その優しさに溺れる。〜一線を超えてから、会社の後輩の溺愛が止まらない〜
――春。
新年度の異動発表が出たその朝。
俺は、少しだけ浮足立っていた。
営業二課への異動。部署の名前を見たとき、胸がざわついた。
けれど理由なんて、誰にも言えるはずがなかった。
(詩乃さんが、いる部署だ)
久しぶりに名前を見たとき、頭の奥がしびれるような感覚に襲われた。
何年も前から忘れられずにいた人。制服姿の、優しくて、真っ直ぐで、なにより――あたたかかった人。
あのとき、俺を助けてくれたたったひとりの“先輩”。
ほんの数十分しか一緒にいなかったのに、 あの声も、あの手のぬくもりも、今でもはっきり思い出せる。
◇
「…橘湊くんね。これから営業二課に配属になります」
上司の紹介とともに、前に出て一礼する。
そして、席へと案内される途中――
視界の端に、見覚えのある横顔が入った。
(……あっ)
整った輪郭。目元の雰囲気。
目が合う。ほんの一瞬だけ、時間が止まった。
彼女も、俺を見ていた。
でも――すぐに、何事もなかったように視線を逸らした。
(……気づいてない?)
当然だ。あの頃の俺は金髪で、制服を着崩し、睨みつけるような目つきをしていた。名字もかわった。
今の自分とは、似ても似つかない。
でも、俺は一瞬でわかった。
あの日、傷だらけの俺に手を伸ばしてくれた――
“深雪詩乃”さん。
(やっと……会えた)
ずっと名前が胸に残ってた。 でも、会いに行こうなんて思ったことは一度もない。 会ったところで、向こうは俺のことなんか覚えてないと思ってた。
だから、ただ記憶の奥で、大事にしまっていた。
俺の中で“特別な人”として。
その“特別”が、今、目の前にいて。
……会社で。 同じ部署で。
距離にして数メートル。声をかければ届く場所にいる。
それだけで、息が詰まりそうになる。
(……どうしよう。全然、余裕なんかないじゃん、俺)
◇
少しずつ、言葉を交わすようになった。
詩乃さんは、仕事では頼れる先輩で、俺にも平等に丁寧に接してくれた。
けれど、どこか一線を引いている。
プライベートには踏み込まない。誰にも。
過度に干渉せず、馴れ合わず。
それでいて、誰よりも周囲に気を配っていた。
(……あの頃と、変わらない)
でも、少しだけ寂しそうに見えるときもあった。仕事の合間にふっと表情が翳る瞬間を、何度も見た。
(……今、幸せじゃないのかな)
その横顔を見て、思った。
できることなら、この人の“寂しい”を減らせたらって。
……まだ、名前しか知らなかったあの頃の気持ちが、 ずっと消えずにいたことに、ようやく気づいた。
◇
でも、彼氏がいることも知っていた。
だから、決して手を出してはいけないと、心に決めていた。
あのとき手当してくれた“やさしさ”を、 俺は汚すわけにはいかなかったから。
ただの後輩として。 仕事の相棒として。
それでも、そばにいられるなら――それでいいと、そう思ってた。
……ほんとは、全然、よくなかったのに。
一度きりの出会いだったはずが、
そのぬくもりだけで、何年も惹かれ続けた人。
——今は、その人が、すぐ隣にいて。
名前を呼べば振り向いてくれて。
ときどき、笑ってくれる。
……それだけで、どうしようもなく、胸が締めつけられる。
今、俺の腕の中でスヤスヤと眠る詩乃さんを見つめながら、心の奥が、静かに疼く。
「詩乃さん……俺、ずっと……あなたのことが――」
言葉の続きは、声にならなかった。
言えないまま。
気づかれないまま。
だけど、あの日から始まった俺の“再会”は、
今もこうして、ずっと続いている。
新年度の異動発表が出たその朝。
俺は、少しだけ浮足立っていた。
営業二課への異動。部署の名前を見たとき、胸がざわついた。
けれど理由なんて、誰にも言えるはずがなかった。
(詩乃さんが、いる部署だ)
久しぶりに名前を見たとき、頭の奥がしびれるような感覚に襲われた。
何年も前から忘れられずにいた人。制服姿の、優しくて、真っ直ぐで、なにより――あたたかかった人。
あのとき、俺を助けてくれたたったひとりの“先輩”。
ほんの数十分しか一緒にいなかったのに、 あの声も、あの手のぬくもりも、今でもはっきり思い出せる。
◇
「…橘湊くんね。これから営業二課に配属になります」
上司の紹介とともに、前に出て一礼する。
そして、席へと案内される途中――
視界の端に、見覚えのある横顔が入った。
(……あっ)
整った輪郭。目元の雰囲気。
目が合う。ほんの一瞬だけ、時間が止まった。
彼女も、俺を見ていた。
でも――すぐに、何事もなかったように視線を逸らした。
(……気づいてない?)
当然だ。あの頃の俺は金髪で、制服を着崩し、睨みつけるような目つきをしていた。名字もかわった。
今の自分とは、似ても似つかない。
でも、俺は一瞬でわかった。
あの日、傷だらけの俺に手を伸ばしてくれた――
“深雪詩乃”さん。
(やっと……会えた)
ずっと名前が胸に残ってた。 でも、会いに行こうなんて思ったことは一度もない。 会ったところで、向こうは俺のことなんか覚えてないと思ってた。
だから、ただ記憶の奥で、大事にしまっていた。
俺の中で“特別な人”として。
その“特別”が、今、目の前にいて。
……会社で。 同じ部署で。
距離にして数メートル。声をかければ届く場所にいる。
それだけで、息が詰まりそうになる。
(……どうしよう。全然、余裕なんかないじゃん、俺)
◇
少しずつ、言葉を交わすようになった。
詩乃さんは、仕事では頼れる先輩で、俺にも平等に丁寧に接してくれた。
けれど、どこか一線を引いている。
プライベートには踏み込まない。誰にも。
過度に干渉せず、馴れ合わず。
それでいて、誰よりも周囲に気を配っていた。
(……あの頃と、変わらない)
でも、少しだけ寂しそうに見えるときもあった。仕事の合間にふっと表情が翳る瞬間を、何度も見た。
(……今、幸せじゃないのかな)
その横顔を見て、思った。
できることなら、この人の“寂しい”を減らせたらって。
……まだ、名前しか知らなかったあの頃の気持ちが、 ずっと消えずにいたことに、ようやく気づいた。
◇
でも、彼氏がいることも知っていた。
だから、決して手を出してはいけないと、心に決めていた。
あのとき手当してくれた“やさしさ”を、 俺は汚すわけにはいかなかったから。
ただの後輩として。 仕事の相棒として。
それでも、そばにいられるなら――それでいいと、そう思ってた。
……ほんとは、全然、よくなかったのに。
一度きりの出会いだったはずが、
そのぬくもりだけで、何年も惹かれ続けた人。
——今は、その人が、すぐ隣にいて。
名前を呼べば振り向いてくれて。
ときどき、笑ってくれる。
……それだけで、どうしようもなく、胸が締めつけられる。
今、俺の腕の中でスヤスヤと眠る詩乃さんを見つめながら、心の奥が、静かに疼く。
「詩乃さん……俺、ずっと……あなたのことが――」
言葉の続きは、声にならなかった。
言えないまま。
気づかれないまま。
だけど、あの日から始まった俺の“再会”は、
今もこうして、ずっと続いている。