アオハルAssortment

『初恋の話』

 君の髪は綺麗だった。
 バスケ部はショートカットが原則だったから、部活を引退後に伸ばし始めた君の髪を、後ろの席から眺めるのが好きだった。
 小学生のころまではお互い異性として意識せず、一緒に遊び喧嘩し、シュート練習をしたよな。
 ショートカットの君は、男友達みたいだったのに、いつの間にか俺は伸びた髪ととみに君が笑顔のかわいい女の子だと気づいたんだ。

 きれいに伸びた君の髪を、あの日切ってごめんね。
 泣かせてごめんね。
 
 笑顔が可愛い、って思ったんだ。
 そう気づいたときにはもう顔を見れなくなった。
 席換えで、君の後ろになって少しだけホッとした。
 そうしたら君の後ろ姿ばかり見つめてしまう。
 三つ編みも、お団子頭も、ポニーテールも、笑顔を見るのは恥ずかしいから、髪型の変身姿だけ、鮮明に覚えてしまった。
情けないけれど、けれど君の髪も綺麗だと分かったから。



***
 鏡の前でポーニーテールに結んだ髪を揺らした。
 親友の梨花が誕生日にくれたシュシュで結んだ髪。
 いつもと変わらないけれど、少しだけいつもより特別。
 そも思った方がテンションがあがるんだよね。

 それは、いつもと変わらない日だった。
 いつも通り友達と登校して、いつも通りお喋りしながら席に着く。
 一番前の真ん中の席に、やっと馴れてきたいつも通りの日だった。

ジョキッ


 音を立てて髪が落ちる音がした。
 私が振り返ると、後ろの席に座っていた小学校から仲良しだったあいつが、右手にハサミを持って、左手に私の髪を掴んでいた。

「きゃー!!」



 友達が、その状況を見て悲鳴をあげた。
 私はゆっくり後頭部に手を当てた。
 そして全身が凍りついた。
 やっと肩より長かった私の髪の毛が、切られたんだと理解した。
 束ねる必要がなくなったので、シュシュも乾いた音と共に落ちていく。

「何してるのよ!!」
「お前、最低だな!」
「髪って傷害罪になるんだぜ」

 私を庇う声と、
 微かに笑う声が聞こえた。
 ――何で?
 私は目を逸らせずにあいつを見ていた。
 彼は切なげに顔を歪ませると、教室を飛び出した。
 私は、理不尽な状況に混乱して泣いた。
「泣かないで、泣かないで、明日加」
 親友の梨花がわたしを抱きしめて、必死で泣き止ましてくれた。
 理科の顔も真っ青で、カタカタと震えて一緒に痛みを感じてくれていたんだ。


***

 誤解を解きたかったけれど、彼女の目が俺を見たから。彼女の目の色が、俺への不信感に変わって、
―――蔑み、拒絶されそうで怖かった。




その後、俺は先生に呼び出され、理由を聞かれたから、正直に答えようと思った。

「お願い、明日加にだけは言わないで、お願い言わないで、お願い」
 必死で泣くから。犯人が、一番泣くから。
「こんなに傷つくと思わなかった。いつか、いつかちゃんと正直に言うから、お願い、お願い」

 同じ部活で三年間同じクラスで、お互い親友だと言い合っていた相手が、もしも。
 もしも彼女の大切な髪に、ガムを付けてクスクス笑っていたら、どうしたら正解だったんだろうか。
 携帯を取り出して撮影しようとしたのを見た瞬間、俺は冷静な判断ができなかったんだ。


 でも、梨花がやったんだと知れば、彼女が傷つくのが怖かった。

 彼女が信じてくれない事が怖かった。
 君に嫌われる事が怖かった。
 結局、理由を答えない俺は怒られた。
 親友に裏切られて傷つく君を見るのも、真実を告げて信じてもらえなかった場合も、両方怖くて言えなかった。


 その後、先生と一緒に彼女の家に謝りに行った。
 彼女は一度も俺と会わなくて部屋に閉じ込もっていた。
 彼女のお父さんの怒鳴り声を聞きながら、俺は歯を食い縛り耐えることしかできなかった。
 殴りかかるおじさんを、おばさんが必死になだめながらも俺への冷たい瞳が、体中に突き刺さった。
「本当にごめんなさい」
 ――いいんだ。これで。いいから。
 そう、自分に言い聞かせて。
 親にも怒られた。正直に言おうか悩んだけれど、真実を聞いたら親がどんな行動をするか分からず飲み込んだ。
 坊主にして反省文を書き、一週間校長室に登校することになった。


