失恋するまでの10日間〜妹姫が恋したのは、姉姫に剣を捧げた騎士でした〜

エステル9

「ソフィアお姉様!」
「エステル、やっぱりここにいたのね」

 光沢のあるスモーキーピンクのデイドレスを着たソフィアが麗しい足取りで近づいてきた。エステルの横ではカークが騎士の礼を取り、背後で家庭教師が略式のカーテシーをする。

「カーク、それにモリス夫人も、どうぞ楽にしてくださいな。少し時間ができたので久々にエステルの勇姿を見たくて寄らせてもらったの。突然の訪問で申し訳なかったわ」
「いえ、騎士団一同、ソフィア王太女殿下のお出ましとあればいつでも歓迎です」

 顔を上げたカークが、空色の澄んだ瞳をソフィアに向けた。まっすぐな揺るぎない視線の先で、姉ソフィアもまたさらに唇を綻ばせる。

 二人が見つめ合ったのはわずかな時間のこと。ソフィアはすぐに家庭教師のモリス夫人に視線を移した。

「でもモリス夫人がここにおいでということは、エステルのお迎えに来たのかしら。それならエステルの訓練は見られないわね」
「ううん、そんなことないわ。お姉様が来てくれたのなら……」

 このまま訓練を継続すると告げようとした矢先、モリス夫人が「王太女殿下のおっしゃる通りでございます」と割り込んだ。

「エステル様は今から淑女教育のお時間でございまして。お戻りが遅いため私がお迎えにあがったのです。どうぞ殿下からも、妹姫様に午後の予定を恙無く進められますよう、ご助言いただければ幸いにございます」
「ちょっと、モリス夫人、なんてこと言うの!? 私はこのまま訓練を……」
「そう。エステル、事情はよくわかったわ。それで、ルヴァイン王国の二の姫としてあなたが今からすべきことは何かしら」
「それは……」

 姉ソフィアの美しさは見た目だけのことではない。彼女の一言一言が威厳に満ち、聞く者を自然と従えるような強さがある。瞳も唇も弧を描いているものの、それが真の笑顔ではないことは、十五年も妹をしていればわかるというもの。

「……わかりました。戻ります」
「あなたが聞き分けのいい素直な子で私も嬉しいわ」

 ソフィアの恐ろしいところは、これが皮肉でなくて本音なところだ。誰もがもてあまし気味のお転婆姫さえ、彼女にとっては素直でかわいい妹になる。

 そんな姉に乞われてはエステルとしても従わざるを得ない。

「カークも今から訓練なのかしら」
「いえ、自分は剣術の訓練を終えたところです。休憩が終われば、午後は走り込みと筋トレのメニューですので、見学されても面白みはないかと」
「カークが頑張っている姿を見るのはいつだって楽しいわ。でも、先に正騎士の様子を見学しないわけにはいかないわね。あとで覗きにいくわね」
「ソフィア様がお見えになるとなれば、皆のやる気も上がります。ですが、お忙しいでしょうからどうぞご無理なさらないでください」
「ありがとう。では、あとでね」

 姉はルビーのような瞳を二、三度瞬かせ、正騎士の修練の場へと去っていった。その後ろ姿を、カークがじっと眺めている。

「さぁ、エステル様。姉姫様もああおっしゃっていましたよ」
「わかってるわよ。戻ります」

 家庭教師のモリス夫人に重ねて言われ、エステルはカークから目を逸らした。彼はこのまま姉の姿が見えなくなるまで、その背中を追い続けるのだ。自分がここにいる意味はもうない。

 踵を返そうとしたとき、「エステル様」と呼び止められた。自分を見ることなどないと思っていた空色の瞳が、姉の背中ではなく、エステルを見ていた。

「これをどうぞ」
「え……」

 咄嗟に手を差し出せば、エステルの手のひらに飴玉が置かれた。

「午後のお勉強、頑張ってくださいね」

 飴玉を見つめる私の頭上から声が降ってくるとともに、大きな手が近づく気配があった。

 ぽんぽん、と二度繰り返される、優しい感触。

(また撫でられた……)

 その手を名残惜しく追えば、不意に彼と視線が絡んだ。けれどそれは一瞬のこと。軽く礼をしたカークは、そのまま姉とは反対の方向に走り去っていった。

 先ほどまでモヤモヤしていた気持ちが綺麗に溶けて、エステルの胸の中にも清々しい青空が広がったかのようだった。今なら嫌いな淑女教育だって楽々こなせてしまいそうだ。

 飴玉を握りしめながら、ついつい溢れてしまう笑みを我慢することができない。こんなことで簡単に浮上してしまうのだから、恋って本当に厄介だ。

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