氷の王子と消えた託宣 -龍の託宣2-
 強く言われ、アンネマリーは振り向くことなく言われた部屋へと飛び込んだ。扉の向こうから剣がこすれ合う音がする。震えながら耳を塞ぐ。目の前で王子が襲われているというのに、自分は何もできずにむしろ足手まといとなっている。

 人が倒れるような音がして、廊下の向こうが無音となった。はっとしたアンネマリーは慌てて扉から廊下をのぞき込もうとした。

 不意に息を切らしたハインリヒが扉から飛び込んできた。息遣いが届くようなすぐそこの距離で、紫の瞳に凝視される。驚きでアンネマリーは一瞬呼吸が止まるかと思った。

「奥へ。もう少し離れてくれ」
 冷たく言われ、入り口で立ちふさがるようにしていたアンネマリーは我に返った。

「申し訳ございません……!」

 慌てて距離を取り、勢いで奥の壁まで後ずさった。その様子に王子の顔がぎゅっと歪む。あからさまな態度が気に障ったのだろうか。アンネマリーは不安で泣きそうになった。

 扉を閉め、ハインリヒは確かめるように鍵をかける。廊下へと気配を辿り、しばらくするとこちらを振り返った。

「もっと中央にいてくれないか?」

 言われた通り、アンネマリーは部屋の中心へと移動した。ここは儀式か何かを行う場所だろうか。部屋の中央には大きな円陣が描かれ、古代文字のような読めない記号が描かれている。

 ハインリヒは確かめるようしながら、壁伝いに部屋をぐるりと一周した。壁一面には繊細なレリーフが彫られ、そして天井には美しい幾何学模様が施されていた。

 部屋の中なのに風の流れを感じる。凍えるほどではないが、肌が粟立つほどには寒く感じて、アンネマリーは無意識に自身の腕をぎゅっと抱きしめた。

「ここに」
 一通り部屋を歩いて回っていたハインリヒが、不意に一枚のハンカチを床の上に広げて置いた。

「君はここに座っていて」

 お王子の命令ならばと、アンネマリーは置かれたハンカチの横に座ろうとした。

「その上に座ってくれ。気休め程度の大きさだが」

 顔をそらされたまま言われたが、アンネマリーは戸惑いながらもその背に礼を取った。
「お心づかい感謝いたします」

 言われたとおりに座ってみたものの、王子とふたりきりの状況にアンネマリーはどうしたらいいのかがまるで分らなかった。流れる風がアンネマリーのおくれ毛を揺らす。壁際よりも温かく感じるが、寒さに震える腕を抱きしめ不安げに部屋の中を見回した。

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