クズ男の本気愛

「え、えっと……私が昨日までって言っておいた仕事を高城さんがしてなくて。来週だと思ってた、なんて嘘をつくから、私に嫌がらせしてるんじゃないかと……それに、例のしゃ――」

「先輩はそんなことしないって、普段の仕事ぶりを見て分かりませんか? ああ、増田さんは来て間もないからわかんないのかー。先輩は真面目でコツコツタイプでお人好しってぐらいだし、嫌がらせとかする人じゃないです」

「でも!」

「じゃあ、その資料作るの手伝います。すぐにいるんじゃないですか? 時間も余裕がないはずなので急いだほうがいいですよね?」

 霧島くんの言い方には『これ以上何も言うな』という圧力があった。私は直感的に、私が浮気のことで責められているのを聞いていたんだ、と思った。

 その上で庇ってくれてる……。

 まだ彼にきちんと説明できていないのに、こんな風に振舞ってくれることが何より嬉しかった。同時に、こんなことになるなら昨晩電話をしておけばよかったと深く後悔する。だって、会って彼の顔を見ながら話したかったんだ……。

 霧島くんは無言で座り、仕事に取り掛かる。それが何かの合図のように、みんな渋々仕事に戻っていった。

 私と敦美も座り、敦美が小声で励ましてくる。

 泣きそうになるのを必死に堪え、私は歯を食いしばって前を向いた。




 今日ばかりは仕事を早めに切り上げ、私は会社のすぐ前にあるカフェで一人コーヒーを飲みながら待っていた。本当ならまだ仕事は残っていたが、敦美が代わってあげるから帰りな! と言ってくれたので、お言葉に甘えたのだ。

 あの雰囲気の中仕事をするのは辛いし、とにかく落ち着いて霧島くんと早く話したかった。頼んだばかりのコーヒーを前に、私は目の前のガラスを見つめている。ちょうど会社の正面玄関が見えるので、霧島くんが出てきたらすぐに気づくはずだ。

 湯気の立つホットコーヒーをそっと啜り、ため息を漏らした。

 敦美が見せてくれたSNSは結構な人数の人が見たらしい。見ていなかった人も、今日誰かから聞いて知った……とどんどん広まっているようだ。

 浮気なんてするはずがない。でも、どう否定すればいいんだろう。

 このままでは私も辛いけれど、霧島くんまで『浮気された男』として見られてしまう。それが一番嫌だ。でも、今の私にはどう対処すればいいのかわからないのだ。

 上司に相談だろうか。でも、あの写真じゃ私に非があると見られるだろうし……。

 落ち込んだままぼうっとしていると、テーブルの上に置いておいたスマホが鳴る。霧島くんだ、と思ってすぐに手に取ってみると、見知らぬ番号だったので首を傾げる。どうやら携帯電話の番号だ。出ようかどうか迷ったが、とりあえず出てみることにする。恐る恐る通話ボタンを押してみた。

「もしもし?」

『あ、璃子さん?』

 まさかの相手に持っていたスマホを落としそうになった。それは薫さんの声だったからだ。

「……薫さん? どうして私の番号を」

『ごめんね、大輔から聞いたの。ちょっとだけ伝えたいことがあって……』

 大輔は本当にろくなことをしないなと思ったが、今はもうそれどころじゃないと思った。私は一度自分を落ち着かせ、冷静を努めて言う。

「あの、薫さん……大輔と私の写真が出回っているみたいですが」

『うん、見たよ。璃子さん、地味な顔して大胆なことするーって感心してた。ホテルの前で浮気相手とキスなんてねー。霧島くんと付き合いつつ大輔とも切れてなかったんだね?』

