氷の御曹司と忘れられた誓い
第七章 嫉妬の逆転
屋敷へ戻る夜道は、冬の風が頬を刺した。
実家を出るとき、兄の拓真は「ちゃんと話せ」と背中を押してくれた。
けれど、帰宅してすぐ隼人と向き合う勇気はなかった。
幼い日の記憶が胸の奥で温かく灯っている一方、今の隼人との距離は依然として遠い。
(……あの日から、ずっと私を守ってくれていた。なのに、どうして)
リビングの扉を開けると、暖炉の火が赤く揺れ、隼人がソファに腰掛けていた。
ジャケットを脱ぎ、片手にグラスを持ちながら、視線は雑誌のページに落ちている。
その横顔に、一瞬だけ幼い日の面影を重ねてしまう。
「……ただいま」
「おかえり」
短い言葉。だが以前よりも、ほんの少しだけ柔らかかった。
数日後、兄が主催するビジネス関係者向けのパーティが市内のホテルで開かれた。
花蓮も招待を受け、隼人と共に出席することになった。
会場はシャンデリアが煌めき、ワイングラスの音が軽やかに響く。
兄の部下である営業課長の佐伯が、笑顔で花蓮に近づいた。
「奥様、本日はお美しいですね」
「ありがとうございます。お久しぶりです」
佐伯は学生時代から知る人物で、兄同様に花蓮を妹のように扱ってくれる存在だ。
「最近はどうですか? 環境の変化でお疲れでは」
「ええ、まあ……でも慣れてきました」
短い会話だったが、花蓮は久しぶりに心から笑った気がした。
ふと背後から、氷のような視線を感じた。
振り向くと、隼人が立っていた。
佐伯に向けられた笑顔を、冷ややかに切り裂くような眼差し。
「……楽しそうだな」
低く落とされた声に、佐伯が軽く頭を下げる。
「社長、失礼します」
佐伯が去ると、隼人は花蓮の腕を軽く引いた。
「仕事関係者とそんなに親しげに話す必要はない」
「佐伯さんとは昔からの知り合いです。兄の部下で――」
「関係ない」
その一言は短いが、温度を持った鋭さがあった。
隼人は花蓮を会場横の小さな控室に連れて行った。
暖色のランプが灯る室内で、彼はドアを閉め、低い声を落とす。
「……あまり俺以外の男と笑うな」
「嫉妬ですか?」
挑むように問うと、隼人の眉がわずかに動いた。
「そうだと言ったら」
「あなたが嫉妬なんて、意外ですね」
「意外かもしれないが、不快だ」
距離が詰まり、花蓮は背を壁に預ける形になる。
「……俺は、お前が誰を見て笑うのか、気になる」
「あなたは氷室さんとばかり話しているのに?」
「仕事だ」
「私だって、社交の場では笑顔を見せる必要があります」
隼人の視線が一層深く沈む。
「……俺は、お前の笑顔が欲しいだけだ」
唐突な言葉に、心臓が跳ねた。
隼人は花蓮の顎に指をかけ、視線を固定させる。
「俺を見ろ」
命令のような響きに、息が詰まる。
彼の瞳の奥には、隠しきれない熱と、独占欲が渦巻いていた。
「……やっと、私を見たんですね」
花蓮の声はかすかに震えていたが、挑む色を帯びていた。
「見ている。ずっと」
「じゃあ、距離を置くのはやめて」
「……簡単じゃない」
沈黙の中、二人の呼吸だけが重なる。
隼人は何かを言いかけたが、控室の外から呼びかける声に遮られた。
二人は何事もなかったように会場へ戻った。
けれど、花蓮の中では何かが変わっていた。
守られるだけの存在ではなく、彼の心を揺らすことができる――
それを知った瞬間、立場がわずかに逆転した気がした。
(この関係を、私の意志で動かせるかもしれない)
グラスを持つ手の奥で、胸の鼓動が静かに速まっていた。
実家を出るとき、兄の拓真は「ちゃんと話せ」と背中を押してくれた。
けれど、帰宅してすぐ隼人と向き合う勇気はなかった。
幼い日の記憶が胸の奥で温かく灯っている一方、今の隼人との距離は依然として遠い。
(……あの日から、ずっと私を守ってくれていた。なのに、どうして)
リビングの扉を開けると、暖炉の火が赤く揺れ、隼人がソファに腰掛けていた。
ジャケットを脱ぎ、片手にグラスを持ちながら、視線は雑誌のページに落ちている。
その横顔に、一瞬だけ幼い日の面影を重ねてしまう。
「……ただいま」
「おかえり」
短い言葉。だが以前よりも、ほんの少しだけ柔らかかった。
数日後、兄が主催するビジネス関係者向けのパーティが市内のホテルで開かれた。
花蓮も招待を受け、隼人と共に出席することになった。
会場はシャンデリアが煌めき、ワイングラスの音が軽やかに響く。
兄の部下である営業課長の佐伯が、笑顔で花蓮に近づいた。
「奥様、本日はお美しいですね」
「ありがとうございます。お久しぶりです」
佐伯は学生時代から知る人物で、兄同様に花蓮を妹のように扱ってくれる存在だ。
「最近はどうですか? 環境の変化でお疲れでは」
「ええ、まあ……でも慣れてきました」
短い会話だったが、花蓮は久しぶりに心から笑った気がした。
ふと背後から、氷のような視線を感じた。
振り向くと、隼人が立っていた。
佐伯に向けられた笑顔を、冷ややかに切り裂くような眼差し。
「……楽しそうだな」
低く落とされた声に、佐伯が軽く頭を下げる。
「社長、失礼します」
佐伯が去ると、隼人は花蓮の腕を軽く引いた。
「仕事関係者とそんなに親しげに話す必要はない」
「佐伯さんとは昔からの知り合いです。兄の部下で――」
「関係ない」
その一言は短いが、温度を持った鋭さがあった。
隼人は花蓮を会場横の小さな控室に連れて行った。
暖色のランプが灯る室内で、彼はドアを閉め、低い声を落とす。
「……あまり俺以外の男と笑うな」
「嫉妬ですか?」
挑むように問うと、隼人の眉がわずかに動いた。
「そうだと言ったら」
「あなたが嫉妬なんて、意外ですね」
「意外かもしれないが、不快だ」
距離が詰まり、花蓮は背を壁に預ける形になる。
「……俺は、お前が誰を見て笑うのか、気になる」
「あなたは氷室さんとばかり話しているのに?」
「仕事だ」
「私だって、社交の場では笑顔を見せる必要があります」
隼人の視線が一層深く沈む。
「……俺は、お前の笑顔が欲しいだけだ」
唐突な言葉に、心臓が跳ねた。
隼人は花蓮の顎に指をかけ、視線を固定させる。
「俺を見ろ」
命令のような響きに、息が詰まる。
彼の瞳の奥には、隠しきれない熱と、独占欲が渦巻いていた。
「……やっと、私を見たんですね」
花蓮の声はかすかに震えていたが、挑む色を帯びていた。
「見ている。ずっと」
「じゃあ、距離を置くのはやめて」
「……簡単じゃない」
沈黙の中、二人の呼吸だけが重なる。
隼人は何かを言いかけたが、控室の外から呼びかける声に遮られた。
二人は何事もなかったように会場へ戻った。
けれど、花蓮の中では何かが変わっていた。
守られるだけの存在ではなく、彼の心を揺らすことができる――
それを知った瞬間、立場がわずかに逆転した気がした。
(この関係を、私の意志で動かせるかもしれない)
グラスを持つ手の奥で、胸の鼓動が静かに速まっていた。