「雨の交差点で、君をもう一度」

第十二章「揺れる選択」

 週明けの月曜は、冷たい雨で始まった。
 出社して間もなく、神宮寺は本社会議のため外出した。
 彼のデスクには、先週私が受け取った二つのブルーの封筒がきちんと重ねられたまま置かれていて、それが目に入るたび、胸の奥が温かくも不安定に揺れた。

 前よりも、彼の気持ちは見えているはずだった。
 七年間の誤解が解け、互いに想いを口にした。
 けれど、それが“恋人になる”と即座に繋がるわけではない。
 私たちは仕事で毎日顔を合わせる。感情だけで進めば、バランスを崩す。——頭ではそう理解しているのに、心は別の速度で進もうとする。



 午前中は淡々と業務をこなし、昼休みに入った。
 給湯室でお湯を注いでいると、後ろから奏多の声がした。
「美桜、昼一緒にどう?」
「うん、いいよ」
 カフェテリアの窓際席に座ると、雨粒が大きくなったガラス越しに外の景色がぼやけて見えた。

「最近、神宮寺さんと……なんか変わった?」
 唐突な問いに、スプーンを持つ手が止まる。
「え?」
「距離感っていうか、前より自然になった気がする」
 観察力の鋭さに苦笑しつつ、曖昧に笑ってごまかした。
「まあ……誤解が少し解けたから」
「誤解?」
「うん、婚約者がいるって思い込んでた」
「……なるほど」
 奏多は小さく息を吐き、スープを啜った。
「それならいい。けど——」
「けど?」
「お前がどっちを向くかで、周りも変わる。俺は、まだ諦めてないから」
 真剣な瞳に、胸がわずかにざわつく。



 午後、神宮寺が戻ってきた。
 会議室での報告を終えた彼は、私の席に立ち寄り、低い声で言った。
「この後、少し話せるか」
「はい」
 指定された時間に会議室へ行くと、彼は窓際で書類をめくっていた。
「来週、地方出張が入る。三日間、香山も同行してほしい」
「えっ……私も?」
「君の担当部分が現地調整に必要だ」
 頷きながらも、心臓が高鳴る。出張——仕事だとわかっているのに、環境が変われば、また違う距離感が生まれるかもしれない。

「……あの封筒のこと、まだちゃんと話せてないよな」
 神宮寺の視線がまっすぐにぶつかる。
「俺は、あの日からずっと気になってた。君が何を言おうとしたのか」
 私は深呼吸して、答えを口にした。
「“好きです”って、言おうとしました」
 彼の目がわずかに柔らかくなる。
「……言ってくれて、ありがとう」
 その声に胸が温かくなると同時に、奏多の言葉が頭をよぎった。——まだ諦めてない、と。



 仕事を終え、帰り支度をしていると、奏多が待っていた。
「ちょうど帰るとこだった。駅まで一緒に行こう」
 傘を差しながら並んで歩くと、舗道に反射した街灯の光が揺れる。
「出張、行くんだってな」
「……なんで知ってるの」
「千草先輩から聞いた。……気をつけて行けよ」
 その声は優しいのに、どこか寂しげだった。

 駅の改札前で別れたあと、胸の中で二つの温度が交錯する。
 一つは、七年越しに届いた神宮寺の想い。
 もう一つは、ずっと近くで支えてくれた奏多の存在。
 どちらも嘘じゃない感情だからこそ、足元が揺れる。



 自宅に戻り、机の上に二つの封筒を並べた。
 指で撫でると、紙の温もりが指先に残る。
 ——選ばなければならない日が来る。
 それが怖いのか、楽しみなのか、自分でもまだわからなかった。
< 14 / 22 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop