あの町の言葉、この町のわたし

第5話 お茶部での笑いと、また現れた圭介先輩

バイトでの失敗から一週間。菜月は少しずつ立ち直り、お茶部での活動に打ち込んでいた。

「今日は一時間、正座で茶道の稽古をします」

麻美部長の言葉に、部員たちは覚悟を決めた。

「一時間かあ…」さくらが不安そうにつぶやいた。

「大丈夫、慣れればできるようになるわよ」真由が励ました。


畳の上に正座した菜月。背筋を伸ばし、きれいな姿勢を保っている。

「菜月ちゃん、さすがね。姿勢が美しいわ」麻美部長が感心した。

「おばあちゃんに小さい時から仕込まれたがやて」

「『仕込まれた』って、厳しく教わったの?」さくらが聞いた。

「うん、お正月とか親戚が来る時は、ずっとおちょきんしとかんなんかったがよ」

「『おちょきん』?」部員たちが首をかしげた。

「あ、正座のことやて」

「可愛い言い方ね」真由が笑った。「『おちょきん』…なんか響きが優しい」



「ふう…」

さくらが小さく息を吐いた。足がしびれ始めている。

「大丈夫?」菜月が心配そうに聞いた。

「うん、でもちょっときついかも」

「私も最初はそうやった。でも慣れるやて」

菜月は余裕の表情。子供の頃からの訓練が活きている。


「もうすぐ終わりよ、頑張って」麻美部長が励ました。

みんな必死に耐えている。さくらは顔を真っ赤にしながらも、なんとか姿勢を保っていた。

「菜月ちゃんは平気そうね」佐藤先輩が感心した。

「子供の頃からやっとったから」



「お疲れさまでした」

麻美部長の合図で、ようやく足を崩すことができた。

「あー、やっと終わった」さくらが大きく伸びをした。

菜月も足を崩そうとした瞬間…

「あ、あれ?」

足が動かない。完全にしびれている。

「菜月ちゃん、どうしたの?」

「おちょきんしてたら、足しびれてんた!」

菜月が慌てた声で言った。

部員たちが一瞬静まり返り、そして大爆笑。

「『おちょきん』って言い方、やっぱり可愛い!」真由が笑い転げた。

「『しびれてんた』も面白い」佐藤先輩も笑っている。

「笑わんといてよ!」菜月が恥ずかしそうに言った。

「でも、菜月ちゃんでもしびれるんだね」さくらがくすくす笑いながら、菜月の足をマッサージしてくれた。

「あ、ありがとう、さくらちゃん」

「どういたしまして」

さくらの手が優しく菜月の足をさすっている。菜月は少しドキドキした。

「でも『おちょきん』って、正座のことだったんだ」新入部員の子が言った。

「そうやて。福井では普通に使うがよ」

「覚えちゃいそう」さくらが笑った。



「失礼します」

またしても圭介が現れた。

「あ、圭介先輩」菜月が驚いた。

お茶部のメンバーは少し警戒した表情。またこの人か、という雰囲気。

「こんにちは。お邪魔してすみません」

「どうぞ」麻美部長が丁寧に応対した。

圭介が部室に入ってくると、先ほどの会話を聞いていたことが分かった。

「『おちょきん』…」

圭介は手帳を取り出して、メモを取り始めた。

「正座を『おちょきん』と言うんですね。これは興味深い」

菜月は複雑な気持ちになった。またメモを取られている。

さくらの表情が曇った。

「圭介先輩、また菜月ちゃんの言葉をメモしてるんですか?」

「え?ああ、すみません」圭介が慌てて手帳を閉じた。

「でも、これは純粋に言語学的な興味で…」

「いつもそう言いますよね」さくらが少しきつい口調で言った。

「さくらちゃん」菜月が止めようとした。

「菜月ちゃんは研究材料じゃないのに」

部室の空気が張り詰めた。

「すみません」圭介が深々と頭を下げた。「確かに、僕の態度には問題があったかもしれません」

麻美部長が仲裁に入った。

「田中さん、今日はどういったご用件ですか?」

「はい、実は菜月さんにお話があって」

「また研究の話ですか?」さくらが口を挟んだ。