 そのまま気まずく居心地が悪く何も話すことも、謝ることも、できないまま、俺と彼女は別々の高校に進学した。
 



***

 私は高校生になった。
 偶に夢に見て飛び起きていたけれど、段々と回数は減っていった。
 新しい環境で悪夢から忘れようと、中学の友達がほぼいない高校に進学した。

 あの時、切られた髪が、あの時、の長さに戻ってきたぐらいかな。


 小学校の頃から一番仲良しだった男友達。
 中学生になったら、皆、女子は女子で、男子は男子で行動していて……距離ができて寂しかったのに、あいつはそう思って無かったのかな……?

 謝ってくれない事に泣いた。
 何も言わず逃げたあいつに泣いた。
 一人だけ思っていた自分が恥ずかしくて泣いた。

 あいつが、綺麗だ、と言ってくれたから伸ばしたのに、切られた事に泣いた。
 まあ、部活の引退後に綺麗だって言ったことなんて、本人すらきっと覚えていない。
 あいつに見てもらうために伸ばしてたんだって、言えるはずない。

 梨花には一回だけ言ったんだけど、「好きなの?」「告白しなよ」って毎日いうようになったからなんだか嫌で、誰にも言うのはやめた。
 私の感情は私だけがゆっくり育てて、名前を付けたかったから。

 けれど……あんなことになったのに、私はなんでまた髪を伸ばしたのかな?

 分からないけれど、あいつのいない高校生も楽しいと思った。
 格好いい先輩もクラスメイトもいるし、バカ騒ぎできる友達もできた。
 楽しい気持ちのおかげで、悪夢はもうほぼ見ない。
 ただ、その程度の思いだったのかもしれない。

 忘れて、また違う人を意識して、誰かを好きになるのかな?って考えていた。

 好き。
 ぽつんと取り残された気持ちが、そこにある。
 一緒に遊んで喧嘩して、中学に入ってどんどん格好良くなっていく男友達。
 引退後に、ショートカットの私の髪を「試合中、綺麗だと思ったんだよな」って笑顔で言ったんだ。
 あれにどんな意味があったのかわからない。

 私も気持ちに蓋をして忘れたがっていたから。


「怒らないで聞いて。許さなくてもいいから聞いてほしい」

 ただ、中学生の時に一番仲良かった友達と再会するまでは。
 彼女は、私の帰りを校門の前で待っていてくれた。
 卒業してからメッセージを私から送っていたけれど段々と返信がなくて疎遠になっていった梨花だ。
 嬉しくて駆け寄ると、私をみた瞬間、少し怯えながら、少し泣きそうな声で、――ごめんなさいとあの時、の真実を教えてくれた。

 梨花があいつを好きだったこと。
 あの髪を切った日、私の髪にガムをつけたこと。
 撮影してこっそり笑ってやろうとイタズラしたこと。
 あいつにバレて、隠してくれるように頼んだこと。

「……なんで今更それを私につたえるの?」

 とっくに高校生活が楽しくて、忘れようと頑張っていたのに。

「もうどうでもいいよ、今が楽しいから」
 私が告げると、梨花は号泣した。まるで悲劇のヒロインのよう。
 彼女もずっと苦しかったのかもしれないけれど、卒業するまでずっと私の隣で親友として笑っていたのは、怖いよ。信じられない。

「でも、彼が遠くに引っ越すから、もう会えないから」
 だから後悔したくなくてと、嗚咽をあげなばら泣き出した。


***
 
「急に決まってごめんね」
 母さんが俺を心配そうに見つめている。
 大丈夫。
 東京だって同じ日本じゃないか。
 逆にこんな田舎から都会に行ける方がわくわくするよ。
 ありがとう。
 この町は、俺にはもういい思い出は忘れてしまいそうだったから。

 そう笑うと少しだけ安心してくれた。
 最後の荷物もトラックに積めて、それを俺は見送った。
 何もなく静まり返ったと家を俺は一部屋一部屋眺めた。
「母さん、俺学校に寄ってから行くから先に行ってていいよ」

