氷の御曹司と忘れられた誓い
第六章 真実の欠片

翌朝の実家は、懐かしい静けさに包まれていた。
花蓮は暖炉のある応接間で、兄の拓真が新聞を読んでいる姿を眺めながら紅茶を口にする。
父はすでに出社しており、屋敷全体が穏やかに呼吸しているようだった。

「少し倉庫の整理を手伝ってくれないか」
拓真の提案で、花蓮は屋敷の奥にある小さな書庫へ向かった。
薄暗い廊下を抜けると、埃の匂いと紙の乾いた香りが混ざった空気が迎えてくる。



棚の最下段、古びた箱の中に一冊のスクラップブックがあった。
表紙の革はすっかり褪せ、角は丸く擦り切れている。
花蓮は何気なくページをめくった――そこにあったのは、新聞の切り抜きだった。

『市内で少女誘拐未遂 中学生が救出』

記事には、小学生の少女が帰宅途中に見知らぬ男に連れ去られそうになり、通りかかった中学生の少年が体を張って阻止した、とある。
犯人は現行犯逮捕され、少女は軽傷、少年は額に裂傷を負ったと記されていた。

記事に添えられた写真には、泣きじゃくる少女を背に庇い、眉間に怪我の包帯を巻いた少年――
その顔を見た瞬間、花蓮の手が止まった。

「……これ……」
額の傷跡、少し乱れた黒髪、真っ直ぐな瞳。
どう見ても、それは隼人だった。



「見つけたか」
背後から拓真の声がした。
花蓮は振り向き、震える指で記事を指差す。
「これ……隼人さん?」
「ああ」
兄は迷いなく答えた。

「お前、あの日のこと覚えてないんだな」
「……断片的には……でも、怖くて……」
「そうだろうな。お前はまだ小さくて、無理もない。だが隼人は……あの日からずっと、お前を守るって決めたんだ」

拓真の声は静かだった。
「俺もあの場に駆けつけたが、隼人は額から血を流しながらも犯人を押さえていた。
お前は泣いていて……隼人が“もう大丈夫だ”って何度も言っていた」

花蓮の胸の奥で、何かが軋む音がした。
断片的だった記憶が、ゆっくりと形を取り戻し始める。



夕暮れの公園。
スーツ姿の男に手を引かれる自分。
路地裏に差し込む赤い光。
――そして、背中越しに聞こえた声。

『俺が絶対、守る』

その声と共に、制服姿の少年の背中が蘇る。
肩越しに覗く緊張した横顔、泥で汚れた手、額から流れる血。

「……あれは、隼人さん……だったんだ」
花蓮の声は震えていた。
「そうだ」兄が頷く。「あいつはあの日から変わった。表向きは冷たくても、お前にだけは一途だった」

花蓮はスクラップブックを胸に抱え、視界が滲んでいくのを止められなかった。



そのとき、ポケットのスマートフォンが震えた。
画面には「神崎隼人」の名前。
花蓮は一瞬迷ったが、通話ボタンを押す。
『……今夜、戻れるか』
低い声が耳に届く。
「……戻ります。話したいことがあります」
『……ああ』

短いやりとりの後、通話は切れた。
花蓮はスクラップブックをそっと閉じ、深く息を吸った。

(私……あなたのこと、何も知らなかった)
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