あの町の言葉、この町のわたし
第4話 母の声と、変わらぬ愛
ある日の夜、菜月は久しぶりに実家に電話をかけた。
最後に話したのは一ヶ月以上前。色々あって忙しく、つい連絡を怠っていた。
「もしもし、お母さん?」
「おお、菜月け!久しぶりやの」
母の声を聞いた瞬間、菜月の目に涙が浮かんだ。
「ごめん、しばらく連絡できんくて」
「ええがよ、ええがよ。忙しいんやろ?元気にしとっけ?」
「うん、元気やて」
「そっけ、良かった。お母さん、心配しとったがよ」
「最近どうしとるがけ?バイトは?大学は?」
母が矢継ぎ早に質問してくる。
「バイトも大学も順調やて。お茶部の活動も楽しいしの」
「そっけ、良かった。あ、そうそう、悠真のお母さんから聞いたがやけど」
「何?」
「菜月、彼氏できたんやってな」
菜月の顔が赤くなった。
「悠真、お母さんに言ったがけ?」
「そうみたいやの。どんな人ながけ?」
「えーっと、大学の先輩で、言語学を勉強してて、すごく優しい人やて」
「ほう、言語学?」
「うん、方言とか古語とかを研究してるがよ」
「菜月の方言も研究されとるがけ?」
母が少し心配そうに聞いた。
「最初はそうやったかもしれんけど、今は違うがよ。ちゃんと私のこと見ててくれるがやて」
「そっけ、良かった」
母の声が安心したように聞こえた。
「あのね、お母さん」
「うん?」
「私、東京で方言のことでようけ失敗したがやて」
「どんな?」
菜月は今までの出来事を話した。バイト先での誤解、新婚カップルへの「けなるい」発言、雑誌を拾った時の「おとましい」騒動。
「そんなことがあったがけ」
「うん、その時は恥ずかしくて、方言やめようかと思ったやて」
「でも、やめんかったんやろ?」
「うん、みんなが私の方言を大切にしてくれて」
「そっけ」
母が優しく言った。
「菜月、お母さんな、心配しとったがよ」
「何を?」
「東京に行って、菜月が菜月やなくなってしまうんやないかって」
菜月は驚いた。
「標準語ばっかり話して、故郷のこと忘れて、別人みたいになってしまうんやないかって」
「そんなこと、ないやて」
「でも、今の話聞いて安心したわ」
「どうして?」
「菜月、ちゃんと方言で話しとるもん」
母の言葉に、菜月はハッとした。
確かに、母との電話では自然に福井弁が出ている。標準語を意識することなく、ありのままに話している。
「そっけやの」
「菜月は、ちゃんと菜月のままや」
母の言葉が、菜月の胸に響いた。
「おばあちゃんは元気?」
「元気やて。この前も、菜月のこと話しとったわ」
「何て言ってた?」
「『菜月は東京で頑張っとるけ、応援せんなん』って」
菜月の目に涙が浮かんだ。
「おばあちゃん…」
「あ、おばあちゃん来たわ。代わるけ?」
「うん!」
電話の向こうで声が変わった。
「もしもし、菜月け?」
「おばあちゃん!」
「久しぶりやの。元気にしとっけ?」
「うん、元気やて」
「そっけ、良かった。あのね、菜月」
「うん?」
「この前、福井に来た時、すごく嬉しかったやて」
「私も嬉しかった」
「菜月が東京でようやっとるって聞いて、おばあちゃん誇らしいがよ」
「ありがとう、おばあちゃん」
「方言のこと、悩んどるって悠真から聞いたけど」
「うん、でも今は大丈夫やて」
「そっけ。菜月、覚えとるけ?おばあちゃんが言った言葉」
「どの言葉?」
「自分らしさを忘れんようにって」
「覚えてる」
「方言も、故郷のことも、全部菜月の一部や。それを大切にしてくれる人が、本当にええ人やで」
「うん、圭介先輩は大切にしてくれてる」
「そっけ、良かった。幸せになりや」
「ありがとう、おばあちゃん」
「菜月、また代わるけ」
母の声に戻った。
「お母さん、あのね」
「うん?」
「私、最近色々あったがやけど、みんなに支えられて乗り越えられた」
「そっけ」
「さくらちゃんとか、未来ちゃんとか、お茶部のみんなとか、バイト先のみんなとか」
「ええ友達ができたがやね」
「うん」
「お母さん、嬉しいわ」
母の声が少し震えていた。
「菜月が一人で東京に行って、お母さんすごく心配やったがよ」
「ごめん、心配かけて」
「ええがよ。でも、今の菜月の声聞いて、ちゃんと成長しとるって分かった」
「成長してる?」
「うん。声に自信があるもん」
菜月は気づかなかったが、確かに以前より自信を持って話している気がする。
「お母さん、ありがとう」
「何が?」
「いつも応援してくれて」
「当たり前やろ。菜月はお母さんの大切な娘やもん」
「お父さんは?」
「仕事やて。でも、菜月のこと、いつも心配しとるけ」
「そうなが」
父は口数が少ないけれど、いつも家族を大切にしてくれる。
