紙片に残る面影

第9章「真実への一歩」

 翌日の朝。
 オフィスに入った瞬間から、結衣の胸は重かった。
 昨日の言葉が頭から離れない。

——「部長は、美月とお似合いですよ」

 吐き出した自分の声が耳に蘇るたび、心臓が締めつけられる。
 あれは本心じゃない。
 けれど許せない気持ちと嫉妬が重なり、どうしようもなく口をついて出てしまった。

(どうして……私はいつも逃げてばかり)

 席に着いても手元が震え、文字が頭に入らない。
 気づけば、また資料の端をカリカリとこすっていた。

 ふと視線を感じ、顔を上げる。
 遠くの席から、悠真がこちらを見ていた。
 真剣で、迷いを含んだ眼差し。
 結衣は慌てて視線を逸らした。



 その日の午後、突然の来客があった。
 取引先の担当者として現れたのは、美月だった。
 淡いベージュのスーツに身を包み、落ち着いた大人の女性の雰囲気をまとっている。

「お久しぶりです、部長」
「……ああ」

 悠真が応対する姿を、遠目に見ていた結衣の胸は痛んだ。
 やはり二人は、自然に並び立っているように見える。

(また……。やっぱり二人は繋がってる。お似合いなんだ)

 机の下で拳を握りしめる。
 涙がにじみそうになり、慌てて資料に視線を落とした。



 夕方。
 コピー室で大量の書類を抱えていた結衣は、バランスを崩して床に散らばせてしまった。

「あっ……」

 しゃがみ込み、必死に拾い集める。
 そこに差し出された手。
 顔を上げると——悠真がいた。

「……部長」
「一人で抱え込むな。前からそうだった」

 その言葉に、心臓が跳ねる。
 彼の声は、あまりにも「過去を知る人」のそれだった。

「やっぱり……私のこと、気づいてるんですか」
 小さな声で問いかける。
 悠真の手が、一瞬だけ止まった。

「……ああ。最初から、気づいていた」

 胸の奥が熱くなる。
 でも同時に、苦しみがこみ上げた。

「だったら……どうして、何も言わなかったんですか」
「君が、必死に隠そうとするからだ。無理に暴いても、余計に傷つけると思った」

 結衣は俯き、唇を噛みしめた。

「……私は、許せないんです。美月と抱き合ってたあなたを。誤解だったって言われても、あの光景は私を壊したんです」

 涙が頬を伝う。
 悠真は強く拳を握りしめ、低く答えた。

「——あれは誤解だ。彼女を慰めただけだ。俺が抱きしめたのは、美月じゃない。ずっと……結衣、お前だけだ」

 静かな声。
 しかしその瞳には、迷いのない強い想いが宿っていた。

「……っ」

 結衣は言葉を失った。
 信じたい。けれど、許せない気持ちがまだ胸に残っている。

「ごめんな。もっと早く伝えるべきだった」
「……やめてください。今さらそんなこと……」

 声が震えた。
 でも心の奥では、ほんのわずかに、氷が解け始めているのを感じた。



 夜。
 ベッドに横たわりながら、結衣は天井を見つめていた。
 悠真の言葉が耳に残っている。

——俺が抱きしめたのは、美月じゃない。
——ずっと……結衣、お前だけだ。

(本当……なの? 本当に、私を想ってくれてたの……?)

 涙がこぼれる。
 許せない気持ちと、信じたい気持ちが胸の中でせめぎ合う。

 指先がシーツをカリカリとこする。
 その癖だけが、過去と今を繋ぐ証のようで、切なさが胸を焦がした。

(でも……少しだけ……信じてみてもいいのかもしれない)

 揺れる心の中で、小さな一歩が芽生えていた。
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