「雨の交差点で、君をもう一度」
最終章「青い封筒の行方」
春のやわらかな風が街を包み、街路樹の新芽が日差しに透けて揺れていた。
大型案件のローンチは成功し、社内も社外も安堵と達成感に包まれている。
——七年前、卒業式の日に言えなかった言葉から始まったすれ違いは、もうない。
そう思えるだけで、目に映る景色まで変わって見えた。
その日の午後、デスクの引き出しを整理していると、一番奥から薄いブルーの封筒が出てきた。
七年前の私の封筒。中身は、空のまま。
誤解も、距離も、迷いも乗り越えた今、この封筒はもう“あとで”を閉じ込める箱ではなくなっていた。
ふと、隣のデスクの神宮寺がこちらを見て、目だけで「どうした?」と問いかけてくる。
私は封筒を軽く掲げてみせた。
彼は立ち上がり、静かに近づくと、その封筒を受け取り、自分の胸ポケットにそっとしまった。
「これは……もう預かっておく」
「大事にしてくださいね」
「ああ。一生持ってる」
定時後、私たちは駅前の小さなイタリアンに向かった。
この案件の打ち上げと称して二人きりで食事をするのは、これが初めてだ。
窓際の席でグラスを合わせると、琥珀色の液体が静かに揺れる。
「本当に、おつかれさま」
「ありがとうございます。……隣で支えてくれて、ありがとうございました」
言葉を交わすたび、胸の奥に温かい光が灯る。
食事の終わり、神宮寺がポケットから封筒を取り出した。
そして、そこに小さな白い便箋を一枚差し込み、私の前に置く。
「これで、やっと中身が入った」
恐る恐る開くと、短いけれど確かな一文が目に飛び込んだ。
——『これからも、一緒に歩いていこう』
店を出ると、夜風がやわらかく頬を撫でた。
駅までの道、傘もいらない春の空気の中で、肩と肩が自然に触れる。
七年前の自分に、この瞬間を見せてあげたいと思った。
「……これからは、“あとで”じゃなく、“いま”にします」
「それがいい」
彼はそう言って、小さく笑った。
改札前で立ち止まり、互いに視線を合わせる。
青い封筒は、もう“過去の象徴”ではない。
これから二人で紡ぐ未来の、小さな約束の入れ物になった。
電車がホームに滑り込み、ドアが開く。
振り返ったとき、彼の瞳には迷いがなく、まっすぐな光が宿っていた。
私はその光を胸に刻み、足を踏み出す。
——この物語は、ここで一度幕を下ろす。
けれど、私たちの時間は、これから始まっていく。
(完)