三年目の別離、そして――
第四章「初めての衝突」
 午前十時。
 カーテンの隙間から差し込む光に、昨夜の眠りの浅さを思い知らされる。
 ベッドサイドで震えるスマホを手に取ると、またあの名前が表示されていた。

『今日の午後、時間を作れ。場所は送る』

 短く打たれたメッセージに、ため息が漏れる。
 理由も目的も書かない呼び出し方は、結婚していた頃と変わらない。
 けれど、今回は無視できなかった。

 

 指定されたのは、篠宮グループ本社ビル最上階にある応接室だった。
 警備員に案内されて通された部屋は、ガラス張りの大窓から都心を一望できる。
 ソファセットの奥に、司が立っていた。背広の上着は脱ぎ、シャツの袖を肘までまくっている。

「……来たな」

 視線だけがこちらに向けられ、その奥に抑え込まれた熱を感じる。

「呼び出すなら、せめて理由くらい教えてほしいわ」

「理由は一つだ。昨日の件だ」

 机の上には、ネット記事のスクリーンショットが何枚もプリントアウトされていた。
 私と神谷、そして背後に立つ司――まるで見世物のように切り取られた瞬間。

「……これは、私のせいじゃない」

「わかっている。だが、お前はあの男と会いすぎだ」

「友人と会うことの何が悪いの」

「悪い。少なくとも、俺は嫌だ」

 短く、鋭く切り捨てられる。
 苛立ちがこみ上げ、私は一歩近づいた。

「じゃあ、あなたは? “美香さん”と一緒にいたことは何なの」

「あれは仕事だ」

「世間はそう見てない。……私がどんな気持ちで見ていたか、考えたことある?」

「お前こそ、俺の気持ちを考えたことがあるのか」

 言葉がぶつかり、部屋の空気が一層張り詰める。
 司は一歩踏み出し、私との距離を一気に詰めた。

「……俺は嫉妬している」

 低く、静かな告白。
 それは怒鳴り声よりも強く、胸を震わせる力を持っていた。

「離婚したくせに?」

「離婚しても、消えない感情がある」

 その言葉に、息が詰まる。
 喉の奥で何かが渦巻き、涙腺の奥がじわりと熱を帯びた。

「……そんなこと、もっと早く言ってくれれば……」

「言えなかった。言葉にすれば、全部壊れる気がした」

「もう壊れてるわよ」

 静かな声で返すと、司はわずかに目を伏せた。
 そして次の瞬間、両手で私の腕を掴む。

「なら、やり直す方法を探す」

「簡単に言わないで」

「簡単じゃないことくらい、分かってる」

 互いの息がかかる距離。
 目を逸らせば、二度と見られなくなる気がして、私は睨むように見返した。

「……あなたが嫉妬してるなんて、信じられない」

「なら、信じさせる」

 その宣言は、甘くも優しくもない。
 けれど、胸の奥で何かが小さく震えた。

 

 部屋を出た瞬間、足が止まった。
 廊下の先に、美香が立っていた。
 艶やかな笑みを浮かべ、私を見つめるその瞳の奥に、計算高い光がちらつく。

「……お話は終わりました?」

「ええ」

「なら、これからは少し距離を置かれたほうがいいかもしれません。社長には重要なプロジェクトが――」

「心配しなくても、もう離婚してますから」

 私が先に歩き出すと、美香の笑みがわずかに崩れた。
 背後で小さく響くヒールの音が、妙に耳に残る。

 ――この女、ただの秘書じゃない。

 そう直感しながら、私はエレベーターのボタンを押した。
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