さくらびと。 蝶 番外編(1)
第3章 葉桜の記憶
桜の花が散り、柔らかな緑の葉が風にそよぐ季節になった。
葉桜となった中庭の桜の木の下で、私は千尋さんといつものようにベンチに座っていた。
病院の静かな日常音、遠くから聞こえる鳥のさえずりが、心地よいBGMのように響いている。
「ねえ、蕾ちゃん。」
千尋ちゃんが、ふと私に話しかけてきた。
彼女の視線は、傍らに生えている緑色の葉に止まっている。
「ん? どうしたの?」
「あのね、私、おばあちゃんから聞いた話があるの。」
「千尋さんのおばあちゃん?」
「うん。私ものおじいちゃんが亡くなった時、おばあちゃん、ずっと、悲しんでたんだけどね。」
千尋ちゃんは、遠い目をして、ゆっくりと語り始めた。その声は、どこか懐かしさを帯びている。
「そしたらね、ある時おばあちゃんのところに、一匹の、すっごく綺麗な青い蝶が飛んできたんだって。」
「青い蝶...?」
「うん。
その蝶が、おばあちゃんの周りをひらひら飛んで、しばらくの間、おばあちゃんを癒してくれたんだって。
だから、おばあちゃんは、
『大切な人を置いていって亡くなった人は、
死んだ後、もう一度その大切な人に会うために、
神様の力を借りて羽を付けて戻ってくる。
そして蝶になって大切な人に一度だけ会いに来る』
って、私に話してくれたの。」
千尋ちゃんの言葉に、私は思わず「千尋さん、まさか、ちょっと怖い話だったりする?」と苦笑いしてしまった。
でも、千尋ちゃんは、私の言葉に少しも動じず、真剣な表情で葉桜を見つめている。
その横顔には、どこか寂しげな、それでいて、強い意志のようなものが宿っているように見えた。
「そっか...。おばあちゃん、寂しかったんだね。」
私の言葉に、千尋ちゃんはこくりと頷いた。
「でもね、おばあちゃんは、その青い蝶のおかげで、また頑張って生きていこうって思えたんだって。
だから、私も、あのとっても綺麗な青い蝶みたいになりたいなって、時々思うの。」
千尋さんが何を言いたいのか、まだ掴みきれない。
でも、彼女の言葉の端々から、過去の辛い経験を乗り越えようとする強い意志を感じ取ることができた。
葉桜の葉が風に揺れるたびに、千尋ちゃんの髪もそっと揺れ、その繊細な横顔に、私は目を離すことができなかった。
彼女の語る物語は、まるで彼女自身の心のようだった。綺麗で、儚くて、そして、どこか切ない。