「お父さんも、菜月が幸せならええって言っとったわ」
「お父さんに、ありがとうって伝えて」
「自分で電話せ」母が笑った。
「そっけやの」
「あのね、お母さん」
「うん?」
「圭介先輩、来年から京都の大学院に行くことになったがやて」
「遠距離恋愛になるがけ」
「うん」
「大丈夫け?」
「大丈夫やて。私、頑張るから」
「ほうか(そうか)。応援しとるで」
「ありがとう」
「でもな、菜月」
「うん?」
「無理はせんようにの」
「分かってる」
「恋愛も大事やけど、自分のことも大切にせな」
「うん」
「それから、たまには実家に帰ってきやよ」
「うん、夏休みに帰るけ」
「楽しみにしとるわ」
「そろそろ時間やの」
母が言った。
「もう?」
「うん。長電話になってしもうた」
「ごめん」
「ええがよ。久しぶりに菜月の声聞けて嬉しかった」
「私も」
「また電話してや」
「うん、今度はもっと頻繁に電話する」
「楽しみにしとるで」
「お母さん、大好きやて」
「お母さんも、菜月のこと大好きやで」
母の声が優しく響いた。
「じゃあ、またね」
「うん、元気でな」
「お母さんも」
電話を切った後、菜月は涙が止まらなかった。
嬉しい涙だった。
母の声、おばあちゃんの声、故郷の温かさ。
全部が懐かしくて、愛おしかった。
◆一人の部屋で◆
ベッドに横になって、菜月は天井を見つめた。
「私、幸せやて」
小さくつぶやいた。
東京での生活は大変だった。
方言で失敗したり、誤解されたり、友達に告白されたり、恋愛で悩んだり。
でも、全部が自分を成長させてくれた。
そして、いつも支えてくれる人たちがいる。
圭介先輩、さくら、佳乃、お茶部のみんな、バイト先のみんな、悠真、未来。
そして、故郷の家族。
「みんな、ありがとう」
窓の外では、東京の夜景が輝いている。
でも、菜月の心の中には、故郷の景色も輝いていた。
田んぼの風景、おばあちゃんの家、悠真と遊んだ公園。
「あの町の言葉と、この町のわたし」
両方を持って生きていく。
それが、菜月の選んだ道。
そして、その道は間違っていないと、母との電話で確信できた。
「頑張るやて」
小さくつぶやいて、菜月は眠りについた。
明日からまた、新しい一日が始まる。
でも、もう怖くない。
自分らしく、堂々と生きていける。
方言も、故郷も、全部を誇りに思いながら。
菜月の物語は、まだまだ続いていく。
最後に話したのは一ヶ月以上前。色々あって忙しく、つい連絡を怠っていた。
「もしもし、お母さん?」
「おお、菜月け!久しぶりやの」
母の声を聞いた瞬間、菜月の目に涙が浮かんだ。
「ごめん、しばらく連絡できんくて」
「ええがよ、ええがよ。忙しいんやろ?元気にしとっけ?」
「うん、元気やて」
「そっけ、良かった。お母さん、心配しとったがよ」
「最近どうしとるがけ?バイトは?大学は?」
母が矢継ぎ早に質問してくる。
「バイトも大学も順調やて。お茶部の活動も楽しいしの」
「そっけ、良かった。あ、そうそう、悠真のお母さんから聞いたがやけど」
「何?」
「菜月、彼氏できたんやってな」
菜月の顔が赤くなった。
「悠真、お母さんに言ったがけ?」
「そうみたいやの。どんな人ながけ?」
「えーっと、大学の先輩で、言語学を勉強してて、すごく優しい人やて」
「ほう、言語学?」
「うん、方言とか古語とかを研究してるがよ」
「菜月の方言も研究されとるがけ?」
母が少し心配そうに聞いた。
「最初はそうやったかもしれんけど、今は違うがよ。ちゃんと私のこと見ててくれるがやて」
「そっけ、良かった」
母の声が安心したように聞こえた。
「あのね、お母さん」
「うん?」
「私、東京で方言のことでようけ失敗したがやて」
「どんな?」
菜月は今までの出来事を話した。バイト先での誤解、新婚カップルへの「けなるい」発言、雑誌を拾った時の「おとましい」騒動。
「そんなことがあったがけ」
「うん、その時は恥ずかしくて、方言やめようかと思ったやて」
「でも、やめんかったんやろ?」
「うん、みんなが私の方言を大切にしてくれて」
「そっけ」
母が優しく言った。
「菜月、お母さんな、心配しとったがよ」
「何を?」
「東京に行って、菜月が菜月やなくなってしまうんやないかって」
菜月は驚いた。
「標準語ばっかり話して、故郷のこと忘れて、別人みたいになってしまうんやないかって」
「そんなこと、ないやて」
「でも、今の話聞いて安心したわ」
「どうして?」
「菜月、ちゃんと方言で話しとるもん」
母の言葉に、菜月はハッとした。
確かに、母との電話では自然に福井弁が出ている。標準語を意識することなく、ありのままに話している。
「そっけやの」
