その優しさに溺れる。〜一線を超えてから、会社の後輩の溺愛が止まらない〜
人混みを抜けた並木道は静かで、沈黙が心地よい。
湊は詩乃の涙に気づいているはずなのに、詮索せず、ただ寄り添っている。
だからこそ、普段なら他人に話すはずもないプライベートを、ぽつりとこぼす勇気が詩乃の胸に生まれた。 

「ねえ、橘くん」

湊が立ち止まって、すぐ隣でこちらを見る。
街灯のオレンジ色の光が、彼の横顔を優しく照らしていた。

「……ごめん。少しだけ、付き合ってくれないかな」

「付き合うって?」

「……お酒。ちょっとだけでいいの。
でも、もし、迷惑だったら……」

言い終わる前に、湊が静かに言葉を重ねた。

「——行きましょう」

その一言に、胸の奥が静かにノックされた気がした。
なにも聞かずに、なにも詮索せずに。

ただ、今の私に寄り添ってくれるような。
優しさが、そこにあった。

「あの辺に、遅くまでやってるお店があったはずです」

「……ありがとう、橘くん」

「最近の深雪さん、ちょっと無理してるんじゃないかって思ってました。
だから今日は、とことん付き合いますよ」

そう言って、湊はふっと微笑んだ。
その笑顔に、張りつめていた何かが、また少しだけほどけていく音がした。
——誰かにこうして、甘えること。
そんなの、いつぶりだっただろう。
背を向けて歩き出した湊の背中が、
なぜかひどく安心できるものに見えた。
詩乃は、小さく息をついて、その後を歩き出す。
この夜が、
傷んだ心を癒す夜になった。
そして、思いがけず——
“一線を越えてしまう夜”の、静かな始まりだった。
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