毒舌男子の愛は甘い。

プロローグ





「──この泥棒女!」



鋭い音が、頬の左側で響いた。


わずかに後ろへ弾かれるような衝撃と、じわじわと広がる熱。



誰かが息を呑む音が聞こえた。


私はただ、ぼんやりと目の前の女性を見つめていた。



「……え?」



しばらく、意味がわからなかった。



でも──その人が言った言葉で、ようやく理解する。



「彼、私の彼氏なんだけど。あなた、何様のつもり?」


……ああ、そういうことか。



どうやら、“浮気相手”は、私だったらしい。



彼が言っていた「元カノとは完全に終わってる」っていうセリフも、



「お前だけだよ」って笑ったあの言葉も、
すべて、嘘だった。



「…………」




謝るべきなのか、怒るべきなのか。



何を言えばいいのかも分からなくて、私はただその場に立ち尽くすことしかできなかった。


 
痛む頬をそっと押さえる。



でも、本当に痛かったのは、その奥のほう──もっと、深くて、静かなところだった。



(……またやってしまった)



好きになった人が、たまたまクズだった



──そんな偶然ならまだ笑えたかもしれない。



でも、これが“初めてじゃない”ってことが、何よりもしんどい。



どこかでわかってたのに。



わかってたのに、
“今回はきっと違う”って、また自分に期待してた。



「……バカみたい」



ひとりごとのようにこぼれた声が、喉の奥で震えた。



ちゃんとした人を、好きになりたい。



信じられる人に、出会いたい。




そう思って恋をしたはずなのに、
私はまた、間違えてしまった。



どうして私は、いつもこんな恋ばかりしてしまうんだろう。




誰もいない帰り道。



乾いた風が、熱を持った頬を優しく撫でていく。



そのやさしさが、やけに悔しかった。





< 1 / 87 >

この作品をシェア

pagetop