Bliss of Z, or Alive with Pain?

上・両片想い(?)

 正化31年11月。
 東北の冬は去年よりずっと寒かった。天気もどんよりとして暗く、気が滅入ってきていた頃、文学部で真っ先にインフルにかかってしまった。
 ここ数年はかかっていなかったからと、予防接種をおざなりにしていたことが仇になり、何日もの間高熱が続いた。一人暮らしで体調を崩すと、精神へのダメージも大きいのだと、俺は今更ながら知ることとなった。
 ネットスーパーで仕入れたゼリーや冷食を少し食べ、寝て暮らす、その繰り返し。週明けに学校に戻るのは無理そうだが、そんなに休んで授業についていけるのか、ぼんやりと痛む頭で悩んでいた金曜日の夜に。
 悪夢が、始まった。


 画面端の表示に、俺は嘆息せざるを得なかった。4Gも、Wi-Fiも通じない。最大にしてほぼ唯一の、情報収集手段が失われた。
 テレビはない。ラジオはあるが、音が出る。この部屋、結構防音性は高い方のようだが、まず、『奴ら』の感覚がどれだけ鋭敏かは分からない。もしも気取られるようなことがあれば……。
 「……………!?」
 トントン、と玄関扉を叩く音がした。まさか、『奴ら』にバレたのか!?一瞬で血の気が引く。
 いや、落ち着け俺!……静かに深呼吸をして、自分に言い聞かせる。生存者かもしれないし、獲物を探す『奴ら』が気まぐれにドアを叩いただけ、という可能性もある。確認しなければ何も分からない。俺はすり足で廊下を歩き、直接触れないよう慎重にドアスコープを覗く。
 (……なんで、なんでここにいるんだ!?)
 それよりも……まさか、『奴ら』に?いや、そんなことは関係ない。すぐに鍵を開け、急いで部屋の中に入れる。
 「静かに。『奴ら』が来たら、俺が対処する」
 「……はい」
 一分間ほど、玄関口で息を潜め、気配を伺う。……幸運にも、物置が聞こえる範囲に奴らはいなかったらしい。
 「楽にしていいぞ、ほうじょ、っ!?」
 「せんぱいっ!」
 緊張を緩めると同時に、北條は靴も脱がずに俺にしがみついてきた。……今、この街は『奴ら』だらけだ。その中を潜り抜けるのは恐ろしかっただろう。安心させられるかどうかわからないが、そのまま抱き返すことにした。
 「怖かった……せんぱい!」
 「……ここには俺がいる。ひとまずは安心だ」
 半泣きで震えている後輩の背中をさする。……いつものシャンプーの匂いがしないことに微かな違和感を覚えたが、そんなことは些細な問題だ。それよりも、大切な後輩がすぐ側にいる、その実感を噛み締めていたかった。


 少ししてから、俺は北條をリビングに通した。曰く、何か千泰で大事件が起こっていると知り、居ても立っても居られなくなって、自転車で隣の佐々川から40kmほど走ってきたという。なんともぶっ飛んだ話だが、そういえば北條は前から変な子(俺に言われたくない、と反論されたが)だったので、とりあえずは納得することにした。
 「正直、何が起きているのかさっぱりです。何なんですか、あの不気味な人達は……?いきなり人に噛みつこうとしたりしてきて……」
 「俺も、実際に相対したわけじゃないからなんとも。さっきまでは、文学部の先輩とメッセージでやり取りをしていて、色々情報が入ってきていたんだが……」
 『奴ら』は、土気色の肌と、上顎から生えた一対の鋭い牙によって非感染者と容易に区別できるとのことだ。そして、お約束のごとく嚙まれた人間も『奴ら』になってしまう。ただ、近年のゾンビ映画やホラーゲームと違って、動きは基本緩慢、そこが唯一の救いといえるかもしれない。ただ、最後のメッセージで、変な動きをしている『奴ら』がいる、と書いてあって……そこは気がかりだ。トレンチコートの巨人が出てきてら流石に勝てる気がしない。
 金曜日の夜、帰宅ラッシュの最中に駅でパニックが起きて、2時間後にはあちこちから悲鳴が上がっていた。そして翌朝には静かになっていた。もう既に、街中が『奴ら』で溢れていたからだ……というのがおおよその筋書きらしい。そしてさらに1日が経過し、今は日曜日の午前だ。
 「俺の把握している情報は以上だ」
 「確かに……『奴ら』らしき人たちは、大体はゆっくり彷徨っているだけでしたね。中には、ねちっこく追っかけてくる人もいましたけど」
 「……『奴ら』に走って追いかけられたのか?」
 「そこまで速くはなかったですけど、結構苦労したんですよ?自転車も途中で壊れちゃってたし。先輩も知っての通り、私ってあまり運動神経よくないから……忍耐力と持久力には自信、ありますけどねっ」
