愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う

第83話

レイノルズ伯爵邸を出て丘を登る。


私は彼が好きだった青いデルフィニウムを墓に手向けた。このデルフィニウムも彼が私の誕生日にプレゼントしてくれた花だ。花言葉は『あなたを幸せにします』
屈み込んだ私の後ろに立つレニー様にそっと目を向ける。花言葉をレニー様が知っているとは思えないが、何となく気まずい。

「ここが彼の……ブルーノ·レイノルズのお墓かい?」

「ええ。よく二人でこの丘に来て領地を見渡しながら、色んな話をしました。この領地の未来や、領民の幸せを。彼はこの場所が好きでしたから」

「君たちは幼い頃からずっと……領地の未来を考えていたんだな。僕なんてやっと自覚が芽生えたばかりだというのに……。デボラが彼を好きだった理由がよくわかる」

レニー様はどことなくスッキリしている表情だ。
彼は言葉を続ける。

「彼と君の想い出の中に僕は居ない。一欠片もね。それを悔しく思わないかと言えば嘘になるが……それ以上に僕と君には時間がある。ゆっくりでいいから、僕との想い出を作ってくれると嬉しいよ」

レニー様は少し照れたように頭を掻いた。私は立ち上がってレニー様と向かい合う。

「レニー様……私── 」

『貴方と結婚して良かった』そう言おうとした瞬間、強い風が吹いた。

墓前に手向けたデルフィニウムの花々が散り散りに飛んでいく。

「あっ── 」

私は思わずスカートを押さえながら、飛んできた一輪のデルフィニウムに手を伸ばすが、その花は私の手をすり抜けて、レニー様の胸に当たる。
彼は素早い動きでそれを手に握った。

「おっ──と。これしか残らなくなってしまったな」

レニー様が大きな背を屈め、その花を墓前に戻そうとするのを、私は手首を掴んで止めた。

「きっと……それはブルーノがレニー様にと」

「え?どういうこと?」

『あなたを幸せにします』それを言う相手が違うだろう?ブルーノがそう言っているように感じた。

「いいんです。── それはレニー様に差し上げます」

私の言葉にレニー様は戸惑いながらもそのデルフィニウムを胸のポケットに大事そうに挿した。


その後実家に寄った私達は、両親から手厚い歓迎を受けた。
両親は体裁や世間体を気にする傾向がある。ハルコン侯爵家の次男で近衛副隊長であるレニー様は、娘の嫁ぎ先としては上出来なのだろう。同じ伯爵位であっても格が違うというわけだ。

「兄さん、最近は領地に居ることが多いの?」

私が尋ねると、兄は私の袖を引いて廊下へ連れて行った。

「父さんが譲位を早めると言ってきた。俺としては仕方ないと思ってるよ。今は王都の家をどうするか考えているところだ」

兄の顔はいつもの明るい表情ではない。

「……何かあったの?」

「父さんの体調が思わしくない。お前には心配をかけたくないから言わないでくれと言われていた」

私はその言葉に衝撃を受けた。両親との仲が悪いわけではない。でも、令嬢としての嗜みより領地経営に興味をもつ娘を良く思っていない両親と衝突したことも一度や二度ではない。お互いほんの少しの距離を感じていたと思うが……大切に思わないわけではなかった。

「そんな……!どうして言ってくれなかったの?」

知っていればもっと頻繁に会いに来ていたのに……。私は思わずそう口に出していた。

「馬鹿だな。お前はもうブラシェール伯爵に嫁いだ身なんだよ。変に邪魔はしたくないという父さんの気持ちを理解しろ」

いつものヘラヘラした兄との違いに私は戸惑う。

「でも── 」

「お前は昔から自分を通してばかりだ。だがな、ブラシェール伯爵家に嫁いだことに関してはお前を褒めてやるよ。ブルーノのことで落ち込むお前を誰よりも心配していたのは、父さんと母さんだ。安心させたことは認めてやる。俺もお前が可愛いから、今まで出来る限り味方してやったろう?ならば偶には引くことも覚えろ。父さんと母さんのことは俺に任せて、お前はレニー殿を支えるんだ。そして……幸せになれ。それが最大の親孝行だ。── いいか?父さんの前では普通にしろよ」

