君と越えるブルー
第15話
『明日、会えないかな』
そう送ったのは、鳴海から告白されてから三日後の昼休みだった。
既読がつく前にスマートフォンの画面を落とす。和は小さく溜息を吐いた。
あの日はあの後、「好きだ」と言ってもらえて嬉しかったのに、和は何も言えずに帰ってしまった。
それから、鳴海からメッセージが送られてくることもなかった。単純に気まずさもあるのかもしれないけれど、彼のその『無言』を和は優しさだと思っていた。
負担をかけないように。いつだって、彼はその一心で行動してくれている。その裏に、まさか自分への恋心があったなんて。……いや、それは、自分が芯から逸らして考えたかっただけなのかもしれない。
こんな風になってしまった自分が、誰かを好きになることが信じられないのと同じように、誰かに好きになってもらうというのも未知だった。
両親からの愛とも違う。大地から感じる自分への感情とも違う。彼の瞳は、いつだって真っ直ぐに見つめられない。真っ直ぐに見つめてはいけないもののように思えて、それでも目を逸らせなくて、苦しくて、でも、楽しくて……。
三日間、ずっと考えていた。
このまま、もう会わないほうが良いんじゃないか。
会わないほうが、お互いに心が苦しくならないんじゃないか。
でも、夜を越えていくたびに、鳴海との今日までの短い日々を鮮明に思い出してしまう。
リアクションはあまり大きくない人だとばかり思っていた。けれど、関わりが深くなるほど、彼のたくさんの表情を知った。
教科書で口元を隠して笑う顔。照れているときは、そっと斜め下に目線を下げて、ちょっとだけ困ったように笑う。笑った顔は、どれもとても可愛らしくて眩しかった。
――こんな俺でよかったら、また会ってよ。
それなのに、そう笑ったときの表情は、今にも泣き出してしまいそうなくらい、苦しそうだった。胸がずきりと痛む。
会いたい。
ちゃんと、向き合いたい。
私の弱いところも、知られたくない顔も、全部知ってもらいたい。
そして、私も藤原くんのことをもっと知りたい。
勇気を出して送った『明日、会えないかな』への答えは、昼休みが終わる間際に届いた。
『会いたい』
まるで鳴海の声が聴こえてきそうなそのたった四文字に心が震える。窓の外からは、蝉の音が微かに聴こえてきた。
翌日の放課後。
カフェ『プラネテス』の一番奥の席に和はいた。
一度、鳴海と来たことがあるカフェ。鳴海との距離が近付いたのは、このカフェに来たことがキッカケだったかもしれない。
潮高寄りにあるこのカフェは、当たり前に和のほうが早く到着した。
前に来たときは、緊張していたせいでお店の装飾をしっかり見る余裕もなかった。天井から吊るされた大きなドライフラワーのシャンデリア。その中には照明が入っていて、淡い光を零している。その周りにも、小さな球体に編まれたドライフラワーが散りばめられている。
店名である『プラネテス』は、惑星を意味するプラネットの語源となった古代ギリシャ語らしい。そうだと知ったのは、前回鳴海と一緒に来た日の夜のことだった。きっと、このシャンデリアは夜空に浮かぶ『惑星』を表現しているのだろう。
プラネテスの元々の意味は、『惑う人々』だということもそのときに知った。今の自分を表現するのになんてぴったりな言葉なのだろう、と和はひとり、苦く笑った。
ドアベルが鳴る。「いらっしゃいませ」と店員さんの声が響いた。それから数秒後、和が座っているテーブルに近付いてくる足音。
「お待たせ」
きっと、自転車を懸命に漕いで来てくれたのだろう。息を切らし、額から滴り落ちる汗を制服の袖で拭う鳴海に、和は「ううん」と首を横に振った。
「全然、待ってないよ」
「今日は、来てくれてありがとう」
頼んだアイスココアが二つ、席に運ばれてきた。店員さんがテーブルを去ったタイミングで和は向かいに座る鳴海に頭を下げた。
「それと……この前は、何も言えずに帰っちゃってごめんなさい。連絡もずっとしなくて、ごめんね」
「いや、あれは……。こっちのほうこそありがとう。急にあんなこと言ったのに、また連絡くれて。ごめん」
困らせたと思う、と鳴海は語尾をすぼませていく。和はそれに、ゆるゆると首を横に振った。
「困っていたのは、私自身に困っていたの。藤原くんは悪くない。藤原くんの気持ち、とっても嬉しかったのに、向き合うことが怖かったの」
和は両手でアイスココアの入っているグラスを包むように握った。温度差で結露が生まれたグラスが、掌を濡らして冷やしていく。
「……返事はなくていいって藤原くんは言ってくれたけれど、私も、藤原くんに伝えたいことがあるんだ」
震える息を小さく吐き出して、それからしっかりと鳴海へ視線を向けた。これから紡ぐ言葉が、真っ直ぐ届くようにと願いながら。
「私も、藤原くんのことが好き。あの日、気付いたの。藤原くんのことが大好きだって」
逸らしたくなる気持ちに耐えるように、グラスを握る手に力が入る。
「好きになることも、好きになってもらうことも、今の私には怖くて仕方がないことだけど、でも、大好きだから。大好きだから、藤原くんから逃げたくないの」
店内には、和と鳴海しかいない。和の声だけが、ぽつりぽつりと響いている。
「逃げたくないから……私のことを、全部、知って欲しい」
和の向かいで鳴海が静かに息を飲む音が聴こえた気がした。店内を流れる穏やかなBGMが零れ落ちるように二人の間を流れる。