「いえ、今回は違います」

圭介が菜月を見た。

「先日の誤解の件、改めてお詫びとお話がしたくて」

菜月は迷った。圭介先輩は本当に自分のことを理解しようとしてくれているのか、それとも研究対象としてしか見ていないのか。

「あの、圭介先輩」

「はい」

「私の方言を聞いて、すぐメモを取るのは…正直、嫌やて」

圭介が驚いた表情を見せた。

「そうですか…申し訳ありませんでした」

「研究材料として見られてる気がして」

「それは誤解です」圭介が必死に説明した。「僕は確かに言語学を専攻していますが、菜月さんのことは…」

「どう思ってるんですか?」

部員たちが二人のやり取りを見守っている。

「僕は…」圭介が言葉に詰まった。

「正直に言ってください」

圭介は深呼吸をして、覚悟を決めた。

「菜月さんのことが好きです。最初は方言に興味を持ったのは事実ですが、今は菜月さん自身に惹かれています」

部室が静まり返った。

「でも、僕の態度が誤解を招いてしまって。メモを取るのも、菜月さんの言葉を忘れたくないからで…」

「先輩…」

「でも、それが菜月さんを不快にさせていたなら、これからはやめます」

圭介の真剣な表情に、菜月の心が揺れた。

さくらは複雑な表情で二人を見ていた。

「あの、圭介先輩」菜月が口を開いた。

「はい」

「メモを取るのは、完全にやめなくてもいいです」

「え?」

「でも、その前に私に聞いてください。『今の言葉、メモしてもいい?』って」

圭介の顔がぱっと明るくなった。

「ありがとうございます」

「それから、私のことを『研究対象』として見るんやなくて、一人の人間として見てください」

「もちろんです」

二人は見つめ合った。

さくらは拳を握りしめていた。菜月が圭介先輩を許してしまった。

麻美部長が咳払いをした。

「それでは、田中さん。今日の用件は?」

「はい、今度の日曜日、お時間いただけませんか?」

「デートの誘いですか?」真由がにやりと笑った。

「はい」圭介が素直に答えた。

菜月の顔が真っ赤になった。

「あの…」

「お茶部の活動は?」さくらが口を挟んだ。

「日曜日は活動ないわよ」麻美部長が言った。

さくらは黙ってしまった。

「どうでしょうか?」圭介が菜月を見た。

菜月は迷った。でも、ちゃんと向き合ってみるべきかもしれない。

「はい、大丈夫です」

「ありがとうございます」

圭介が嬉しそうに笑った。

「それでは、詳細はまたメールで」

「はい」

圭介が部室を出て行った後、部員たちが菜月を囲んだ。

「やった!デートじゃない」真由が興奮している。

「菜月ちゃん、良かったね」麻美部長も笑顔。

でも、さくらだけは笑っていなかった。

「さくらちゃん、どうしたん?」菜月が心配そうに聞いた。

「ううん、何でもない」

さくらは無理に笑顔を作った。

「菜月ちゃんが幸せならいいの」

でも、その笑顔は少し寂しそうだった。

◆帰り道◆

「さくらちゃん、一緒に帰ろう」

「ごめん、今日は先に帰るね」

さくらは足早に去って行った。

菜月は不安になった。さくらの様子がおかしい。

「菜月ちゃん」麻美部長が声をかけてきた。

「はい?」

「田島さんのこと、気づいてる?」

「え?」

「彼女、菜月ちゃんのこと、特別に思ってるみたい」

菜月は驚いた。そういえば、さくらはいつも自分を守ってくれて、圭介先輩に対して厳しくて…

「まさか…」

「まあ、確証はないけどね。でも、気にかけてあげて」

「はい」

菜月は複雑な気持ちで家路についた。

圭介先輩とのデートは決まったけれど、さくらのことが気になる。

そして、未来はこのことをどう思うだろう。

恋は、本当に複雑だ。
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