数年前の大雨の水害で橋が流された時も、です」

「そうなの……なぁなぁになっていたということね」

「今まではそれで問題はなかったのです。結局はハルコン侯爵家の持ち物と同義でしたから。でもこれからはそうはいかない、ブラシェール伯爵という立派な領主が居ますからね」

最後の言葉が少しだけ嫌味っぽく聞こえた。

「貴方……レニー様のことをあまり良く思っていないのね。それはレニー様がここに一度も訪れていないことが原因かしら?」

私はそう言って微笑んだ。ハロルドは少しだけ躊躇ったあとに言った。

「領民は何となく肩身の狭い思いをしていたんですよ。ブラシェール伯爵領という名前はあれど、実際にはずっと領主は不在。ハルコン侯爵領のおまけみたいな……そんな感覚です。
自分たちの訴えを聞いて欲しくても、ハルコン侯爵領の民が優先で、自分たちは二の次、三の次。そんな生活から解放される!やっと領主が出来た!そう思っていたのに、肝心の御本人はお忙しいのか、領民に顔を見せにも来ない」

ハロルドは悲しそうに目を伏せた。そして、再度頭を上げて私を見る。

「だけど、領民は不満を言ったりしていません。何故かわかりますか?」

「いいえ。教えてもらえるかしら?」

「慣れっこだからですよ。どうせ自分達は忘れられた存在なのだと、そう皆が考えているからです」

諦め……それが馬車の窓から見た、領民達の表情の原因だったのだと、私は思い知った。
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