そう送ったのは、鳴海から告白されてから三日後の昼休みだった。
既読がつく前にスマートフォンの画面を落とす。和は小さく溜息を吐いた。
あの日はあの後、「好きだ」と言ってもらえて嬉しかったのに、和は何も言えずに帰ってしまった。
それから、鳴海からメッセージが送られてくることもなかった。単純に気まずさもあるのかもしれないけれど、彼のその『無言』を和は優しさだと思っていた。
負担をかけないように。いつだって、彼はその一心で行動してくれている。その裏に、まさか自分への恋心があったなんて。……いや、それは、自分が芯から逸らして考えたかっただけなのかもしれない。
こんな風になってしまった自分が、誰かを好きになることが信じられないのと同じように、誰かに好きになってもらうというのも未知だった。
両親からの愛とも違う。大地から感じる自分への感情とも違う。彼の瞳は、いつだって真っ直ぐに見つめられない。真っ直ぐに見つめてはいけないもののように思えて、それでも目を逸らせなくて、苦しくて、でも、楽しくて……。
三日間、ずっと考えていた。
このまま、もう会わないほうが良いんじゃないか。
会わないほうが、お互いに心が苦しくならないんじゃないか。
でも、夜を越えていくたびに、鳴海との今日までの短い日々を鮮明に思い出してしまう。
リアクションはあまり大きくない人だとばかり思っていた。けれど、関わりが深くなるほど、彼のたくさんの表情を知った。
教科書で口元を隠して笑う顔。照れているときは、そっと斜め下に目線を下げて、ちょっとだけ困ったように笑う。笑った顔は、どれもとても可愛らしくて眩しかった。
――こんな俺でよかったら、また会ってよ。
それなのに、そう笑ったときの表情は、今にも泣き出してしまいそうなくらい、苦しそうだった。胸がずきりと痛む。
会いたい。
ちゃんと、向き合いたい。
私の弱いところも、知られたくない顔も、全部知ってもらいたい。
そして、私も藤原くんのことをもっと知りたい。
勇気を出して送った『明日、会えないかな』への答えは、昼休みが終わる間際に届いた。
『会いたい』
まるで鳴海の声が聴こえてきそうなそのたった四文字に心が震える。窓の外からは、蝉の音が微かに聴こえてきた。
翌日の放課後。
カフェ『プラネテス』の一番奥の席に和はいた。
一度、鳴海と来たことがあるカフェ。鳴海との距離が近付いたのは、このカフェに来たことがキッカケだったかもしれない。
潮高寄りにあるこのカフェは、当たり前に和のほうが早く到着した。
前に来たときは、緊張していたせいでお店の装飾をしっかり見る余裕もなかった。天井から吊るされた大きなドライフラワーのシャンデリア。その中には照明が入っていて、淡い光を零している。その周りにも、小さな球体に編まれたドライフラワーが散りばめられている。
店名である『プラネテス』は、惑星を意味するプラネットの語源となった古代ギリシャ語らしい。そうだと知ったのは、前回鳴海と一緒に来た日の夜のことだった。きっと、このシャンデリアは夜空に浮かぶ『惑星』を表現しているのだろう。
プラネテスの元々の意味は、『惑う人々』だということもそのときに知った。今の自分を表現するのになんてぴったりな言葉なのだろう、と和はひとり、苦く笑った。
ドアベルが鳴る。「いらっしゃいませ」と店員さんの声が響いた。それから数秒後、和が座っているテーブルに近付いてくる足音。
「お待たせ」
きっと、自転車を懸命に漕いで来てくれたのだろう。息を切らし、額から滴り落ちる汗を制服の袖で拭う鳴海に、和は「ううん」と首を横に振った。
「全然、待ってないよ」
「今日は、来てくれてありがとう」
頼んだアイスココアが二つ、席に運ばれてきた。店員さんがテーブルを去ったタイミングで和は向かいに座る鳴海に頭を下げた。
「それと……この前は、何も言えずに帰っちゃってごめんなさい。連絡もずっとしなくて、ごめんね」
「いや、あれは……。こっちのほうこそありがとう。急にあんなこと言ったのに、また連絡くれて。ごめん」
困らせたと思う、と鳴海は語尾をすぼませていく。和はそれに、ゆるゆると首を横に振った。
「困っていたのは、私自身に困っていたの。藤原くんは悪くない。藤原くんの気持ち、とっても嬉しかったのに、向き合うことが怖かったの」
和は両手でアイスココアの入っているグラスを包むように握った。温度差で結露が生まれたグラスが、掌を濡らして冷やしていく。
「……返事はなくていいって藤原くんは言ってくれたけれど、私も、藤原くんに伝えたいことがあるんだ」
震える息を小さく吐き出して、それからしっかりと鳴海へ視線を向けた。これから紡ぐ言葉が、真っ直ぐ届くようにと願いながら。
「私も、藤原くんのことが好き。あの日、気付いたの。藤原くんのことが大好きだって」
逸らしたくなる気持ちに耐えるように、グラスを握る手に力が入る。
「好きになることも、好きになってもらうことも、今の私には怖くて仕方がないことだけど、でも、大好きだから。大好きだから、藤原くんから逃げたくないの」
店内には、和と鳴海しかいない。和の声だけが、ぽつりぽつりと響いている。
「逃げたくないから……私のことを、全部、知って欲しい」
和の向かいで鳴海が静かに息を飲む音が聴こえた気がした。店内を流れる穏やかなBGMが零れ落ちるように二人の間を流れる。