銀の福音
第四十三話 反撃の氷狼と黒獅子の焦燥
ヴォルフシュタイン城に掲げられた公爵家の旗が、半旗として弔意を示していた。だが、その静けさとは裏腹に、北方の軍事力は、今、最も熱く、激しく燃え上がろうとしていた。
リリアーナの葬儀を終えたカイエンは、作戦室に戻るなり、一枚の命令書を書き上げた。そのアイスブルーの瞳には、もはや悲しみの色はなく、敵を殲滅するという、絶対零度の決意だけが宿っていた。
「全軍に告ぐ。これより、我々は反撃に転じる」
その言葉に、ギデオンをはじめとする将軍たちは息を呑んだ。
「しかし公爵様、兵力差は依然として……」
「論理は、常に変化する。リリアーナの死という新たな『変数』が、俺の計算式を書き換えた」
カイエンは、地図上のバルドゥール軍本陣を、一本の矢で貫いた。
「奴は、俺が守りに入ると読んでいる。エリアーナと、生まれたばかりのアルヴィンを守るために、城から動けない、と。だが、最高の守りとは、敵の心臓を、その思考ごと喰い破ることだ」
父の最後の教え、『愛する者を守る』。その言葉は、彼の論理を、より強く、よりしなやかなものへと進化させた。リリアーナの死は、彼の守るべき『家族』を奪った。ならば、その元凶を、根絶やしにすることこそが、今、最も優先すべき、最も『論理的』な行動なのだ。彼の怒りは、もはや冷たい氷ではない。触れるものすべてを凍てつかせながら、燃え盛る蒼い炎だった。
カイエン率いる少数精鋭の騎馬隊は、嵐のように戦場を駆け抜けた。それは、予測不能な軌道を描く、死の吹雪だった。バルドゥールの堅牢な陣形を巧みに避け、補給部隊を叩き、指揮系統を混乱させる。守るべきものを背負った氷の獅子は、かつてのライバルさえもが予測できない、神出鬼没の戦鬼と化していた。
その報は、王都軍本陣にいる黒獅子将軍バルドゥールの元に、次々と凶報としてもたらされた。
「馬鹿な!カイエンの動きが、全く読めん!」
バルドゥールは、苛立たしげに机を殴りつけた。
彼が信じるのは、絶対的な力と、それによってもたらされる恐怖による秩序。かつて親友を斬ったあの日から、彼は人の心という不確かなものを捨てた。だが、今のカイエンの戦い方は、論理だけではない。何か、得体の知れない激情に突き動かされている。その『不合理』な力が、自分の信じてきた『力の秩序』を、内側から蝕んでいくような焦燥感。彼は、カイエンの中に、かつて自分が捨てたはずの、友の面影を見ているのかもしれなかった。
その頃、ヴォルフシュタイン城の研究室。
エリアーナは、姉が遺した手紙を胸に、一つの決意を固めていた。
「……姉様。あなたの命を奪ったあの組織を、私は許さない」
彼女は、助手の錬金術師たちに、極秘の指示を出した。それは、黒の森を浄化した際に発見した「星雫苔」と、カイエンの「星の血脈」の血液サンプルを組み合わせるという、あまりにも危険な研究。
「マナの構造を、根源から書き換える『福音』にも、そして『災厄』にもなりうる、禁断の錬成です。ですが、これしか、この戦争を終わらせる方法はない……それに……」
母として、アルヴィンを守りたい。その想いが、彼女に悪魔の兵器ともなりうる、禁断の扉を開かせようとしていた。
姉の死は、彼女から、ただ守られるだけのか弱さを、完全に奪い去っていた。
リリアーナの葬儀を終えたカイエンは、作戦室に戻るなり、一枚の命令書を書き上げた。そのアイスブルーの瞳には、もはや悲しみの色はなく、敵を殲滅するという、絶対零度の決意だけが宿っていた。
「全軍に告ぐ。これより、我々は反撃に転じる」
その言葉に、ギデオンをはじめとする将軍たちは息を呑んだ。
「しかし公爵様、兵力差は依然として……」
「論理は、常に変化する。リリアーナの死という新たな『変数』が、俺の計算式を書き換えた」
カイエンは、地図上のバルドゥール軍本陣を、一本の矢で貫いた。
「奴は、俺が守りに入ると読んでいる。エリアーナと、生まれたばかりのアルヴィンを守るために、城から動けない、と。だが、最高の守りとは、敵の心臓を、その思考ごと喰い破ることだ」
父の最後の教え、『愛する者を守る』。その言葉は、彼の論理を、より強く、よりしなやかなものへと進化させた。リリアーナの死は、彼の守るべき『家族』を奪った。ならば、その元凶を、根絶やしにすることこそが、今、最も優先すべき、最も『論理的』な行動なのだ。彼の怒りは、もはや冷たい氷ではない。触れるものすべてを凍てつかせながら、燃え盛る蒼い炎だった。
カイエン率いる少数精鋭の騎馬隊は、嵐のように戦場を駆け抜けた。それは、予測不能な軌道を描く、死の吹雪だった。バルドゥールの堅牢な陣形を巧みに避け、補給部隊を叩き、指揮系統を混乱させる。守るべきものを背負った氷の獅子は、かつてのライバルさえもが予測できない、神出鬼没の戦鬼と化していた。
その報は、王都軍本陣にいる黒獅子将軍バルドゥールの元に、次々と凶報としてもたらされた。
「馬鹿な!カイエンの動きが、全く読めん!」
バルドゥールは、苛立たしげに机を殴りつけた。
彼が信じるのは、絶対的な力と、それによってもたらされる恐怖による秩序。かつて親友を斬ったあの日から、彼は人の心という不確かなものを捨てた。だが、今のカイエンの戦い方は、論理だけではない。何か、得体の知れない激情に突き動かされている。その『不合理』な力が、自分の信じてきた『力の秩序』を、内側から蝕んでいくような焦燥感。彼は、カイエンの中に、かつて自分が捨てたはずの、友の面影を見ているのかもしれなかった。
その頃、ヴォルフシュタイン城の研究室。
エリアーナは、姉が遺した手紙を胸に、一つの決意を固めていた。
「……姉様。あなたの命を奪ったあの組織を、私は許さない」
彼女は、助手の錬金術師たちに、極秘の指示を出した。それは、黒の森を浄化した際に発見した「星雫苔」と、カイエンの「星の血脈」の血液サンプルを組み合わせるという、あまりにも危険な研究。
「マナの構造を、根源から書き換える『福音』にも、そして『災厄』にもなりうる、禁断の錬成です。ですが、これしか、この戦争を終わらせる方法はない……それに……」
母として、アルヴィンを守りたい。その想いが、彼女に悪魔の兵器ともなりうる、禁断の扉を開かせようとしていた。
姉の死は、彼女から、ただ守られるだけのか弱さを、完全に奪い去っていた。