愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~

第33話 満開の曼珠沙華、赦されざる友の証

 藤夜が身体から引き剥がされるまで、季音はここにいるのだろう。藤夜に言われた通り、藤棚の四阿(あずまや)へと足早に歩んだ。

 稚児は四阿(あずまや)の前の書き物机にちょこんと座っていた。季音に気づくと、よちよちと歩み寄って来る。

「どうしたの?」

 季音は稚児を抱き寄せ、濡羽色(ぬればいろ)の髪を撫でる。けれど、彼は季音の顔をまじまじ見るなり、首を傾ける。

 藤夜と勘違いしたのだろう……確かに見た目は似ているが、顔も声も明らかに違う。
 この子は藤夜と過ごした時間が長い。彼女に懐いていると改めて悟り、季音はほんの少し複雑な気持ちになった。

「私は藤夜様じゃないわ。今、藤夜様は表に出てるの。何をしていたの?」

 優しく尋ねると、稚児は季音の手を引き、拙い歩みで書き物机まで導いた。若草色の帳面を渡し、ぱっと明るい笑顔を咲かせた。

「読んでほしいのかしら……?」

 数日前、季音が見つけた帳面だった。藤夜が綴った短歌が、淡い墨の文字で並んでいる。
 彼女はいったい何を伝えようとしたのだろう。

 季音は静かに項をめくり、指先で紙の感触をたどる。すると、そばにいた稚児が、紅葉のような小さな手をそっと差し入れ、帳面のある項を指し示す。
 その仕草は、まるでそこを読んでほしいと無言で訴えているようだった。
 
 季音が稚児に目を向けると、黒曜石のように澄んだ丸い瞳が細められ、こくりと頷く。その顔立ちは季音に似ているのに、どこか龍志を思わせる柔らかな微笑みを浮かべていた。思わず息を飲み、季音の胸は熱く締め付けられる。

「分かったわ。読んでみるわね……」

 季音は文字を目で追い、やがてそれが自分に宛てた文だと気づく。
 その文字の羅列は、謝罪の言葉。高慢な藤夜らしからぬ、素直で深い懺悔が綴られていた。
 季音は思わず目を(みは)る。達筆な墨の筆跡が、何項にもわたり事細かに心の内を明かし、最後には「お前の起こした一つの奇跡が、私を憎悪の苦しみから救った――」と感謝の言葉が記されていた。

 ――時代(とき)を越え
 歩む彼岸は 程遠い
 (めぐ)(めく)りし 戀華(れんか)(こよみ)

 添えられた短歌を詠み、季音は静かに帳面を閉じた。

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