 「……本当に、よく無事だったな。そして……すまない。俺のせいで」
 「謝らないでください、私が勝手に来ただけですから。先輩こそ、その体調で……本当に、よく、ご無事で……!」
 「ただ外に出てなかっただけなんだがな……って、泣くな泣くな。俺も北條も、今は無事なんだから」
 また泣きそうになっている北條の頭を、よしよしと撫でる。……できれば、この子には笑っていてほしい。その方がずっと可愛いし、似合っているから。
 (しっかりしなきゃな。俺はお兄ちゃんで、先輩なんだから。……きっと、俺が守ってみせる)
 と、心の中では言い切れるのだが、覚悟だけでどうにかなるほど世の中甘くはない。そろそろお昼になるが、若干の寒気と、熱が上がってきている感覚がある。昨日までのように40℃超えとまではいかなくとも、39℃程度はいってもおかしくない。
 物資の方も心配だ。二日は籠城できるだけの食料も、二人いれば一日で尽きる。水や電気、ガスも、この状況ではいつ途切れても不思議ではない。
 「あー……ところで、なんですけど、先輩?」
 微かに痛む頭で考え事をしていると、北條の声色がいきなり低くなった。ドスが効いている、というべきか。
 「なんだい?」
 「先輩がやり取りしてたその『文学部の先輩』……もしかして、女の子だったりします?」
 「………………」
 急な話題に、一瞬反応できなかった。そう、これが北條の変わっている点だ。突然スイッチが入り、激情のままに暴走し始めることが時たまあるのだ。そして高校時代、その矛先は九割九分九厘の割合で俺へと向けられる。
 「やっぱり。酷いんですね先輩、こんなに可愛い後輩をほったらかしにして、大人な女の子とイチャイチャしてるだなんて」
 「別にイチャイチャはしていないぞ!?それに、てい……黒戸先輩と連絡を取り合っていたのはあくまで必要に迫られてであって……」
 「でも先輩、最近私にメッセ返すの遅いですし、内容も淡白でそっけないし。……私のこと、邪魔になったんですか?」
 「……ひゅっ」
 ちょっと流石に頂けない、今は他にもっと考えるべき事があるはずだ、と言おうと思ったのに、言葉が勝手に引っ込んでしまう。……前から感じていたが、この可愛い系の女の子が、ここまで凄味を出せるのは才能だと思う。にしても、北條って、こんなに鬼気迫った声を出せたのか。
 「ねぇ、答えてくださいよ、先輩」
 「いや、な。俺も、妹離れ、もとい後輩離れすべき頃かと思っ」
 「私、先輩の妹じゃないですし、後輩離れはもっと意味わからないです」
 「あ………そ、そうだよな。今後は気をつけます」
 ずい、と距離を詰めてくる北條。まだまだ憤懣やるかたない、といったご様子であらせられる。
 「先輩にとって、私はなんなんですか?」
 「……大切な後輩だ。今も、昔も」
 「本当に?嫌ですよ先輩、私……」
 北條が何かを言いかけた時、遠くから静寂を破る音が聞こえた。俺は咄嗟に凶暴な小動物の口を指でふさぐ。
 「しっ……」
 ……この音は。電気を消して、遮光カーテンを僅かに開けて外の様子を伺う。
 「……あれは!」
 視界を通り過ぎて行った影、それは自衛隊のヘリだった。救出作戦が始まったのか……?
 「自衛隊、ですか?」
 「……ああ」
 「なら、安心ですかね?流石に、近代兵器でゴリゴリに武装した人たちが、のっそりゾンビに負けるわけ、ないですもんね……?」
 俺は、返答に詰まった。何だというんだ、この、言い知れぬ不穏な予感は。
 (……自衛隊の駐屯地は、この街にもある。まさか、全員噛まれてやられたわけはないだろう。
 そもそも、『噛む』以外に感染経路がないのだとしたら、ここまで急速に感染が広がるのはおかしいんじゃないか?)
 スマホを取り出し、ヒントを探す。帝紫さんとのチャット履歴を、一昨日まで遡り、順に見直していく。
 「……黒戸帝紫……こいつですか、例の女は」
 「こらえてくれ。この疑問を放置すると不味い、そんな気がするんだ」
 ……同時に記憶を見返していく。駅でパニックが起きたのは午後7時ごろ。帝紫さんのルームメイトである白鳥さんはそこで『奴ら』に噛まれてしまった。這う這うの体で逃げ帰った白鳥さんは、およそ3時間後の午後10時過ぎに発症した。
 (全員が全員3時間、というわけではないだろうが、嚙まれてから発症に至るまでにはタイムラグがあるのは間違いないだろう。それが、2時間で街の全体に広がり、朝には街中に溢れかえっている……そんなことがありうるのか?
