エリート官僚と偽りの婚約 ~魔法が解けるまで、あなたと仮初の恋をします~
 透き通った初夏の日差しの下、まるで彼の背中を押すように、優しい追い風が吹いていた。さらさらと擦れる木々の緑を伝って、柔らかな木漏れ日が落ちてくる。

 正俊さんと訪ねた総合病院。お父様の病室は、4階奥の個室だった。
 無機質な白の扉をあけたら、ふわりと風が吹き抜けた。ベッドの上で上体を起こしたお父様は、彼を見て大きく目を見ひらいた。

「……正俊」

 目元が、正俊さんによく似たお父様は、正俊さんを見て微笑んだ。その声音には、確かな親愛の情が宿っていた。

 正俊さんは、まず私をお父様に紹介した。広瀬真理菜ですと名乗って、お見舞いのお花を差し出した私に、お父様は丁寧に会釈をしてくれた。

「正俊は、ちゃんと食事を取っていますか」

 お父様が私に尋ねる。はい、とおずおずと頷いたら、

「それはよかった。正俊は私に似て、集中すると食事を疎かにするから」

 と、お父様は微笑んだ。

 私の胸に、温みが灯る。
 お父様は、私を紹介したきり押し黙っている正俊さんに視線を向けた。

「新潟の、県立大学の存続に尽力したと聞いた。おまえは、立派な仕事を成し遂げたな」

 正俊さんの瞳が揺らめく。
 お父様は、どこか厳しい、国の信用を守ってきたひとの眼差しで言葉を続ける。

「学問は、利益を司るものじゃない。人の善を育み、この国の未来を守るものだ。おまえは、文部科学省の官僚としてこの国の未来を守った」

 お父様がそう言い切った瞬間に、「でも、」と正俊さんが口走った。

「俺はT大に入れなかった。財務省にも、結城の家に生まれたのに」

 口調を乱す正俊さんに、お父様は苦いものを噛み締めるような表情で言った。

「おまえが心からT大に行きたいと思っていたのなら、問題なく合格できたはずだ」

 静かな声は雨の名残、たとえば葉脈から伝い落ちて地面に染みてゆくしずくみたいに、世界へ吸い込まれていった。

「おまえには、K大の国際色豊かで自由な校風が似合っていた」

 雲が流れた空みたいに、世界の色合いが変わってゆく。

「誰かを教え励ますこと……教育に携わる文部科学省も」

 正俊さんが、お父様の眼差しを受け止めた。

「おまえにはおまえの将来があったのに、私が、私の期待を押し付けてしまった」

 すまなかったと頭を下げたお父様に、

「違う……!」

 と、正俊さんが首を振る。

「俺が、お父さんの期待に応えたかった。応えられない自分を、俺が疎ましく思っただけで……」

 雨上がりの空に似た、切なくて優しい気配が世界に満ちる。
 私は、そっと病室を出た。そうして、風の涼やかさを感じながら、彼ら親子のあいだにも心地の良い風が吹いていることを願った。
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