銀の福音
第四十話 銀色の赤子と女王の選択
「ギデオン。あとは、お前に任せる」
「……公爵様!」
「俺は、俺が守るべきものの元へ行く。父の論理を、今こそ証明するために」
カイエンは、ギデオンの肩を強く叩くと、愛馬に飛び乗り、ヴォルフシュタイン城へと疾駆した。その背中を見送りながら、ギデオンは涙をこらえ、剣を抜いた。
「全軍に告ぐ!我らが主君は、未来を守るために戻られた!我らは、その未来へと繋ぐ、鋼の盾となる!死力を尽くせ!」
主君の愛を知った騎士たちの雄叫びが、戦場に響き渡った。
ヴォルフシュタイン城は、エリアーナの出産を控え、厳戒態勢が敷かれていた。
その混乱に乗じて、一人の侍女が、城の最上階にある貯水塔へと、密かに向かっていた。リリアーナだった。
彼女の頭の中では、蝶と花の記憶が、繰り返し再生されていた。
『私が、一番に……。私が、特別に……』
その呪いのような言葉が、彼女の足を前へと進ませる。
産室の扉が、勢いよく開かれた。
「エリアーナ!」
汗だくのエリアーナの元に、カイエンが駆け寄る。彼は、その手を強く、強く握りしめた。
「……カイエン様……来て、くださったのですね……」
「当たり前だ。俺たちの、始まりの瞬間を見逃すわけがないだろう」
カイエンの存在が、エリアーナに最後の力を与える。
そして、遠い鬨の声と、すぐそばで聞こえる愛する人の声に包まれながら、エリアーナは、最後の力を振り絞った。
「オギャアアアアアア!」
力強い産声が、城中に響き渡った。
侍女が抱き上げた赤子を見て、カイエンとエリアーナは息を呑んだ。
何故だろうか?血はつながらないはずなのに、その髪は、月光を溶かし込んだような、美しい銀色。その理屈はわからないが、カイエンの「星の血脈」を、色濃く受け継いでいる証だった。エリアーナが妊娠中に「星の血脈」に由来する膨大な魔力を浴びたからなのかもしれない。
「……私たちの、宝……」
エリアーナの頬を、涙が伝う。カイエンは、その涙を優しく拭い、赤子とエリアーナを、一緒に抱きしめた。
絶望の森で出会った二つの孤独な魂が、新しい希望という名の光を、その腕の中に確かに抱いた瞬間だった。
その産声は、貯水塔の上にいた、リリアーナの耳にも届いていた。
彼女は、懐から取り出した小瓶の蓋を開け、その中身を、眼下の水面へと注ぎ込もうとする。
だが、その手が、赤子の無垢な泣き声を聞いた瞬間、ぴたりと止まった。
なぜだろう。あの産声は、自分がずっと憎んできた妹の勝利を告げる音のはずなのに。少しも、憎いと思えなかった。
むしろ、その小さな命の叫びは、彼女の心の奥底にこびりついていた、嫉妬と劣等感の澱を、洗い流していくようだった。
『ありがとう』
診療所で、村人たちから掛けられた、ささやかな感謝の言葉が蘇る。
自分は、本当に女王になりたかったのだろうか?ただ、誰かに必要とされ、誰かの役に立っていると、実感したかっただけではないのか。
リリアーナは、手に持っていた小瓶――人の心を操る毒薬――を見つめた。そして、もう一つの小瓶――「賢者の真眼」の使者を呼び出すための、発信薬――を取り出した。
彼女は、一瞬ためらった後、意を決して、後者の小瓶を、貯水塔へと投げ入れた。
エリアーナ、ごめんなさい。私にできる、最後の償い。
これが、私が選んだ、私の道。
リリアーナは、迫りくるであろう追っ手を待ちながら、不思議と晴れやかな気持ちで、空を見上げていた。
「……公爵様!」
「俺は、俺が守るべきものの元へ行く。父の論理を、今こそ証明するために」
カイエンは、ギデオンの肩を強く叩くと、愛馬に飛び乗り、ヴォルフシュタイン城へと疾駆した。その背中を見送りながら、ギデオンは涙をこらえ、剣を抜いた。
「全軍に告ぐ!我らが主君は、未来を守るために戻られた!我らは、その未来へと繋ぐ、鋼の盾となる!死力を尽くせ!」
主君の愛を知った騎士たちの雄叫びが、戦場に響き渡った。
ヴォルフシュタイン城は、エリアーナの出産を控え、厳戒態勢が敷かれていた。
その混乱に乗じて、一人の侍女が、城の最上階にある貯水塔へと、密かに向かっていた。リリアーナだった。
彼女の頭の中では、蝶と花の記憶が、繰り返し再生されていた。
『私が、一番に……。私が、特別に……』
その呪いのような言葉が、彼女の足を前へと進ませる。
産室の扉が、勢いよく開かれた。
「エリアーナ!」
汗だくのエリアーナの元に、カイエンが駆け寄る。彼は、その手を強く、強く握りしめた。
「……カイエン様……来て、くださったのですね……」
「当たり前だ。俺たちの、始まりの瞬間を見逃すわけがないだろう」
カイエンの存在が、エリアーナに最後の力を与える。
そして、遠い鬨の声と、すぐそばで聞こえる愛する人の声に包まれながら、エリアーナは、最後の力を振り絞った。
「オギャアアアアアア!」
力強い産声が、城中に響き渡った。
侍女が抱き上げた赤子を見て、カイエンとエリアーナは息を呑んだ。
何故だろうか?血はつながらないはずなのに、その髪は、月光を溶かし込んだような、美しい銀色。その理屈はわからないが、カイエンの「星の血脈」を、色濃く受け継いでいる証だった。エリアーナが妊娠中に「星の血脈」に由来する膨大な魔力を浴びたからなのかもしれない。
「……私たちの、宝……」
エリアーナの頬を、涙が伝う。カイエンは、その涙を優しく拭い、赤子とエリアーナを、一緒に抱きしめた。
絶望の森で出会った二つの孤独な魂が、新しい希望という名の光を、その腕の中に確かに抱いた瞬間だった。
その産声は、貯水塔の上にいた、リリアーナの耳にも届いていた。
彼女は、懐から取り出した小瓶の蓋を開け、その中身を、眼下の水面へと注ぎ込もうとする。
だが、その手が、赤子の無垢な泣き声を聞いた瞬間、ぴたりと止まった。
なぜだろう。あの産声は、自分がずっと憎んできた妹の勝利を告げる音のはずなのに。少しも、憎いと思えなかった。
むしろ、その小さな命の叫びは、彼女の心の奥底にこびりついていた、嫉妬と劣等感の澱を、洗い流していくようだった。
『ありがとう』
診療所で、村人たちから掛けられた、ささやかな感謝の言葉が蘇る。
自分は、本当に女王になりたかったのだろうか?ただ、誰かに必要とされ、誰かの役に立っていると、実感したかっただけではないのか。
リリアーナは、手に持っていた小瓶――人の心を操る毒薬――を見つめた。そして、もう一つの小瓶――「賢者の真眼」の使者を呼び出すための、発信薬――を取り出した。
彼女は、一瞬ためらった後、意を決して、後者の小瓶を、貯水塔へと投げ入れた。
エリアーナ、ごめんなさい。私にできる、最後の償い。
これが、私が選んだ、私の道。
リリアーナは、迫りくるであろう追っ手を待ちながら、不思議と晴れやかな気持ちで、空を見上げていた。