「違います!!」

 つい大きな声を出して否定する。すぐに店の中だと思い出し、慌てて声のボリュームを調整した。

「私は大輔と別れています。薫さんだって知ってるんじゃ……」

『もう真実はどうでもいいからさあ。あの写真を見てみんなが、霧島くんがどう思うかだよ。 私、霧島くんに今からゆっくり話しましょって誘われてるの。なんでだと思う?』

「……え? でも、霧島くんは今から」

 私と。

 薫さんはその続きを言わせることなく言葉を続けた。

『そりゃ浮気する彼女なんて愛想尽かすよねー。ごめんだけど、浮気する璃子さんが悪いんだからね』

「待ってください。そんなはずないです」

『はは、そうだよねーせっかく年下イケメンを手に入れて気持ち良かったのに、簡単に別れちゃうの悔しいよねーまあ、元々似合ってなかったからしょうがないって。じゃ』

 言いたいことを言って、向こうは電話を切ってしまった。まさかの電話に混乱しつつ、きっと薫さんの嘘だと思った。だって霧島くんは私と約束をしているからだ。

 するとこのタイミングで、またスマホが鳴った。だが今回は電話ではなくメッセージが届いた音だ。覗き込んでみると霧島くんからだった。

『カフェにいますか?』

 すぐに返信する。

『いるよ!』

『すみません、ちょっと急用が出来たので、先輩の家で待っててください。終わったら行きます』

 そのメッセージを読んで、どきりと胸が鳴った。薫さんとの電話が蘇る。

……違う。きっと仕事がごたついてるだけ。

『わかった、待ってるね』

 何とかそれだけ返信をし、一旦コーヒーを啜って落ち着かせる。カップを持っている自分の手は震えていた。大丈夫、大丈夫だ。必死に自分に言い聞かせる。

 その時、ふと正面玄関から出てきた人が目に入った。

「……霧島くん?」

 その隣には、薫さん。

 つい立ち上がり、前のめりになって見てしまう。見間違いでもなく、霧島くんと薫さんが並んで歩いていたのだ。私は呆然として何も言えない。

 二人はそのまますぐに角を曲がり、見えなくなってしまった。離れているので表情までは見えなかったけれど、少なくともお互い自分の意志で並んでいるように見えた。

「……急用って、薫さんと……?」

 薫さんの言っていたことは本当だったの?

 力が抜けたように椅子に座ると、手が当たってコーヒーをこぼしてしまう。慌ててカバンからティッシュを取り出しふき取りながら、自分への嫌悪感に苦しんだ。唇を強く噛み、こぼれそうな涙を必死に止める。

 違う。霧島くんはそんなことしない。

 私に愛想を尽かしていたとしても、きっと関係をしっかり断ち切ってから次に行く。だって、何も言わず終わりにするなんて霧島くんらしくない。私ときちんと話して向き合って、霧島くんが思っていることも伝えてくれるはずだ。

 薫さんと一緒にいるのは事実だけど、何か事情があるはずだから。

「私が馬鹿なことをしてこんなことになってるのに、ここで私が彼を疑ってどうするんだ」

 小さく呟き、気持ちを強く持った。霧島くんと付き合う時、彼を信じるって決めたんだから、最後まで信じる。

 零れたコーヒーを拭き終え、片付けるためにトレイを手にした時、再びスマホが鳴った。霧島くんからのメッセージかも、と思って覗き込むと、今度は大輔の名前があったので一気に怒りがわいた。

 まずは霧島くんと話したいと思っていたから後回しにしていたけど、そもそも大輔があんなことをしたのがおかしい。しかも、あの一瞬を写真に撮られているなんてありえないじゃないか。

 私は怒りで震えながらメッセージを開いた。

『お前、ほんと馬鹿な事したよなー
 もう泣いて俺に縋ってきても遅いから
 俺を怒らせたこと、後悔すればいいよ』

 苛立ちで頭が沸騰するかと思った。私は怒鳴りつけてやろうと思いすぐに電話を掛けたが、相手は出ず、メッセージも送ったがもちろん既読スルーだ。スマホを投げつけそうになる。生まれて初めて、人を刺してやりたいとすら思った。

「……落ち着け。刺したら駄目だ」

 そんな当たり前のことを自分に言い聞かせ、私は深呼吸をしてトレイを片付けた。とにかく今は、霧島くんと話すのを最優先にしよう。家で彼のことを待つんだ。私はそう何度も思って、カフェを後にした。

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