銀の福音
第四十四話 侍女の記憶と血の真実
戦況は、カイエンの反撃によって、大きく動き始めていた。北方の兵士たちは、公爵自らが先陣を切る姿に士気を高め、王都軍を徐々に押し戻していく。
だが、エリアーナの心は、戦場の喧騒から離れた、別の場所に囚われていた。
姉リリアーナが、死の間際に遺した言葉。『私は……たぶん……マーサの……子……』
「ギデオン。お願いがあります」
エリアーナは、城の警護を任されていたギデオンに、一枚の似顔絵を見せた。それは、グラーヴェン村でリリアーナが世話をしたという、老婆エルマの絵だった。
「この方を、探し出してください。姉の……そして、私の過去を知るために」
姉の死は、彼女に深い悲しみと共に、一つの大きな疑問を遺した。自分たちは、一体何者なのか。ローゼンベルク家とは、何だったのか。その真実を知ることこそが、姉の魂に報い、自らが何のために戦うのかを、真に理解することに繋がると、彼女は信じていた。錬金術師としての彼女の探究心が、今、自らのルーツという、最も難解な謎に向けられていた。
ギデオンの調査は、迅速を極めた。数日後、エルマはヴォルフシュタイン城へと、丁重に招かれた。
エリアーナと二人きりになった部屋で、エルマは、震える声で、遠い過去の物語を語り始めた。
「……マーサは、わっちの妹での。奥様とは、乳姉妹のように育った、一番の親友じゃった」
エルマの口から語られたのは、エリアーナが知る歴史とは全く違う、真実だった。
エリアーナの母、セレスティーナは、心優しいが病弱で、跡継ぎを産むことが難しい体だった。追い詰められた彼女は、夫であるローゼンベルク侯爵にも秘密で、禁断の魔術に手を出してしまう。それは、他者の胎を借りて、自らの血を引く子を産ませるという、古代の秘術だった。
そして、その胎を貸したのが、セレスティーナを心から敬愛していた、侍女マーサだったのだ。
「あんた様たち、双子のお二人は、まぎれもなく奥様のお子じゃ。じゃが、マーサの胎を借りたことで、ローゼンベルクの血に、僅かに、じゃが、決定的な『歪み』が生まれてしまった……」
ローゼンベルク家には、古くから伝わる呪いがあった。それは、「双子が生まれた時、一人は光となり、もう一人は、その光を喰らう影となる」という、不吉な予言。
侯爵は、その予言を恐れ、そして、禁断の魔術を使った妻の罪を隠すため、マーサに不義の濡れ衣を着せ、追放した。そして、姉のリリアーナを「光」、妹のエリアーナを「影」として扱い、二人を意図的に引き離して育てた。全ては、呪いの発現を防ぐための、歪んだ愛情だったのだ。
「あんた様たちのお家、ローゼンベルク家の始祖は、かつて世界の調和を願うあまり、自らの血筋に壮大な錬成を施したんじゃ」
「それは、世界中のマナを安定させ、争いをなくす『福音』の力。じゃが、その強大すぎる力は、時に持ち主を狂わせる。始祖は力の暴走を防ぐための『枷』、すなわち『呪い』を同時に刻んだんじゃよ」
「力は通常、一人の子にのみ宿る。じゃが、あんた様たちのお母上様は、禁断の代理母の魔術を使った。血に歪みが生まれ、双子のお二人に『福音』と『呪い』が分かれて顕現してしまったんじゃ」
「お父上様は、二つの力が共鳴し、制御不能の災厄となることを恐れた。リリアーナ様を『光』として蝶よ花よと育て、あんた様を『影』として遠ざけた。すべては、二人を、そして世界を守るための、歪んだ愛情だったんじゃよ……」
その衝撃の事実に、エリアーナは言葉を失った。
姉が、自分にあれほど執着した理由。両親が、自分を疎んじた本当の意味。すべての謎が、今、一つに繋がった。
リリアーナは、「光」でなければならないという、親の期待と呪いに、ずっと一人で苦しんでいたのだ。
「……そう、でしたか……。姉様は、ずっと……」
エリアーナの瞳から、熱い涙がこぼれ落ちた。
憎しみは、もうどこにもなかった。ただ、姉が背負わされた運命の過酷さに、胸が張り裂けそうだった。
その時、窓の外が、にわかに騒がしくなった。
「申し上げます!黒獅子将軍の軍が、罠にかかりました!カイエン様が、敵本陣への突撃を開始されました!」
伝令の興奮した声。
だが、エリアーナの心は、別の不安に揺れていた。
姉が遺した手紙にあった、もう一つの警告。『賢者の真眼の本当の狙いは、ローゼンベルクの血が持つ、呪いの力そのもの』。
カイエンが敵本陣を叩いている、今。城が、最も手薄になる、この瞬間こそ、敵が狙う、最大の好機ではないのか。
エリアーナは、腕の中のアルヴィンを強く抱きしめた。
