愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う

第82話

「ご無沙汰しておりました」

レインズ伯爵邸に足を踏み入れたのは、私だけだった。
元々、私だけがここに来る予定だったため、おじ様の手紙には私の来訪しか伝えていない。レニー様に「でも、ご一緒に……」と誘ってはみたが、おじ様の性格も考えて、レニー様は馬車で待つという選択肢を選んだ。

「おお、やっと来たか」

おじ様に促され、私は椅子に腰掛けると手土産を渡した。

「おじ様のお陰で出来たうちのジャムです」

「ふん。噂に聞いていたのに全然持って来ないで……待ちくたびれたぞ」

おじ様は大袈裟に不貞腐れてみせた。私は苦笑する。

「申し訳ありません。結果を出すまで顔を出すことを躊躇っておりました。でもこのジャムの件がおじ様のお耳に届いていたなんて」

「王都におらずとも、情報は幾らでも入ってくる。……中々美味しそうだ」

おじ様はジャムの瓶を自分の目の前に翳しながら眺めていた。

「自慢の品です。おば様と是非ご一緒に」

「食べるのが楽しみだ。……さて、ここに来たということは目的を果たしたという事で間違いないな?」

コトンとジャムをテーブルに置いたおじ様は私の顔を見て微笑んだ。── きっとおじ様は私があの土地を手に入れた経緯も知っているのだろう。

「ええ。まぁ少し小狡い手ではありましたが、なんとか」

「ハハハ。別に手段に条件はない。天が味方した……それもデボラの手柄だ」

「やはりご存知でしたか」

私の言葉におじ様はウンウンと小さく頷いた。

「さて、折角だ……一勝負といこうか」

「もちろん、お相手いたしますわ」

おじ様が私をチェスに誘う。まだ何か私と賭けをしたいのかもしれない。


私とおじ様はチェス盤を挟み、穏やかに勝負を始めた。コトン、コトンと駒を置く音が響く。

「ところで。デボラもすっかり伯爵夫人が板についたようだな」

おじ様は手の中でポーンの駒を遊ばせながら、私の顔を見た。

「そうでしょうか?自分ではよくわかりません」

私はナイトの駒を進めながら小さく首を傾げた。

「前回ここに来た時には……まるでハリネズミのようだったがな」

「ハリネズミ?体が棘で覆われているあの動物ですか?」

私はおじ様が何を言いたいのか分からずに、手を止めておじ様の真意を探るように、その瞳の奥をジッと見つめる。

「一人で戦っているようだったよ。攻撃されても体を丸め誰にも頼らず身を守ろうとしているような。だが、今は……そうだな……表情が柔らかくなった」

私は無意識に自分の頬に触れる。私は変わったのだろうか?

「肩に力が入っていたということでしょうか?」

「そうだな。少しは頼れるようになったか」

そう言っておじ様の置いた駒は、負けの一手だった。

「チェックメイト……おじ様、私を勝たせてどうなさりたいのです?」

私は駒を置くとおじ様の答えを待つ。わざと負けたのだから、何かさせたいのだろう。

「一緒に来ているのだろう?デボラが背を預けても良いと思った男に会ってみたいと思ってな」

おじ様には全てお見通しなのかもしれない。私は思わず微笑んだ。

「お手柔らかにお願いしますね」

私はレニー様を迎えに行くために立ち上がる。私の言葉に、おじ様は「私の娘を任せられる男かどうか、見極めねばならんからな。厳しく採点させて貰うよ」と少し意地悪そうな笑顔を見せた。


「はじめまして……ではないんですが、きっと伯爵は覚えていらっしゃらないでしょう」

レニー様は緊張の面持ちでおじ様にそう言って挨拶をした。

「会ったのはまだ君が学園の生徒だった時だな。学長室に案内してもらったのを覚えているよ」

おじ様はそう言ってニヤリと笑う。レニー様は少し驚いたように目を丸くした。

「覚えてくださっていたんですね」

「もちろん。頭はしっかりしているからな。悪いのは脚だけだ。君のような目立つ少年は忘れないよ。さぁ、座って」

レニー様と私はおじ様に促され長椅子に腰掛けた。
隣に座るレニー様が緊張しているのがわかる。

「あの……まずはお礼を。ブラシェール伯爵領の為に砂糖を融通してくださったと── 」

レニー様が礼を述べるとおじ様は小さく首を振った。

「私も商売人だ。可能性のないものに投資しない。それに私はデボラに賭けたんだ、決して君の為ではない」

「それは承知しています。ただ感謝を伝えたくて……」

「ならば怖がらずデボラと一緒に来れば良かったたろう?……まぁ、私に気を使ってくれたということかな。偏屈なのは自覚している」

おじ様は苦笑いだ。レニー様はおじ様に小さく頭を下げた。

「気を悪くされたのなら謝ります。伯爵が面識のない人物を警戒しているとお聞きしたことがあったので」

レニー様のストレートな物言いに私は少しハラハラしたが、返っておじ様は面白そうに笑った。

「ハハハハハ!面と向かって私にそれを言った者ははじめてだ。デボラ、彼は面白いね」

「アハ……アハハ。レニー様はあまり嘘が得意ではなくて……」

私は笑って誤魔化した。しかし、おじ様はスッと笑顔を消してレニー様を真っ直ぐに見つめた。

「しかし……その嘘をつけない人物に嫁いだデボラが、前回私の所へ来た時にはずいぶんと気負って現れたんだがな。……何がデボラをそうさせた?」

おじ様の射抜くような視線をレニー様は真正面で受け止めている。

「それは全て僕が原因です。ブラシェール伯爵となった覚悟も誇りも全て他人事のように思っておりました。── いつまでもハルコン侯爵家の次男で剣の腕だけが自慢の甘ったれだった僕が彼女に全てを背負わせたのです。それに……僕は最初、デボラを見ようともしていなかった。全ては僕の責任です」

正直、ブラシェール伯爵領を良くすることにワクワクしていたと自分では思っていた── つもりだった。しかしおじ様の目には私はずいぶんと思い詰めていたように映っていたのかもしれない。

「ふむ……。まぁ夫婦のことにあまり口を出すのも無粋だと私も理解している。犬も食わないというしな。反省しているのならもう何も言うまい。それに今のデボラは幸せそうだ」

「……おじ様……」

おじ様は私の方へと顔を向け微笑んだ。瞳の中私はほんの少し泣きそうな顔をしている。

「レニー殿、デボラはこの気難しい男のチェスの相手をしてくれる、極めて稀有な存在だ。── 大切にしてやってくれ」

おじ様の顔にブルーノの顔が重なる。まるでブルーノがレニー様に『大切にしろ』と言っているような錯覚を覚えた。

「僕の生涯の全てを賭けて、彼女の笑顔を守り抜くと誓います。……見ていてください」

レニー様の言葉に私は胸が詰まった。おじ様は満足そうに大きく頷いてる。その頬に一筋の涙の跡が見えた。
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