失恋するまでの10日間〜妹姫が恋したのは、姉姫に剣を捧げた騎士でした〜

ユリウス16

 語り終えた後で、ユリウスは「あぁそうでした、もうひとつありました」と付け加えた。

「妹が結婚する直前に、父の遺体を故郷に帰してやることができました」

 旅先で事故に遭い、身元不明のまま一度は現地で埋葬された父の棺を輸送することすら、当時の自分たちには難しかった。約二年ぶりに自宅へと戻ることができた父は今、最愛の妻の隣で眠っている。兄嫁や嫁いだ妹が定期的に花を供えてくれていると、兄から報告を受けている。

「すべて貴女が成し遂げられたことです、ソフィア様」

 婚約者の手を取り見つめれば、彼女はルビーの瞳を数度瞬かせ、「それは違うわ」と唇を震わせた。

「ユリウス殿は勘違いをしているわ。ランバート家が受けた補償は法に則った当然のものであって、私が特別に与えたわけではないもの。あなたの家が再興されて、お兄様方や妹さんが幸せに暮らせているのはとても喜ばしいことよ。でも、そこまで盛り返すことができたのは、あなたたち家族の努力があったからよ」

 言い切ったソフィア王女は、合点がいったかのように肩の力を抜いた。いつもの王太女に相応しい賢い表情が戻る。

「あなたは私に恩義を感じてくれていたのね。だから、私の婚約者がいない状況で手を上げてくれたということでしょう?」
「違います」

 この先をソフィアと共に過ごし、彼女に従うと決めた。彼女が白を黒と言えば自分もそうだと追随し、なんなら白を黒く染めることにまで手を尽す。

 だがこの思いを歪めることだけは、たとえ彼女であっても許せなかった。

「私の思いは、恩義などという言葉で簡単に飾れるものではありません。この際正直に言いますが、この国がどうなろうと大して興味もありません」

 未来の王配として決して口にしてはならぬ気持ちを告白すれば、ソフィア王女はまたしても目を丸くした。

「ですが、貴女が国を思い、民を導くというなら、私も共にありましょう。貴女の望みを叶えることが私の喜びなのです。だからソフィア様」

 取った手を握りしめ強く引けば、彼女は実に簡単にユリウスの胸元に倒れ込んだ。

 白い腕の先の、自分よりもはるかに細い身体を囲い込む。

「ユリウス殿、何をっ」
「どうかこれからも思うままに生きてください。貴女がしたいことを好きなだけ背負ってください。疲れ切って倒れてしまった先には必ず私がいます。いつでもこうして受け止めて、抱きしめて差し上げます。また立ち上がりたくなるように」

 カーク・ダンフィルでは駄目なのだ。仮にあの騎士がソフィア王女の隣に立ったとして、彼女のために戦い、命を散らすくらいのことはするだろう。自分は無茶をしてもソフィア王女には無茶をさせたくないと、そう動く。

 だが生まれながらの王太女である彼女が、心からそんなことを望むはずがないのだ。自分がしたことを、救った大勢の人を、特別なことではないと言い切る彼女が。

 ソフィアを王太女足らしめる考え方は、もはや彼女の血肉となってこの細い身体を作り上げていた。だとすればすぐ傍にある者の役目は、彼女を囲って守ることではなく、全力で走り切った後に倒れ込める先の存在になること。

 この腕の中でなら何も取り繕わず、仮面を脱いだまま休めると、疲れを癒す彼女の止まり木となること——。

「貴女が守るべきものの中に、この先私は入れなくて結構です。私の命は、貴女が自由に使っていただいて構わないものですから」

 捧げるのではない、預けるのだ。彼女の半身となって、身も心もひとつとなること。それこそが十年かけて自分が目指した場所だった。エステル王女やカーク・ダンフィルのように、十年前の十六だった自分のように、彼女に守られる存在ではもういられない。

「ただし、貴女を傷つけるような輩がいれば、それが英雄であろうと他国であろうと、全力で潰しにかかります。それだけはお許しください」

 ユリウスの胸の中で細い身体がぴくりと揺れた。彼女を覆い尽くす蔦は、決してきりきりと縛りつけるものではない。その小さな手でもってしても簡単に引き千切れる程度の、脆いものだ。

 怖ければ、逃げたければ押しのければいいのだ。ユリウスの気持ちは本物だが、力には細心の注意を払って加減していた。

 だがソフィアは彼の胸を押し除けはしなかった。むしろゆるゆるとその尊い手が自分の背へと回される。

 ユリウスはこの十年で一番の笑みを浮かべた。

「おわかりですか、これが恋するということですよ。いつか貴女からもその思いを返してもらえるよう、全力で口説いてみせます。——どうか、お覚悟を」

 誰よりも優秀な男は、さらに十年かけてこの日の言葉を現実にしてみせる——。


ユリウス編・Fin
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