銀の福音

第四十一話 銀色の福音と贖罪の狼煙

 ヴォルフシュタイン城は、希望の光に包まれていた。

 エリアーナが産んだ男の子は、「アルヴィン」と名付けられた。その銀色の髪は、カイエンの「星の血脈」を受け継ぐ証であり、北方の民にとっては、新しい時代の幕開けを告げる吉兆だった。

 「ようこそ、アルヴィン。私が、お前の母よ」

 エリアーナは、腕の中の小さな命に、涙ながらに語りかける。その隣で、カイエンが不器用ながらも優しい手つきで、アルヴィンの小さな指に触れていた。

 絶望の森で出会った二つの孤独な魂は、アルヴィンという存在を得て、初めて「家族」となった。

 エリアーナにとって、錬金術はもはや孤独な探求ではない。この子の未来を、豊かで平和なものにするための、希望の科学だ。

 カイエンにとって、論理はもはや自らを守るための檻ではない。この二人のかけがえのない日常を、何者にも脅かさせないための、絶対的な城壁なのだ。

 二人の行動原理は、「家族を守る」という、シンプルで、しかし何よりも強い理想へと昇華されていた。

 だが、その穏やかな光を打ち消さんと、城の外では闇が蠢いていた。

 リリアーナが貯水塔に投げ込んだ発信薬。それは、「賢者の真眼」に対して、計画の最終段階へと移行する合図であると同時に、裏切りを知らせるSOSでもあった。

 組織は、リリアーナの裏切りを即座に察知し、城内に潜伏させていた最悪の駒を動かした。

 影に生き、影に紛れて標的を屠る暗殺者一派。その中でも「無貌(フェイスレス)」と呼ばれる、変幻自在の暗殺者だった。

 その夜、リリアーナは自室で、震える手で一枚の羊皮紙にペンを走らせていた。

 「賢者の真眼」の目的、組織の規模、そして自らが知る限りの情報を、エリアーナに遺すために。

 赤子の産声を聞いた瞬間、彼女を縛り付けていた嫉妬と劣等感の呪いは、確かに解けた。診療所で感じた、誰かの役に立つ喜び。それこそが、自分が本当に求めていたものだったのかもしれない。

 『私は、聖女にはなれなかった。女王にもなれない。でも、最後に、エリアーナの「姉」として、あの子たちを守ることはできるはず』

 蝶と花の記憶。いつも妹の後ろを歩いていた自分が、初めて、妹の前に立ち、その盾となる。それが、彼女が自らの意志で見つけ出した、最後のプライドであり、贖罪の形だった。

 手紙を書き終え、侍女に託そうとした、その時。

 背後に、音もなく、人の気配がした。

 振り返ったリリアーナの目に映ったのは、ついさっきまで廊下ですれ違ったはずの、衛兵の姿。だが、その瞳は、人のものではなかった。冷たく、昏い、底なしの闇。

 「裏切り者には、死を」

 衛兵の姿をした「無貌」の手に握られた短剣が、リリアーナの胸を貫いた。

 「……かはっ……」

 リリアーナは、口から血を流しながら、最後の力を振り絞り、懐に隠していた小さな警報魔道具を握り潰した。城内に、甲高い警報音が鳴り響く。

 薄れゆく意識の中、リリアーナは、エリアーナと、まだ見ぬ甥の顔を思い浮かべていた。

 ごめんなさい、エリアーナ。どうか、幸せに……。
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