 ……そもそも、事の始まり、千泰駅で『奴ら』になった人たちは、一体どこで感染したというんだ?……最初の感染は、『噛まれた』ことが原因ではない可能性が高いのではないか?)
 ならば、考え方を変えるべきではないのか。俺は自分に問う。
 「……もし、噛まれなくても、感染するとしたら?」
 「え?」
 「例えば、今の季節であればあり得ないが、蚊は感染症を媒介するだろう?
 そんな風に、他の感染経路、それも、街の多くの人が必ず関わってしまうような感染経路が存在して、それを通じて一気に感染が広まったのだとしたら……爆発的な感染拡大にも、説明がつくかもしれない」
 他に何か、ヒントになるメッセージはないか。そう思って、画面をスクロールしていく。
 「……とりあえず、今日は部屋にいれば大丈夫だと思うが。それでも、いつでも動けるように準備を……っ!?」
 「っ!?銃声、ですか?」
 「……いや、これ、撃ち合ってないか!?」
 脳内で一気に、漠然とした不安が像を結ぶ。武器を使える、つまり、知性を保った『奴ら』がいる可能性!
 続いて爆発音。かなり近い!俺は咄嗟に覆いかぶさるようにして、北條を庇う姿勢をとる!
 轟音と揺れが襲う。この感じ、建物に何か突っ込んできたか。窓の外……炎上したヘリの残骸が下階に突っ込んでいる。
 「な、なんで……?」
 「……逃げるぞ。と、その前に」
 俺は焦る心を押さえつけながら、クローゼットからパーカーを出して北條に投げ渡す。
 「アラミド繊維で作られていて防刃性がある。祖父から送られてきたやつだ。あと、この手袋も使ってくれ。牙に有効かは未知数だがな」
 「え、先輩が着てくださいよ!」
 「普段の俺ならお前を守れる。だが、今は絶不調、自信はない。俺のせいで、お前が噛まれるのはごめんだ」
 「私だって、先輩が噛まれたらヤです!」
 「異論は認めない。行くぞ」
 代わりに、俺は包丁を手に取る。人間の形をしたモノを……考えたくはないが、いざとなったらやるしかない。
 エレベーターは閉鎖空間、リスクが高い。廊下から、階段へと進む。
 「あ……ぁ……」
 そして、3階と2階の踊り場で、俺は初めて『奴ら』になった人と直接対峙した。血の気の失せた肌に、虚ろな瞳、そして上唇の奥に覗く牙……耳が尖っていないことを覗けば、ゾンビよりも吸血鬼に似ているように思えた。
 (……御免!)
 相手が気づいた瞬間、ハイキックで顎を打ちぬく。ゾンビだろうが吸血鬼だろうが、脊椎動物なら脳震盪は効くだろう。実際、ぐったりと動かなくなってしまった。
 「……許せ」
 「流石先輩、相変わらずお強いですね」
 「蹴りはバランスが崩れやすいから、滅多に使わない方がいいんだがな」
 そして、そのまま裏口のロックを外して外に出る。振り返ると、既に火が回り始めていた。
 「……折角、先輩のお部屋に入れたのになぁ」
 ぼそっと呟く北條。そういえば、このアパートはオートロックなんだが、北條はどうやって中に……?いや、滅茶苦茶気になるが今はそれどころじゃない。
 「行こう」
 「でも、どこに?」
 「それは、身を隠せる場所……だな」
 それは、どこだ?いかん、俺としたことが、考えなしに飛び出してしまった。……いや、割といつも通りか?
 とりあえず、銃声が聞こえる方角と逆に進むとして、その先には千泰大学の教養課程、つまり一年生向けの南キャンパスがある。普段なら余裕で歩くが、熱が上がり始めている感覚がある今、寒空の下を常時警戒しながら徒歩40分は無理があるな……というか、そもそも今は大学に行く理由がない。少し田舎だから、『奴ら』の数はまばらだろうが……。
 (いずれにせよ、ここに留まるのは自殺行為、そして戦場と人口密集地は論外だ。となれば、南キャンパス方面に向かうのが結局ベターな選択だろうな。
 道中にあるのは個人商店にドラッグストア、ファミレスに古墳と、バーガー屋以外は揃っているが、どこに隠れる?)
 「先輩、顔色が……薬局があれば、解熱剤を拝借できるんですけど……」
 ……実に世紀末な思考だが、北條の言う通りだ。もう社会秩序は破綻している……生き残るためにはやむを得ないことだ。
 「ドラッグストアなら15分だ。ひとまず」
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