エリート官僚と偽りの婚約 ~魔法が解けるまで、あなたと仮初の恋をします~

*エピローグ* 幸せな物語

 正俊さんのお父様の手術は無事に成功した。術後の回復が十分になされたら、私ももう一度お見舞いに行くことにしている。

 正俊さんは、アイオライトのネクタイピンをつけて仕事に行くようになった。私は、都立子ども図書館の一次試験に合格し、二次試験に向けて目下勉強中――だけど。

 正俊さんと連休が揃ったから、今日は息抜きとして横浜に来ていた。何度か延期になってしまった、印象派の絵画が展示されている美術館がメインの目的だった。

「すごかったです……! 印象派の絵画って、あんなに色合いが柔らかいんですね。絵の具が透き通っているように見えて……」

 美術館でお喋りはできないので、そのあとに入ったカフェで、正俊さんと展示の感想を話していた。

 私は手元のアイスカフェオレをストローでかき混ぜながら、「やっぱり、オルセー美術館にも行ってみたいな……」とひとりごちる。フランスにあるオルセー美術館は、印象派の絵画を数多く収蔵している美術館だ。

 ひとりごとだったのに、「じゃあ、行く?」と正俊さんが首を傾げたから目を見ひらく。

「行きたいけど……ヨーロッパって気軽に行くのは難しいし」

「新婚旅行はどう?」

 さらりと言われて、ぎょっとした。

「新婚旅行……ですか……」

 どぎまぎとする私の左手に、正俊さんが視線を投げる。

「指輪、もう一度受け取ってくれたでしょ?」

「は、はい……」

 そわそわと視線を伏せる私の左手薬指には、プリンセスカットの指輪が嵌っている。
 結婚。正俊さんとなら、もちろんそうなれたらいいと思うけど。でもこんな急に。
 ぐるぐると思考を巡らせる私を見て、正俊さんが息をこぼして笑った。

「ごめん、俺が悪かった。そういう話は、もっとちゃんと申し込むから」

「は、はい……」

 お願いします、とおずおずと頭を下げたら、正俊さんが眩しそうに微笑む。

 飲み物を飲んでしまうと、カフェを出た。この後は海の辺りを回って、夜はマンションじゃなくて、私の家で過ごすことになっている。

 世界に、きらめく風が吹き抜ける。一歩足を進めれば、パンプスのヒールが軽やかになった。

 かつて私は、なりそこないのシンデレラだった。でも今は、自分で物語の続きを書いて、幸せな人生を送っている。

 海辺へ下りる段差で、正俊さんが私に手を差し出す。まるでエスコートされるお姫様みたいに手を預けて、危なげなく段差を下りる。
 私は目の前の景色を見つめて、「綺麗ですね」と彼に笑いかけた。

                                    fin.


《参考文献》
 訳・注 鶴ヶ谷真一『論語』(光文社/2025年9月)
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