出涸らしと呼ばれた第七皇子妃は出奔して、女嫌いの年下皇子の侍女になりました

六十八話〜脱出〜




「悪いな、大丈夫か?」

「……はい」

 扉を開けると直ぐ目の前にザッカリーがいたのでぶつかりそうになったが、向こうが避けたので大事なかった。
 内心驚きながらも、咄嗟に顔が見えないように俯き加減にする。
 だが彼は軽く謝罪をすると、特に気に留める様子もなくそのまま通り過ぎる。

「お嬢ちゃん、さっさとしないと厨房にも捜索が入るぞ」

「ーー」

 足を止める事なく肩越しにそう言うと、右手をヒラヒラとさせながら去って行く。
 果たして気付いているのか、それともエヴェリーナが手にしているトレーを見て単純に忠告しただけなのかは分からない。気にはなるが、余計な詮索をしている場合ではない。

 エヴェリーナはザッカリーに背を向けると、足早にその場から立ち去った。



「っ‼︎」

 厨房を目指し暫く廊下を歩いていたが、角を曲がった時、衝撃を受けた。
 エヴェリーナは手を滑らせトレーを落としそうになるが寸前の所で堪えた。

 接触した相手を見れば、ユージーンだった。
 少し息を切らし額に汗を滲ませている事から、恐らく走っていたものと思われる。
 
「君は……」

 彼が何かを言い掛けた時、正面から数名の騎士達が駆けて来るのが見えた。
 その事に気付いたユージーンの顔には焦燥が滲む。どうやら騎士達は彼の後を追って来たみたいだ。

 巻き込まれないように、取り敢えずこの場から離れようと今来た方向へ戻ろと踵を返すがーー

「ーーっ」

 辺りに無機質な音が響く。
 不意に腕を捕まれ、強く引っ張られた衝撃で今度こそ手からトレーは離れ、結局床に落ちて茶器が散乱した。

「それ以上近付けば、この娘を殺す」

 ユージーンは、懐から短刀を取り出すとそれをエヴェリーナの首元に突き付けた。
 その瞬間、騎士達は踏み出す足を止めた。

 予想外のユージーンの行動にエヴェリーナは困惑しながも呆れてしまう。
 全く往生際の悪い事だ。
 事情聴取の為に拘束されるだろうが、別に極刑になる訳でもあるまに、人質を取ってまで逃げる意味が分からない。罪が増え不利になるだけだ。

「逃げてどうなさるおつもりですか?」

 エヴェリーナは、ユージーンだけに聞こえように小声で話し掛ける。

「ビアンカに会いに行く」

「理由をお伺いしても宜しいでしょうか?」

「このまま捕まれば、ビアンカに会えなくなる」

「……私などを人質にしましても、領地までは辿り着けないかと思いますよ」

 
 ユージーンが殺人犯などの極悪人でなくとも、その罪は決して軽くはない。当然、見逃すなどあり得ない。
 今のエヴェリーナは平民で、人質としての価値は低い。罪人を捕まえる為なら、平民一人の命など取るたらない筈だ。それが現実だ。
 
 
 それにしても、こんな時にまで気に掛ける事がビアンカの事だとは……。
 清々しい程のシスコン、いやそんな言葉では片付けられない。異常だ。
 何処までも妹至上主義のユージーンに、不気味さを覚える。

「そんな事はやってみないと分からないーー早く道を開けろ‼︎」

 屈強な精神は素晴らしいが、それをもっと別の事に活かす事が出来たらと残念に思う。
 
 ユージーンの怒声に、騎士達は戸惑いを見せる。
 罪人の確保か、人質の命かを天秤にかけているのだろう。

 騎士達は取り敢えず後者を選ぶ筈だ。
 現時点で人質を殺されれば、確実に彼等が責任を取る事となる。それに曲がりなりにも国を守る騎士だ。少なからず罪悪感を感じるだろう。
 ならば一度取り逃がして責任の分散をし、仮に人質が逃亡先で死んでもその死因は幾らでも誤魔化せる。なんなら自分達が犯人を発見した時には、人質の姿がなかったと言った所で誰も不審には思わない。

 ただ大人しく連れ去られるつもりは毛頭ない。


 騎士達は、予想通り剣を下ろし道を開けた。
 そしてユージーンが足を踏み出した瞬間ーー

「ゔっ‼︎」

 エヴェリーナはキツく拳を握り締めると、ユージーンのみぞおち目掛けて肘打ちを喰らわした。

 様々な事態を想定し護身術を教わった。無論人質になった時の事も含まれている。
 基本は自発的に動かないように言われたが、今回は仕方がない。
 リナに変装したまま連れ去られれば、面倒な事になり兼ねない。リナがセドリックの侍女だとバレれば彼に迷惑を掛けてしまうだろう。それだけは何としても避けなければならない。

「よくもっ……ーー」

 思いの外、ダメージが少なかったようだ。
 歯を食いしばり腹を押さえるユージーンは、エヴェリーナに向かって短剣を振り下ろす。

「っーー」

 この距離で完全に避ける事は不可能だと考えたエヴェリーナは、せめて急所は守ろうと背を向け頭を下げると首を手で押さえた。
 だがいつになっても何の衝撃もこない。不審に思い顔を上げ振り返ると、ユージーンが床に転がっていた。
 更にその横には見覚えのある強面の男性が立っている。その彼はエヴェリーナに近付くと「こちらに」そう耳打ちをした。



「うちの無能な団員等がすまない」

 屋敷の裏門まで男性に付き添われ来ると、苦虫を噛み潰したような顔をした彼から謝罪を受けた。

「ブライスさん、あの……」

 エヴェリーナを助けてくれたのは、まさかのセドリックの護衛であるブライスだった。
 彼を見た時には驚いた。

「セドリック様から、内密にリズさんを逃すようにと命を受けてきた」

 その言葉に、先日久々に顔を合わせたセドリックの姿が頭に浮かんだ。
 こんな時に頬が緩みそうになる。
 彼が自分の事を気に掛けてくれていた事が嬉しく感じてしまう。
 緊張感のない自分に内心苦笑した。

「そうだったのですね。お手間お掛け致しました。ありがとうございました」

「礼ならセドリック様に直接言って差し上げてくれ。では、私は戻る。……また屋敷で」

 踵を返し数歩程歩いた彼は、立ち止まり肩越しに振り返るとそう付け加えた。
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