 予感がしたから。
 こっちにはもう帰ってこない予感が。
 恥ずかしながら、最後に思い出の場所に。
 傷つくのが怖かった馬鹿な俺を置いてきてしまって気がしたから。
 もう帰らないのならば、全て持っていくよ。
 思い出も全て。

 あの時、もっと俺に余裕があって、もっと俺が頭が良かったら、君を泣かせなくてすんだのにさ。

 後悔しかない。後悔しかできない。
 謝っても許されない。
 そんな、苦しくて馬鹿な俺の独りよがりの、恋だった。


***


 家は既に空っぽだった。

 チャイムを鳴らしたけれど、虚しく響きわたるだけだった。
 ……遅すぎたんだ。


 だって、知らなかった。
 あいつが今日、離婚してお母さんについて東京に引越しだなんて。
 友達があいつを好きだったなんて。

『ごめんね。いつもあの人が髪の毛を眺めているのが凄く切なかったの』
 梨花が、私の髪の毛にガムをつけたことも。
 あいつは、私のガムがついていた髪の部分を握り、そこから髪の毛を切ったらしい。
 梨花の話では、気づいた瞬間に、戸惑うことなく髪を切ったらしかった。
 逃げていたのは私も同じ。
 自分が傷つきたく無かったから、だ。
 あいつが理由もなしに酷い事をするはず無かった。
 ……遅いよね。……遅すぎた。
 誰が悪いわけではない。
 悪いのは、幼かった私たち。
 なんでこんなに不器用で、なにもかもうまくいかないんだろう。

 臆病にあるのは、きっとそれが私の初めての恋だったからだろう。

***


 俺はずっと、校庭の端っこで野球やサッカーの部活を眺めていた。
 夕方になって、 中学生が全員帰ってもまだ校庭を眺めていた。

 もしかして、彼女が俺の引越しを聞き付けて、俺を探しに来てくれて、学校のあの教室で再会、だなんてしないかなって、女々しく待っていたりした。



 現実なんてこんなもんだから。
 だから、いつまでもズルズルとあの日の自分を引きずる情けない自分を変えたいんだ。

 俺は学校に誰もいなくなると、こっそり教室に侵入した。
 夜の学校は、昼間の学校とは違っていて、思い出も色鮮やかには思い出すこともなく安心できた。

 でも、俺のあの日の思いは、色鮮やかに存在していた。

 誰も知らなくても誰も覚えてなくても、あの日この場所で、君と話さなくなるまでずっと……。

 照れくさくても、許してもらえなくても、誰にも伝わらなくても。
 俺は何も書かれていない綺麗な黒板にソッと白いチョークで、あの日を刻んだ。

『初恋でした』と。
 書いたら恥ずかしくなって、
 やっぱり全力で逃げてしまったけれど。
 分かってるよ。
 思い出は美化してしまうものだって。

 あの時の、あの思いが、今じゃ素晴らしく純粋で、無垢で清らかな『初恋』だった……。
 なんて、勝手に頭の中で綺麗な思い出として作りあげただけなのに。


***

 メール、をしようか。
 雰囲気を出して手紙、にしようか。
 いろいろ考えたけれど、私は彼に連絡するのはやめた。
 もう彼を自由にしてあげたかった。これで苦しんだ彼もきっと楽しい生活へ戻れるかもしれない。
 そもそももう私のことは忘れて、東京の生活に夢をみているかもしれない。


 けれど、私は今も髪を伸ばしているから。
 それだけはいつか伝えたくて。



 ***


 それは、まだ先の話だけれど。

 俺が美容師になってしばらくして、彼女が会いに来る未来は。
 俺にも彼女にも恋人がいる未来に。


 そうしたら、
 普通に話すんだ。
 あの時の思い出を少し茶化しながら。
 そして、今だから言える事を俺は彼女に伝える。

『あの時は、君の綺麗な髪の毛に汚いガムがついているのが許せなかったんだ』

 って。
 ガムがとれたとしても、君の髪についた過去は残るだろう?
 それが許せなかったんだ、って。

 そうしたら、俺も彼女も笑って終わり。
 君の髪にガムがついた忌まわしい現実のように。
 君と俺が過ごした鮮やかな思い出も現実だった、と。
 そう、思えるだけでいい事だからさ。
  
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