捨てられ仮面令嬢の純真

 ここは館の台所だ。王妃になってしまえば、王宮の厨房で菓子作りなどできるかどうかわからない。
 館を閉める手配でアネットやコラリーは忙しいが、主人たちは細々したことを使用人に任せる。邪魔にならないようセレスが避難したのがここだった。厨房は最後の日まで稼働するから。
 意外にも甘味が好きだというレオのため、セレスは何度かデザートを作ってきた。王宮へ移ったらセレスお手製の菓子が食べられなくなると悲しむレオへ、名残りの贈り物なのだ。それにしてもレオまで台所に来るなんて。
 今日作っているのはフラン。お酒の香りを効かせた卵のクリームをパイ生地に詰めて焼く。レモンの季節ではないのでタルトシトロンは作らないが、レオにしてみれば菓子の種類より作り手が重要なのだった。

「セレスが作ってくれるなら、なんでもいいんだ」
「……料理長のお菓子の方が美味しいですよ」

 口ではそう言いながら、セレスの頬はゆるんだ。レオから菓子をねだられるのが嬉しい。
 普段は優しく気をつかいがちなレオがたまに甘えてくると、胸がきゅうっとしてしまうのだった。

(……こんな強い人のことを可愛いだなんて、おかしいのだけど)

 可愛く思えてきたのだから仕方ない。ねだられた時ぐらいレオを甘やかすのだ。
 セレスはご機嫌で鍋を火からおろし、料理長に確認してもらう。

「……奥さまは腕を上げられていますよ」

 しみじみと料理長が言ってくれて、セレスは「まあ」とつぶやいた。これまでの料理教室で無言を貫いてきた料理長に初めて褒められてしまった。

「そう……かしらね」
「はい。お別れするのは寂しいですなあ」
 
 無口な料理長は本音をもらした。公爵邸に戻ることが決まった料理長がセレスに会うことは二度とないかもしれない。

「……ありがとう」

 セレスはそれしか言えなかった。
 この館では、誰もがあたたかかった。セレスがみずからを取り戻したのは、幸せを思い出させてくれた皆のおかげだ。ここでこのまま暮らしていければ、と願ってしまいそうになる。
 だけどセレスにはやりたいことがあった。
 ――マルロワの民を愛すること。苦しみを、せめて減らすこと。
 だから、前に進まなければならない。

「――いつもお料理、美味しかったわ」
「ありがとうございます。奥さまにタルトをお教えしたこと、一生の自慢話ですよ」

 クリームを手際よく冷ましながら、料理長はセレスを見ずに言った。


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