紙片に残る面影
第10章「告白の夜」
その夜、結衣は残業でオフィスに残っていた。
明日のプレゼン資料を仕上げるために必死でキーボードを叩いていたが、胸の奥はざわついたままだった。
(……本当に、あれが誤解だったの? 私だけを見ていたなんて……)
悠真の言葉が、何度も頭の中で反響する。
信じたい気持ちと、まだ許せない気持ちがせめぎ合い、心は落ち着かなかった。
気づけば時計は午後九時を回っていた。
周囲のデスクは空で、オフィスは静まり返っている。
「——まだいたのか」
背後から低い声がした。
振り返ると、悠真が立っていた。ネクタイを緩め、スーツの上着を片手に持っている。
昼間よりも疲れた表情なのに、その眼差しは強く結衣を捉えていた。
「部長こそ……」
「俺は君を待っていた」
その一言に、心臓が跳ねる。
「話がある。もう逃がさない」
静かながらも決意を帯びた声。
結衣は椅子から立ち上がり、息を呑んだ。
二人は会議室に移動した。
蛍光灯の白い光が、静かな空間を照らしている。
外の窓には夜景が広がり、遠くのビルの明かりが瞬いていた。
悠真は資料を机に置き、深く息を吐いた。
「五年前のことを、もう一度だけ話させてくれ」
結衣は俯き、指先で机の端をカリカリとこすった。
「……聞きたくない」
「聞いてくれなきゃ困る。君は誤解したまま俺を突き放した。けれど、本当は——」
悠真は目を閉じ、言葉を選ぶように続けた。
「あの日、美月は恋人と別れたばかりで泣いていた。俺は偶然通りかかって、放っておけなかった。それだけだ」
結衣の胸がざわつく。
耳を塞ぎたいのに、言葉は鮮明に届いた。
「俺が抱きしめたのは彼女じゃない。ずっと見ていたのは、結衣……君だけだ」
はっきりと名前を呼ばれ、涙があふれた。
「……信じられない。だって私は、確かに見たの。二人が寄り添ってる姿を」
「見間違いじゃない。だが、意味は違った。君が信じなかっただけだ」
その言葉は痛かった。けれど同時に、真実の重みを持って胸に迫った。
沈黙の中で、結衣は震える声を漏らした。
「……私は、あの時の痛みを、今も許せないの」
「許さなくていい」
即座に返された言葉に、顔を上げる。
「許せなんて言わない。俺は……君を失ったことを後悔し続けてきた。だから、今度こそ逃したくない」
悠真が一歩近づく。
距離が縮まり、呼吸が混ざる。
「君を見つけた時、すぐに気づいた。名前が違っても、眼鏡をかけてても……指先の癖が同じだったから」
結衣の手が震えた。
無意識に机の端をカリカリとこすっていた。
悠真はその指を、そっと包み込む。
「この仕草が、君だって証拠だ」
涙が溢れ、頬を伝う。
「……ずるい。そんなふうに言われたら、信じたくなってしまうじゃない」
「信じてほしい。俺のすべてを」
悠真の手が頬に触れ、涙を拭う。
その眼差しは真っ直ぐで、迷いがなかった。
「結衣、俺は——君を愛してる。今も、これからも」
言葉が胸に突き刺さる。
張り詰めていた心の糸が、ぷつりと切れた。
「……私も。まだ、あなたが……好き」
声になった瞬間、全身が震えた。
次の瞬間、悠真が結衣を強く抱きしめた。
温もりが、五年間止まっていた時間を動かしていく。
涙がとめどなく溢れ、彼の胸を濡らした。
「もう二度と離さない。誤解なんて、させない」
「……うん」
彼の腕の中で、結衣は小さく頷いた。
痛みと許せない気持ちは、まだ完全には消えていない。
けれど確かに、真実に触れた心が一歩、未来へ進み始めていた。
明日のプレゼン資料を仕上げるために必死でキーボードを叩いていたが、胸の奥はざわついたままだった。
(……本当に、あれが誤解だったの? 私だけを見ていたなんて……)
悠真の言葉が、何度も頭の中で反響する。
信じたい気持ちと、まだ許せない気持ちがせめぎ合い、心は落ち着かなかった。
気づけば時計は午後九時を回っていた。
周囲のデスクは空で、オフィスは静まり返っている。
「——まだいたのか」
背後から低い声がした。
振り返ると、悠真が立っていた。ネクタイを緩め、スーツの上着を片手に持っている。
昼間よりも疲れた表情なのに、その眼差しは強く結衣を捉えていた。
「部長こそ……」
「俺は君を待っていた」
その一言に、心臓が跳ねる。
「話がある。もう逃がさない」
静かながらも決意を帯びた声。
結衣は椅子から立ち上がり、息を呑んだ。
二人は会議室に移動した。
蛍光灯の白い光が、静かな空間を照らしている。
外の窓には夜景が広がり、遠くのビルの明かりが瞬いていた。
悠真は資料を机に置き、深く息を吐いた。
「五年前のことを、もう一度だけ話させてくれ」
結衣は俯き、指先で机の端をカリカリとこすった。
「……聞きたくない」
「聞いてくれなきゃ困る。君は誤解したまま俺を突き放した。けれど、本当は——」
悠真は目を閉じ、言葉を選ぶように続けた。
「あの日、美月は恋人と別れたばかりで泣いていた。俺は偶然通りかかって、放っておけなかった。それだけだ」
結衣の胸がざわつく。
耳を塞ぎたいのに、言葉は鮮明に届いた。
「俺が抱きしめたのは彼女じゃない。ずっと見ていたのは、結衣……君だけだ」
はっきりと名前を呼ばれ、涙があふれた。
「……信じられない。だって私は、確かに見たの。二人が寄り添ってる姿を」
「見間違いじゃない。だが、意味は違った。君が信じなかっただけだ」
その言葉は痛かった。けれど同時に、真実の重みを持って胸に迫った。
沈黙の中で、結衣は震える声を漏らした。
「……私は、あの時の痛みを、今も許せないの」
「許さなくていい」
即座に返された言葉に、顔を上げる。
「許せなんて言わない。俺は……君を失ったことを後悔し続けてきた。だから、今度こそ逃したくない」
悠真が一歩近づく。
距離が縮まり、呼吸が混ざる。
「君を見つけた時、すぐに気づいた。名前が違っても、眼鏡をかけてても……指先の癖が同じだったから」
結衣の手が震えた。
無意識に机の端をカリカリとこすっていた。
悠真はその指を、そっと包み込む。
「この仕草が、君だって証拠だ」
涙が溢れ、頬を伝う。
「……ずるい。そんなふうに言われたら、信じたくなってしまうじゃない」
「信じてほしい。俺のすべてを」
悠真の手が頬に触れ、涙を拭う。
その眼差しは真っ直ぐで、迷いがなかった。
「結衣、俺は——君を愛してる。今も、これからも」
言葉が胸に突き刺さる。
張り詰めていた心の糸が、ぷつりと切れた。
「……私も。まだ、あなたが……好き」
声になった瞬間、全身が震えた。
次の瞬間、悠真が結衣を強く抱きしめた。
温もりが、五年間止まっていた時間を動かしていく。
涙がとめどなく溢れ、彼の胸を濡らした。
「もう二度と離さない。誤解なんて、させない」
「……うん」
彼の腕の中で、結衣は小さく頷いた。
痛みと許せない気持ちは、まだ完全には消えていない。
けれど確かに、真実に触れた心が一歩、未来へ進み始めていた。