俺様パイロットは容赦なく愛を囁き偽り妻のすべてを奪う
 慌ただしくも、無事に一日の業務を終えられた。

 寄り道はせず、真っすぐ駅に向かう。やってきた電車に乗り込み、吊革につかまりながら窓の外を眺めた。
 十七時を過ぎ、空はもうすっかり薄暗くなっている。

 翔さんはフランス行きの夜の便に乗ると話していた。おそらく昼過ぎには到着しているはずだから、今はひと息ついている頃だろう。

 考えてみたら、翔さんが不在なのに彼のマンションに帰る必要はあるのか。ひとりでいるのなら、べつに自宅へ帰っても問題はないはずだとようやく思い至った。

 昨日から、気を抜くとつい彼のことを考えてしまう。急に距離を詰められた上に同居まで始まり、すっかり翻弄されている。
 このまま翔さんのマンションで過ごしていたら、その傾向はますます強くなりそうでちょっと困る。彼との距離感がよくわからなくなりそうだ。

 今夜は自分のマンションへ帰ろうか。そう考えていたとき、バッグの中からスマホの振動が伝わってきた。
 取り出してみると、今まさに思い浮かべていた翔さんからメッセージを受信していた。

【困ったことはなかったか? なにかあったら、いつでも連絡を入れて】

 私を気遣う文面からは、彼の優しい一面が伝わってくる。

【俺の留守を頼んだ】

 でも、その後に続いた言葉に思わずドキリとした。

〝俺の留守を頼んだ〟なんて、彼が私に全幅の信頼を寄せているようだ。それはまるで、妻に対するような……と考えかけて、慌てて振り払った。

 この関係は、仮初のものだ。翔さんはきっと、なにげなくそんなひと言を付け加えたのだろう。それを深読みして心を乱すなんて、あまりにも恥ずかしすぎる。

 きっと長く恋愛事から遠ざかっていたせいで、感覚が狂っているだけ。今の私は、ちょっと気遣われたり優しくされたりしただけでころっと靡いてしまいそうだ。

 勘違いに決まっていると、芽生えかけた甘い感情を心の奥深くに追いやった。
< 32 / 110 >

この作品をシェア

pagetop