「ルーン!」
彼女の叫びに、聖獣が、守るようにその前に立ちはだかった。
だが、エリアーナの心は、戦場の喧騒から離れた、別の場所に囚われていた。
姉リリアーナが、死の間際に遺した言葉。『私は……たぶん……マーサの……子……』
「ギデオン。お願いがあります」
エリアーナは、城の警護を任されていたギデオンに、一枚の似顔絵を見せた。それは、グラーヴェン村でリリアーナが世話をしたという、老婆エルマの絵だった。
「この方を、探し出してください。姉の……そして、私の過去を知るために」
姉の死は、彼女に深い悲しみと共に、一つの大きな疑問を遺した。自分たちは、一体何者なのか。ローゼンベルク家とは、何だったのか。その真実を知ることこそが、姉の魂に報い、自らが何のために戦うのかを、真に理解することに繋がると、彼女は信じていた。錬金術師としての彼女の探究心が、今、自らのルーツという、最も難解な謎に向けられていた。
ギデオンの調査は、迅速を極めた。数日後、エルマはヴォルフシュタイン城へと、丁重に招かれた。
エリアーナと二人きりになった部屋で、エルマは、震える声で、遠い過去の物語を語り始めた。
「……マーサは、わっちの妹での。奥様とは、乳姉妹のように育った、一番の親友じゃった」
エルマの口から語られたのは、エリアーナが知る歴史とは全く違う、真実だった。
エリアーナの母、セレスティーナは、心優しいが病弱で、跡継ぎを産むことが難しい体だった。追い詰められた彼女は、夫であるローゼンベルク侯爵にも秘密で、禁断の魔術に手を出してしまう。それは、他者の胎を借りて、自らの血を引く子を産ませるという、古代の秘術だった。
そして、その胎を貸したのが、セレスティーナを心から敬愛していた、侍女マーサだったのだ。
「あんた様たち、双子のお二人は、まぎれもなく奥様のお子じゃ。じゃが、マーサの胎を借りたことで、ローゼンベルクの血に、僅かに、じゃが、決定的な『歪み』が生まれてしまった……」
ローゼンベルク家には、古くから伝わる呪いがあった。それは、「双子が生まれた時、一人は光となり、もう一人は、その光を喰らう影となる」という、不吉な予言。
侯爵は、その予言を恐れ、そして、禁断の魔術を使った妻の罪を隠すため、マーサに不義の濡れ衣を着せ、追放した。そして、姉のリリアーナを「光」、妹のエリアーナを「影」として扱い、二人を意図的に引き離して育てた。全ては、呪いの発現を防ぐための、歪んだ愛情だったのだ。
「あんた様たちのお家、ローゼンベルク家の始祖は、かつて世界の調和を願うあまり、自らの血筋に壮大な錬成を施したんじゃ」
「それは、世界中のマナを安定させ、争いをなくす『福音』の力。じゃが、その強大すぎる力は、時に持ち主を狂わせる。始祖は力の暴走を防ぐための『枷』、すなわち『呪い』を同時に刻んだんじゃよ」
「力は通常、一人の子にのみ宿る。じゃが、あんた様たちのお母上様は、禁断の代理母の魔術を使った。血に歪みが生まれ、双子のお二人に『福音』と『呪い』が分かれて顕現してしまったんじゃ」
「お父上様は、二つの力が共鳴し、制御不能の災厄となることを恐れた。リリアーナ様を『光』として蝶よ花よと育て、あんた様を『影』として遠ざけた。すべては、二人を、そして世界を守るための、歪んだ愛情だったんじゃよ……」
その衝撃の事実に、エリアーナは言葉を失った。
姉が、自分にあれほど執着した理由。両親が、自分を疎んじた本当の意味。すべての謎が、今、一つに繋がった。
リリアーナは、「光」でなければならないという、親の期待と呪いに、ずっと一人で苦しんでいたのだ。
「……そう、でしたか……。姉様は、ずっと……」
エリアーナの瞳から、熱い涙がこぼれ落ちた。
憎しみは、もうどこにもなかった。ただ、姉が背負わされた運命の過酷さに、胸が張り裂けそうだった。
その時、窓の外が、にわかに騒がしくなった。
「申し上げます!黒獅子将軍の軍が、罠にかかりました!カイエン様が、敵本陣への突撃を開始されました!」
伝令の興奮した声。
だが、エリアーナの心は、別の不安に揺れていた。
姉が遺した手紙にあった、もう一つの警告。『賢者の真眼の本当の狙いは、ローゼンベルクの血が持つ、呪いの力そのもの』。
カイエンが敵本陣を叩いている、今。城が、最も手薄になる、この瞬間こそ、敵が狙う、最大の好機ではないのか。
エリアーナは、腕の中のアルヴィンを強く抱きしめた。
「ルーン!」
彼女の叫びに、聖獣が、守るようにその前に立ちはだかった。