「雨の交差点で、君をもう一度」
第6章「同期の傘」
週の半ば、昼過ぎから降り出した雨は、夕方には本降りになっていた。
オフィスの窓ガラスを打つ水音が、資料のページをめくる手にまで染み込んでくるようだった。
今日は神宮寺が本社会議のため外出している。
フロアはいつもより静かで、私も残業の準備をしながら資料の修正を続けていた。
「美桜、帰るの?」
隣の席から顔を出した奏多が、机の下から折りたたみ傘を取り出す。
「……ううん、もう少しやる」
「じゃあ、俺も残ろうかな」
そう言って自分のPCを立ち上げる彼の横顔に、少しだけ救われる気持ちがした。
定時を一時間過ぎたころ、ようやく資料の修正が終わった。
外は相変わらず雨。窓の外の街灯が、濡れたアスファルトに滲んでいる。
「傘、持ってきてないだろ」
奏多が当然のように自分の傘を差し出した。
「でも、奏多が濡れるよ」
「俺、平気。駅まで近いし」
押し切られる形で、私は彼と並んでエントランスを出た。
傘の下、距離は自然と近くなる。
肩と肩が軽く触れ合い、そのたびに奏多がさりげなく傘を傾ける。
「……ありがとね」
「ん? 何が」
「いろいろ」
雨音に紛れるくらい小さな声。
彼は何も言わず、ただ歩幅を合わせてくれた。
駅前に着くと、奏多が笑顔で言った。
「じゃあ、また明日な」
「うん、また明日」
そのやり取りの後ろ、駅ビルの軒下に立つ背の高い人影に気づくのは、ほんの一瞬遅れた。
——神宮寺。
スーツの肩にわずかに雨粒を受け、黒い瞳がこちらを静かに見ていた。
視線が合った瞬間、胸が跳ねる。
けれど彼は何も言わず、ゆっくりと視線を外した。
翌朝、出社してデスクに座ると、メールボックスに神宮寺からの連絡が届いていた。
《昨日の資料、修正版確認しました。午後、直接話します》
いつも通りの簡潔な文面。
それなのに、文字の間に沈黙があるように感じられる。
午後、会議室で二人きりになったとき、彼がふいに口を開いた。
「……昨日、佐伯と一緒だったな」
「え?」
「駅前で見た」
淡々とした声に、鼓動が速くなる。
「傘、差してもらってただけです」
「そうか」
それ以上何も言わず、彼は資料に視線を落とした。
けれど、その横顔はいつもよりわずかに硬い。
会議の後も、彼との会話は業務的なものだけだった。
私が望んでいたはずの距離感。——なのに、胸の奥が重く沈んでいく。
その夜、帰宅してベッドに横たわると、雨の匂いが蘇った。
傘の下で感じた奏多の温もり。
でも、その奥にこびりついて離れないのは、駅前で立ち尽くしていた神宮寺の視線だった。
オフィスの窓ガラスを打つ水音が、資料のページをめくる手にまで染み込んでくるようだった。
今日は神宮寺が本社会議のため外出している。
フロアはいつもより静かで、私も残業の準備をしながら資料の修正を続けていた。
「美桜、帰るの?」
隣の席から顔を出した奏多が、机の下から折りたたみ傘を取り出す。
「……ううん、もう少しやる」
「じゃあ、俺も残ろうかな」
そう言って自分のPCを立ち上げる彼の横顔に、少しだけ救われる気持ちがした。
定時を一時間過ぎたころ、ようやく資料の修正が終わった。
外は相変わらず雨。窓の外の街灯が、濡れたアスファルトに滲んでいる。
「傘、持ってきてないだろ」
奏多が当然のように自分の傘を差し出した。
「でも、奏多が濡れるよ」
「俺、平気。駅まで近いし」
押し切られる形で、私は彼と並んでエントランスを出た。
傘の下、距離は自然と近くなる。
肩と肩が軽く触れ合い、そのたびに奏多がさりげなく傘を傾ける。
「……ありがとね」
「ん? 何が」
「いろいろ」
雨音に紛れるくらい小さな声。
彼は何も言わず、ただ歩幅を合わせてくれた。
駅前に着くと、奏多が笑顔で言った。
「じゃあ、また明日な」
「うん、また明日」
そのやり取りの後ろ、駅ビルの軒下に立つ背の高い人影に気づくのは、ほんの一瞬遅れた。
——神宮寺。
スーツの肩にわずかに雨粒を受け、黒い瞳がこちらを静かに見ていた。
視線が合った瞬間、胸が跳ねる。
けれど彼は何も言わず、ゆっくりと視線を外した。
翌朝、出社してデスクに座ると、メールボックスに神宮寺からの連絡が届いていた。
《昨日の資料、修正版確認しました。午後、直接話します》
いつも通りの簡潔な文面。
それなのに、文字の間に沈黙があるように感じられる。
午後、会議室で二人きりになったとき、彼がふいに口を開いた。
「……昨日、佐伯と一緒だったな」
「え?」
「駅前で見た」
淡々とした声に、鼓動が速くなる。
「傘、差してもらってただけです」
「そうか」
それ以上何も言わず、彼は資料に視線を落とした。
けれど、その横顔はいつもよりわずかに硬い。
会議の後も、彼との会話は業務的なものだけだった。
私が望んでいたはずの距離感。——なのに、胸の奥が重く沈んでいく。
その夜、帰宅してベッドに横たわると、雨の匂いが蘇った。
傘の下で感じた奏多の温もり。
でも、その奥にこびりついて離れないのは、駅前で立ち尽くしていた神宮寺の視線だった。