捨てられ仮面令嬢の純真

 そしてセレスが出掛けたのはいちばん近い孤児院だった。
 そういえば先代の王妃もこういう慰問を行っていたと思い出す。あれにはちゃんと意味があったのだ。王太子もあちこち視察するのがよいのではとセレスだって提案したことがあるが、リュシアンが嫌がって実現しなかった。

 訪問する孤児院は商業地区の向こう端にある。危険な地区ではないし、セレスがいつも礼拝にいく教会が運営するものだ。だから問題ない――と言い訳するのは、レオに無断で即日行動したからだ。

「奥さまに何かあったら私がレオさまに殺されます」

 そう言ってダニエルがついてきた。コラリーもだ。申し訳ないとは思うが、セレスは王都の民のために何かがしたい。その気持ちに突き動かされるのをとめることはできなかった。

「奥さまったら、お出かけがクセになったんじゃないですか? てことは、まあ原因は旦那さまですもんね」

 コラリーはケロッとそんなことを言う。この間のデートで街を歩いたことが発端なので間違いではなかった。
 あの日はレオと二人で通った道を、ダニエルとコラリーを連れて行く。時間も昼下がりで、前よりは遅かった。

「あら、セレスちゃんじゃないかい」

 いきなり明るい女性の声がした。「セレスちゃん」という呼ばれ方が慣れなくて驚いたが、見ればその人は、先日出会ったパン屋のおかみさん。大きな籠にパンを山盛りにぶら下げている。

「――まあパン屋さん。先日のパンはとても美味しくて、つい食べすぎました」
「あらあ、嬉しいねえ。セレスちゃんは小鳥ほどしか食べないってレオさんが言ってたけど、ウチのパンだからね!」

 得意げなおかみさんの言葉を聞きながら、後ろでコラリーが「セレスちゃん……」とつぶやいた。必死で笑いをこらえている。

「あら、間違ってたかい? レオさんは『せれすてぃーぬ』って言ってたと思ったけど」
「いいえ、合っています。気安くしてくださって嬉しいわ」
「そうかい? あはは、じゃあこれからもご贔屓にね。あたしゃそっちの商会に配達なんで!」

 まくしたてるとパン屋のおかみはさっさと行ってしまう。コラリーがたまらずヒーヒー笑い出し、ダニエルですら頬をヒクヒクさせた。

「すいぶん自由なご婦人ですな」
「……たぶんレオさまが貴族になったのもご存じないのよ。咎めないでね」
「はあ」

 レオはずっと、一介の騎士だった。とはいえそこそこの家の子息だらけの騎士団員と対等に話すパン屋も妙なものだが、たぶんレオがそうしてほしいと要請したのだろう。
 それにレオの身分が変わったからといって、貴族の夫人を名前で呼ぶのは礼を失する――なんていう常識は市場にはない。親愛をこめて「セレスちゃん」と呼んでくれたのを、むしろ楽しく思ってしまうセレスはおかしいのだろうか。
 ゴホン、と咳払いしたダニエルはことさらキリリとしてみせた。

「それでも私はきちんと礼儀を保たせていただきます。さ、参りましょう奥さま」


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