「捨てられ王妃」と呼ばれていますが私に何かご用でしょうか? ~強欲で身勝手な義母の元には戻りません~

【9】隠された真実(1)

 第四の祭祀の後、ディアドラは第二宮殿の王太后の間に向かった。
 扉には鍵が掛かっている。
 この部屋の鍵を持っているのはヘーゼルダインだ。

「明日になれば、この部屋の鍵が手に入るはずなのに……」

 大司教の言葉が頭の中で鳴り響いている。

『もし、誰かが出生順序を偽っているのなら、五度の祭祀のどこかで正されるべきでした。それができていないから、石は王の名を刻むことができないのです』

 あれは本当だろうか。

 王都の北の外れにある貧民街で娼婦をしていた時、あの石を見つけた。
 仕事を終えた娼婦に『金ならさっき払っただろう』といつも言っている男がいた。
 遠くで見ていたディアドラにはそれが嘘だとわかったが、どういうわけか女たちは男の言い分を素直に認めていた。

 嘘を吐くとき、男はいつも懐に入れた何かを手で擦っていた。
 ある時、暴走した荷馬車をよけて男が道に倒れた。その時、男の上着の裡ポケットから白い何か滑り落ちた。

 丸い石だった。
 石はディアドラの足元に転がってきた。

 半透明の白く濁った石だ。
 親指の先ほどの、どこにでもある小さな石。

 男が立ち上がり、懐を手で押さえて慌てる。
 周囲を見回し、何かを探している。

 ディアドラは石を拾った。
 男が振り向き、『白い石を知らないか』と聞いた。

『知らない』

 ディアドラは答えた。
 白い石を軽く指で擦りながら。

 男は首を傾げ、しばらくぼんやりとその場に立っていた。
 やがて、こう呟いた。

『俺は、何を探していたんだったか』

 一度、ディアドラの顔を見たが、『まあ、いいか』と言って、どこかへ行ってしまった。

 なんだかわからないが、この石は使える。
 ディアドラはそう直感した。

 試しに市場で肉を買い、『お代なら、さっき払ったよ』と言いながら、石を軽くこすった。
 肉屋の店主は『ああ、こりゃ失礼』などと言って、お詫びにたまごを一つおまけしてくれた。

 信じられなかった。
 すごいものを手に入れたと思った。

 それ以来、ディアドラはその小さな白い石を肌身離さず持ち歩いている。
 そして、必要があれば、軽く擦って、相手の頭の中にある不都合な記憶をディアドラにとって都合のいいものにすり替えてきた。

 王宮に入る時も。

 男爵令嬢と身分を偽って舞踏会に顔を出すようになったディアドラは、最初は豪華な食べ物を口にするのが目的だった。
 やがて、誰か適当な紳士をたぶらかし、パトロンにできないかと考えるようになった。

 そして、ある日、こう考えた。
 誰でも騙すことができるのだから、できるだけ身分の高い男を標的にしよう。

 伯爵、侯爵、公爵、いっそ王子か王太子はどうだろう。

 ブラックウッド王国を治めるリンドグレーン王室には、王子は一人しかいなかった。
 どの人物かと探し回り、ようやく見つけたヴィンセント・リンドグレーンは小柄で推しが弱く、めちゃくちゃ影の薄い男だった。

 ヴィンセントにはすでに妃がいた。
 ハリエット・ジェファーソンという侯爵家の令嬢で、背が高く聡明そうな女だった。金色の髪と緑色の目を持つなかなかの美人だ。

 石の力を使えば、たいていのことがうまくいく気がしたが、すでに王太子妃に収まっている人物を、別の人物、つまりディアドラにすり替えるには、かなり大勢の人の記憶を操らなければならない。
 側妃として王宮に入るほうが簡単そうだと思った。

 今になって思えば、あの時の判断は間違っていた。
 ヴィンセントが即位し、ハリエットは王妃になったのに、ディアドラは側妃という名の愛人のままだったからだ。

 長い屈辱の日々が待っているとわかっていたなら、なんとしてでも、正妃の座を手に入れていただろうに……。

 それでも、ノーイックの誕生で流れを変えることができた。

 娼婦をしていた頃、あの汚い街にも伝説があった。

 昔、放蕩していた王の子を宿し、相手が王とも知らずにその子どもを産んだ女がいたという。
 女が産んだ子どもは、ブラックウッド王国の王位継承の定めに基づき、王になった。

 娼婦上がりのその女は、王太后になったという。

 第一子を産めば、王太后になれる。
 ディアドラは、とにかく第一子を産むことを目標にした。

 ハリエットにだけは負けたくなかった。
 賢く美しく家柄もよく、全てに恵まれている正妃を眺めるたび、ディアドラは憎しみに近い嫉妬心を抱いた。

 ようやく懐妊した時は快哉を叫んだ。
 しかし、その歓びは長く続かなかった。
 ハリエットもまた懐妊していることが分かったからだ。

 どちらの子どもが先に生まれるか、あの頃の王宮内には緊張の糸が張り詰めていた。
 ハリエット派かディアドラ派か。
 ディアドラ派について破れた場合、ただの側妃と王位を継承しない子どもを推すことになる。
 ハリエット派について破れても、いずれ王妃になる人なので推しても損はない。

 大多数の貴族がハリエット側に付いた。
 王宮内の執務官や女官たちも、やはりハリエットに味方した。

 臨月を迎え、ハリエットは実家のジェファーソン侯爵家に移った。
 ディアドラには行くところがない。
 王宮内で出産することは禁じられていたため、郊外の離宮に行くことにした。

 ハリエットの出産予定日は、ディアドラとほぼ同じだった。

 離宮に移って三日目、八月六日の朝に陣痛が来た。
 その日の昼過ぎには無事にノーイックを産むことができた。

 これで、王太后になれる。
 ディアドラはそう信じた。

 リンドグレーン王家第一子の誕生を知らせるために、王宮に急使を向かわせた。
 急使が離宮を出た、ほんの数分後、その知らせは届いた。

 八月五日の朝、ハリエットが王子を出産したというものだ。

『そんな……』

 目の前が暗くなるというのは、ああいう状態をいうのだろう。

 たった一日。
 たった一日遅かっただけで、全てがハリエットのものになる。

『認めない』

 体力を使い果たした出産直後の、ろくに力が入らない身体でディアドラは王宮に向かった。
 急使が届けた手紙の内容を書き換え、関わった役人の記憶を書き換え、公的な記録を書き換えるために。
 ノーイックの出産は八月三日の夕刻、ディアドラが離宮に移ったその日ということになった。

 離宮の職員たちや女官たちの記憶も書き換えた。
 急使や事務係の記憶も。

 王宮に戻ってからは、掃除女や使い走りの小僧に至るまで、一人ひとりの記憶をコツコツ書き換えた。
 真実を知っている者は誰もいないはずだ。

「なのに……。なんなの、あの司教は……」

 何を根拠に、明日の祭祀でノーイック以外の王の名が石に現れるなどと言っているのだろう。

 石が自ら王の名を刻むなどということがあるわけないのに……。

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