氷の王子と消えた託宣 -龍の託宣2-
 不意に目の前に何かがばさりと投げ飛ばされた。見ると、床の上に王子が着ていた仕立ての立派なジャケットが無造作に落ちている。

「それを羽織っていてくれ」
 やはりそっぽを向かれて言われた。

「ですが、それでは王子殿下が……」

 この部屋は上着を着ていても肌寒く感じられるだろう。国の王太子を差し置いて、自分が暖かい思いをするなどアンネマリーにはできなかった。

「わたしが君を見ていて寒いんだ。いいからそれを羽織ってくれ」

 駄目押しのように命令だ、と言われ、アンネマリーはおずおずとそれを手に取り自らの肩に羽織った。ふわりとハインリヒのにおいが広がる。殿下の庭でいつも感じていた、あたたかでやさしい波動だった。
 胸が痛いくらいに締め付けられて、アンネマリーの顔がくしゃりとゆがんだ。

 不意に頬に感じていた風の流れが止まる。不思議に思って顔を上げると、少し距離を置いた床に、ハインリヒが背を向けて座っていた。その髪の毛が風でさわさわと揺れている。

(ハインリヒ様が壁になってくれているんだわ)

 ハインリヒは部屋の中を確かめるように歩き回っていた。部屋の中でいちばん暖かい場所を選んでアンネマリーに座らせて、さらに自分が風よけとなるためにそこにいるのだ。

 アンネマリーはそのことが分かると、もう涙がこらえられなくなった。自分が好きになったのは、二度と姿を見せるなと言った相手すら、見捨てることができないやさしい人だ。

 アンネマリーののどから嗚咽が漏れる。こんな狭い空間で泣かれるなど、王子にさらに嫌な思いをさせてしまう。そう思うも涙は止められなかった。
 案の定、ハインリヒはこちらを振り返り、苦しそうな顔をした。

「この部屋は龍の加護で守られているから安全だ。それに、じきに叔父上が騎士団を引いてやってくる。それまでは、頼む……怖いだろうが、耐えてくれ」

 思わず顔を上げると、まっすぐにこちらを見ていたハインリヒと目が合った。あの殿下の庭で過ごしたときと同じ距離感で、紫の瞳と見つめ合う。

 水色の瞳から涙が零れ落ちる様を、あの日と同じようにハインリヒもじっと見つめ返した。

 お互いの瞳に捕らわれたように、ただ黙ってふたりは見つめ合っていた。



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