「菜月は、ちゃんと菜月のままや」
母の言葉が、菜月の胸に響いた。
「おばあちゃんは元気?」
「元気やて。この前も、菜月のこと話しとったわ」
「何て言ってた?」
「『菜月は東京で頑張っとるけ、応援せんなん』って」
菜月の目に涙が浮かんだ。
「おばあちゃん…」
「あ、おばあちゃん来たわ。代わるけ?」
「うん!」
電話の向こうで声が変わった。
「もしもし、菜月け?」
「おばあちゃん!」
「久しぶりやの。元気にしとっけ?」
「うん、元気やて」
「そっけ、良かった。あのね、菜月」
「うん?」
「この前、福井に来た時、すごく嬉しかったやて」
「私も嬉しかった」
「菜月が東京でようやっとるって聞いて、おばあちゃん誇らしいがよ」
「ありがとう、おばあちゃん」
「方言のこと、悩んどるって悠真から聞いたけど」
「うん、でも今は大丈夫やて」
「そっけ。菜月、覚えとるけ?おばあちゃんが言った言葉」
「どの言葉?」
「自分らしさを忘れんようにって」
「覚えてる」
「方言も、故郷のことも、全部菜月の一部や。それを大切にしてくれる人が、本当にええ人やで」
「うん、圭介先輩は大切にしてくれてる」
「そっけ、良かった。幸せになりや」
「ありがとう、おばあちゃん」
「菜月、また代わるけ」
母の声に戻った。
「お母さん、あのね」
「うん?」
「私、最近色々あったがやけど、みんなに支えられて乗り越えられた」
「そっけ」
「さくらちゃんとか、未来ちゃんとか、お茶部のみんなとか、バイト先のみんなとか」
「ええ友達ができたがやね」
「うん」
「お母さん、嬉しいわ」
母の声が少し震えていた。
「菜月が一人で東京に行って、お母さんすごく心配やったがよ」
「ごめん、心配かけて」
「ええがよ。でも、今の菜月の声聞いて、ちゃんと成長しとるって分かった」
「成長してる?」
「うん。声に自信があるもん」
菜月は気づかなかったが、確かに以前より自信を持って話している気がする。
「お母さん、ありがとう」
「何が?」
「いつも応援してくれて」
「当たり前やろ。菜月はお母さんの大切な娘やもん」
「お父さんは?」
「仕事やて。でも、菜月のこと、いつも心配しとるけ」
「そうなが」
父は口数が少ないけれど、いつも家族を大切にしてくれる。
「お父さんも、菜月が幸せならええって言っとったわ」
「お父さんに、ありがとうって伝えて」
「自分で電話せ」母が笑った。
「そっけやの」
「あのね、お母さん」
「うん?」
「圭介先輩、来年から京都の大学院に行くことになったがやて」
「遠距離恋愛になるがけ」
「うん」
「大丈夫け?」
「大丈夫やて。私、頑張るから」
「ほうか(そうか)。応援しとるで」
「ありがとう」
「でもな、菜月」
「うん?」
「無理はせんようにの」
「分かってる」
「恋愛も大事やけど、自分のことも大切にせな」
「うん」
「それから、たまには実家に帰ってきやよ」
「うん、夏休みに帰るけ」
「楽しみにしとるわ」
「そろそろ時間やの」
母が言った。
「もう?」
「うん。長電話になってしもうた」
「ごめん」
「ええがよ。久しぶりに菜月の声聞けて嬉しかった」
「私も」
「また電話してや」
「うん、今度はもっと頻繁に電話する」
「楽しみにしとるで」
「お母さん、大好きやて」
「お母さんも、菜月のこと大好きやで」
母の声が優しく響いた。
「じゃあ、またね」
「うん、元気でな」
「お母さんも」
電話を切った後、菜月は涙が止まらなかった。
嬉しい涙だった。
母の声、おばあちゃんの声、故郷の温かさ。
全部が懐かしくて、愛おしかった。
◆一人の部屋で◆
ベッドに横になって、菜月は天井を見つめた。
「私、幸せやて」
小さくつぶやいた。
東京での生活は大変だった。
方言で失敗したり、誤解されたり、友達に告白されたり、恋愛で悩んだり。
でも、全部が自分を成長させてくれた。
そして、いつも支えてくれる人たちがいる。
圭介先輩、さくら、佳乃、お茶部のみんな、バイト先のみんな、悠真、未来。
そして、故郷の家族。
「みんな、ありがとう」
窓の外では、東京の夜景が輝いている。
でも、菜月の心の中には、故郷の景色も輝いていた。
田んぼの風景、おばあちゃんの家、悠真と遊んだ公園。
「あの町の言葉と、この町のわたし」
両方を持って生きていく。
それが、菜月の選んだ道。
そして、その道は間違っていないと、母との電話で確信できた。
「頑張るやて」
小さくつぶやいて、菜月は眠りについた。
明日からまた、新しい一日が始まる。
でも、もう怖くない。
自分らしく、堂々と生きていける。
方言も、故郷も、全部を誇りに思いながら。
菜月の物語は、まだまだ続いていく。