毒舌男子の愛は甘い。
プロローグ
「──この泥棒女!」
鋭い音が、頬の左側で響いた。
わずかに後ろへ弾かれるような衝撃と、じわじわと広がる熱。
誰かが息を呑む音が聞こえた。
私はただ、ぼんやりと目の前の女性を見つめていた。
「……え?」
しばらく、意味がわからなかった。
でも──その人が言った言葉で、ようやく理解する。
「彼、私の彼氏なんだけど。あなた、何様のつもり?」
……ああ、そういうことか。
どうやら、“浮気相手”は、私だったらしい。
彼が言っていた「元カノとは完全に終わってる」っていうセリフも、
「お前だけだよ」って笑ったあの言葉も、
すべて、嘘だった。
「…………」
謝るべきなのか、怒るべきなのか。
何を言えばいいのかも分からなくて、私はただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
痛む頬をそっと押さえる。
でも、本当に痛かったのは、その奥のほう──もっと、深くて、静かなところだった。
(……またやってしまった)
好きになった人が、たまたまクズだった
──そんな偶然ならまだ笑えたかもしれない。
でも、これが“初めてじゃない”ってことが、何よりもしんどい。
どこかでわかってたのに。
わかってたのに、
“今回はきっと違う”って、また自分に期待してた。
「……バカみたい」
ひとりごとのようにこぼれた声が、喉の奥で震えた。
ちゃんとした人を、好きになりたい。
信じられる人に、出会いたい。
そう思って恋をしたはずなのに、
私はまた、間違えてしまった。
どうして私は、いつもこんな恋ばかりしてしまうんだろう。
誰もいない帰り道。
乾いた風が、熱を持った頬を優しく撫でていく。
そのやさしさが、やけに悔しかった。