兄は私の肩をポンと軽く叩くと部屋へ戻って行く。
私はその背に一言かけた。

「譲位はいつなの?」

「── 再来月だ」

そう言った兄の背は扉の中へと消えていった。


帰りの馬車で元気のない私にレニー様が気づく。

なんとか両親の前ではいつものように振る舞うことが出来ていた── と思う。

「どうした?何かあった?」

「──実は」

私は父の体調が思わしくないこと、兄が再来月には爵位を継ぐことを説明した。

「なるほど── だから義兄殿と部屋を出て行った後から笑顔が少しぎこちなかったのか」

俯いていた私は思わず顔を上げた。バレていないと思っていたのに……どうも私は女優にはなれそうにない。

「バレていましたか……。両親にも気づかれたでしょうか?」

「いや、大丈夫だと思うよ。僕は君ばかり見ていたから気付いただけだ」

サラリと恥ずかしいことを言うレニー様だが、今は笑う気になれなかった。

「両親も努めて明るく振る舞っていましたが……よく見ると父の顔色が悪かった気がして……もっと気遣ってあげていれば……」

私は思わず俯く。手の甲にポタリと一粒涙が落ちた。
レニー様の動く気配がする。彼は恐る恐るという風に私に隣に座ってもいいかと尋ねた。

私が頷くと、彼は私の横に座り肩にそっと腕を回した。

「ご両親だって君に心配をかけまいと気遣ってくれているんだ。今は見て見ぬふりをしよう。きっと時が来たら話してくれる」

私は顔を上げ、レニー様を見つめる。

「私は……私は何も出来ないのでしょうか?」

レニー様は涙で濡れた私の頬を長い親指でそっと拭う。

「出来ることを一緒に探そう。何かあるはずだ。……ご病気は何か聞いた?」

私は首を横に振った。

「ごめんなさい。凄く動揺してしまって……」

「分かるよ。僕だって父を亡くした時には同じように冷静ではいられなかった」

そうか……レニー様は既にお父様を亡くされていたんだわ。私ったら……そんなことも忘れて、自分のことばかり。
そう思うとまた涙が溢れてくる。

「ふぅっ……うっ……うっ……」

子どものように泣きじゃくる私の背を何度も何度もレニー様は撫でる。私はそんなレニー様に甘えるように彼の胸に寄りかかると、そのまま泣き続けた。



ブラシェールの屋敷に戻ると、忙しい日常のお陰でもう私が涙を流すことはなかった。

今でもレニー様の前で子どものように泣いてしまったことを思い出すと恥ずかしくなってしまうが、同時に自分は一人ではないと思えたことに安心した。



「デボラ様、このりんご飴なんですけど……」

あの時のことを思い出していた私はレオナの声に我に返る。

「ん?何?」

「あ、いえ、少し味を変えても良いかと思いまして……。例えばシナモンのようなスパイスを足すとか」

「シナモン?そうね!アップルパイなんかはシナモンと合わせるのだし、絶対に美味しいと思うわ」

「ですよね!ちょっと試作してみたいと思います!」

お店は火事の跡もすっかり消え、元通りだ。お客様も再開を待っていたという声と共に戻って来てくれた。

レオナはりんご飴に使う少し傷のあるりんごを掌に乗せ眺める。

「ほんの少し傷があるだけで、そのまま売れないなんて可哀想ね。その分りんご飴としてもっと美味しく変身させてあげるからね」

レオナはそうりんごに話しかける。

「貴女のお陰で陛下に王家の土地をいただいたから、もう少しすれば王都でうちの果物をたくさん食べていただけるようになるわ。待ち遠しいわね」

私の言葉にレオナは照れたように頬を染めた。

「別に私のお陰ってわけじゃ……。それに知ってますか?りんごは『医者いらず』って言われていて、一日一個食べると病気にならないんだそうですよ……ってこれは亡くなった母の受け売りですけど」

「『医者いらず』?」

「はい。りんごにはたくさん栄養が詰まっているから、食べると元気になるって。私が熱を出した時に母がよくそう言いながら皮を剥いてくれました」

「それだわ!」

私はレオナの言葉に思わず手を叩いて声を上げた。

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